第12章:嵐の後の静けさ
黒田副社長は、その日のうちに解任され、特別背任の疑いで会社から告発された。彼の派閥に属していた役員たちも、その多くが責任を問われる形で会社を去り、長年にわたって『Claire』を停滞させていた旧体制は、事実上、完全に崩壊した。
社内は、一連のあまりに劇的な騒動で、しばらくは落ち着かない雰囲気に包まれていた。しかし、社員たちの反応は、決してネガティブなものばかりではなかった。むしろ、長年の膿を出し切り、クリーンな経営を宣言した若き新社長、一条蓮の手腕を評価し、新しい『Claire』への期待感を抱く声の方が、日ごとに大きくなっていった。
そして、あの嵐のような騒動の渦中にいた紬は、蓮の指示で、しばらくの間、自宅待機を命じられていた。
蓮が住む、あの豪華なタワーマンションで、一人、静かに過ごす日々。窓の外では、いつも通りの日常が流れている。数日前の出来事が、まるで嘘のように、穏やかで、静かな時間が流れていた。
蓮は、黒田派閥が去った後の、会社の体制再建という後処理に追われ、連日、帰りは深夜を過ぎていた。顔を合わせる時間もほとんどない。
広すぎるリビングで一人、紬は、あの役員会議での出来事を何度も、何度も思い出していた。
『生涯をかけて守りたい、ただ一人の大切な女性だ』
あの言葉を思い出すたびに、胸が高鳴り、顔が熱くなる。あれは、本心だったのだろうか。それとも、あの絶体絶命の状況を切り抜けるための、究極のブラフだったのだろうか。
期待したい気持ちと、そんなはずはない、と打ち消す気持ちが、心の中でシーソーのように揺れ動く。
偽りの親子関係は、もう終わった。契約は、事実上、完了したのだ。では、これからの自分たちは、どうなるのだろうか。ただの上司と部下に? いや、あれだけの騒ぎを起こしたのだから、それも難しいだろう。私たちは、これから、どういう関係になるのだろうか。
答えの出ない問いを抱えながら、紬はただ、蓮の帰りを待ち続けることしかできなかった。
そんなある日、マンションのインターホンが鳴った。モニターに映っていたのは、心配そうな顔をした親友の亜美だった。
「つむぎー! 大丈夫なの!?」
ドアを開けるなり、亜美は紬に駆け寄って、その身を案じた。彼女は、事情を全て蓮から聞いた高遠を通じて、おおよそ把握していた。
「あんた、とんでもないことになってんじゃん! っていうか、マジで社長と!? どうなのよ、そこんとこ!」
亜美は、心配しつつも、興味津々といった様子で問い詰めてくる。その変わらない明るさに、張り詰めていた紬の心は、少しだけ和らいだ。
「…どうって言われても」
「どうって、決まってんでしょ! あの告白、本気に決まってるじゃない! あんたも、社長のこと、好きなんでしょ?」
亜美のストレートな言葉に、紬は顔を赤らめて俯く。
亜美の言葉に勇気づけられはしたものの、夜、一人になると、やはり不安が胸をよぎる。蓮から届くのは、『もう少し待っていてくれ』という、短いメッセージだけ。その一言を頼りに、紬は不安な夜を過ごしていた。
ふと、紬は思う。このまま、蓮の言葉をただ待っているだけでいいのだろうか。彼に甘えて、全てを委ねてしまっていいのだろうか。
違う。そうじゃないはずだ。
私は、自分の足で、ちゃんと立たなくては。彼に守られるだけの存在ではなく、一人の人間として、これからのことを自分で考えなければ。
会社に戻るのか。それとも、これを機に、全く新しい道に進むのか。
紬は、嵐が過ぎ去った後の静かな時間の中で、自分の未来と、そして蓮との関係について、真剣に考え始めていた。どんな結末になっても、後悔だけはしないように。




