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社長命令で隠し子のフリをしていた地味な経理OL、クールなはずの御曹司にいつの間にか溺愛されて、極上のシンデレラになってしまいました。  作者: 水凪しおん


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第1章:青天の霹靂は社長室で

【登場人物紹介】


白石しらいし つむぎ 26歳。

大手アパレル会社『Claireクレール』の経理部で働く、ごく普通のOL。真面目で誠実だが、少し気弱なところがある。数字に強く、細かな変化によく気づく洞察力を持つ。


一条いちじょう れん 32歳。

海外支社から帰国し、若くして『Claire』の新社長に就任したイケメン。創業者一族だが傍流のため社内基盤が弱く、古参役員たちと対立している。クールでポーカーフェイスだが、情に厚く、一度懐に入れた人間は絶対に守るという強い意志を持つ。


黒田くろだ 康介こうすけ 58歳。

副社長。『Claire』を長年牛耳ってきた保守派閥のトップ。蓮の失脚を狙い、様々な策略を巡らせる。


高遠たかとお あきら 35歳。

蓮の忠実な秘書。冷静沈着で有能。蓮の無茶な計画の唯一の共犯者であり、紬のことも陰ながらサポートする。


佐藤さとう 亜美あみ 26歳。

紬の同期で親友。広報部所属。明るくサバサバした性格で、紬の良き相談相手となる。

 カチカチと無機質な音を立てるキーボード、淡々とめくられる伝票の束、そして時折響く電卓の打鍵音。白石紬の世界は、そんな音で構成されていた。

 大手アパレル会社『Claire』。表向きは華やかなファッション業界だが、その心臓部である経理部の空気は、いつだって静かで、少し埃っぽい。紬は、その片隅で数字と向き合う、しがないOLだ。派手さとは無縁の、黒髪に控えめなメイク、ネイビーのカーディガンが彼女の定位置だった。真面目だけが取り柄。それが、白石紬という人間の自己評価であり、周囲からの評価でもあった。

 そんな彼女の平凡な日常に、突如として小さな、しかし確実な波紋が広がったのは、つい最近のこと。新しい社長が就任したのだ。

 一条蓮。三十二歳。創業者一族の傍流でありながら、海外支社で驚異的な実績を上げて凱旋し、若くしてこの大企業のトップに立った男。社内報で見た彼の写真は、現実味がないほどに整っていた。非の打ち所のないスーツの着こなし、冷たさを感じるほどに知的な眼差し、そしてモデルかと見紛うばかりの美貌。女性社員たちの間では、彼の話題で持ちきりだった。その完璧すぎるスペックは、憧れと同時に、一種の畏怖を抱かせるのに十分だった。そして、その就任劇が穏便なものではなかったことも、社内では公然の秘密となっていた。先代社長の派閥、特に黒田康介副社長を中心とした古参役員たちとの間に、冷たい緊張が走っている。新しい風を吹かせようとする若き獅子と、古き城を守ろうとする老獪な狐たちの戦い。経理部にいると、会社の金の流れから、その不穏な空気が肌で感じられた。

 もちろん、そんな雲の上の話は、地を這うように仕事をする自分には関係のないことだ、と紬は思っていた。この波紋が、まさか自分の足元にまで及ぶとは、夢にも思わずに。

「――白石紬さん、いらっしゃいますか」

 内線電話から響いたのは、凛とした男性の声だった。紬が「はい、白石ですが」と答えると、フロアにいた全員の耳が、見えないアンテナのようにこちらを向いたのが分かった。

「社長秘書室の高遠と申します。一条社長が、至急お話があるとのことです。恐れ入りますが、最上階の社長室までお越しいただけますでしょうか」

「……え?」

 聞き間違いだろうか。社長が、この私に? 経理部の、その他大勢の、白石紬に?

 紬の頭は真っ白になった。高遠と名乗る秘書は、こちらの困惑などお構いなしに「社長室でお待ちしております」と一方的に電話を切った。

 シン……と静まり返ったフロアで、全ての視線が自分に突き刺さるのを感じる。経理部長が「おい、白石、何かやったのか?」と探るような声をかけてくる。同僚たちは、好奇心と、そして少しの憐れみが混じった目でこちらを見ていた。

「いえ、何も……心当たりは……」

 か細い声で答えるのが精一杯だった。心臓が、肋骨を内側から激しく叩いている。何か、重大なミスをしでかしたのだろうか。数字が合わない? どこかの部署への支払いが遅れた? 考えれば考えるほど、無数の可能性が頭を駆け巡り、血の気が引いていく。最悪のシナリオ――『クビ』の二文字が、脳内で点滅していた。

 重い足取りでエレベーターホールへ向かう。最上階のボタンを押す指が、小さく震えていた。上昇していく箱の中で、紬は必死に呼吸を整える。大丈夫、きっと何かの間違いだ。同姓同名の別人かもしれない。そんな淡い希望は、エレベーターの扉が開き、社長室の前に立つ秘書の姿を見た瞬間に打ち砕かれた。

「白石紬様ですね。高遠です。お待ちしておりました」

 写真で見た社長によく似た、涼やかな目元の男性――高遠彰が、感情の読めない表情で一礼した。

「こちらへどうぞ。社長がお待ちです」

 促されるまま、重厚なマホガニーの扉の前に立つ。高遠が恭しく扉をノックし、中から「入れ」と低い声が聞こえた。その声だけで、背筋が凍るような威圧感があった。

 ギィ、と音を立てて扉が開かれる。息を呑むほどに広々とした、洗練された空間。床から天井まで続くガラス窓の向こうには、東京の街並みがジオラマのように広がっている。そして、その絶景を背にして、一人の男がデスクに座っていた。

 一条蓮。

 写真で見た以上の、圧倒的な存在感。完璧なシルエットのチャコールグレーのスーツ。寸分の隙もなく結ばれたネクタイ。そして、こちらに向けられた、まるで全てを見透かすような黒い瞳。冷たいほどに美しい、と誰もが評するその顔は、今は何の感情も浮かべていなかった。

「……失礼します。経理部の、白石紬です」

 かろうじて声を絞り出す。蓮は何も言わず、ただじっと紬を観察していた。頭のてっぺんから、靴のつま先まで、値踏みするように。その沈黙が、紬の不安を極限まで煽った。何か言われる方が、どれだけ楽だろう。このまま、彼の視線に射抜かれて溶けてしまいそうだった。クビだ。絶対にクビだ。もう、それしか考えられない。

 長い、長い沈黙の後、蓮は静かに口を開いた。その声は、彼の見た目と同じように、低く、冷ややかで、けれど不思議と耳に残る響きを持っていた。

「単刀直入に言う」

 ゴクリ、と紬は無意識に喉を鳴らした。来る。宣告が、来る。

 蓮は、探るような視線をそのままに、紬の人生を根底から覆す言葉を、静かに紡いだ。

「君に、俺の娘になってもらいたい」

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