第六十一話 第十四章「魚御崎の漁師小屋」其の七
離れて瑠璃が相変わらず壁に手を突きながら息をぜえぜえと荒くし、琴音を睨み付けるように見ていた。
「わたしも行く」
ほとんど間髪入れず琴音は言った。
「あなたと一緒にその霧の領域へ行きたい。それがわたしの第一の目的だもの。自分の父親を捜すことが」
「それなら一緒に行こう」
泰雅は急いで言った。
「蛇眼も解いてくれたみたいでありがとう。もうひとつ、その手に持った小刀を収めてくれないか?」
琴音は小屋のような狭い場所でも扱いやすい小刀を構えた手を下ろしながらも、瑠璃の動きに警戒するように見据えながら言った。
「いいわ。その霧の領域へ行ってお父さまを探したいもの。ところでおまえにもききたいことがふたつほどある」
「いいよ。なんだい?」
泰雅はなるべく平静を保って答えた。
「自分は母上の鈴之緒雪音から蛇眼の手ほどきをうけた」
琴音は言った。
「北方王国連合では他に蛇眼を扱える人間がいなかったのと、母上は抜群に蛇眼が優れていたからよ」
琴音は言い、続けた。
「母上は一度に多人数へ蛇眼をかける“多数掛け”ができたわ。また他の蛇眼族にも脱出できるはずの蛇眼を脱出できないようにかけることもできて、それは蛇眼を超える“龍眼”と呼ばれて他の蛇眼族にも恐れられたと聞いたわ。」
「それは知ってる」
泰雅は同意した。
彼はそんな話を聞いたことがあった。
「わたしの母上は本当に凄かったのよ」
琴音は言った。
「そしてわたしはそんな母上のただひとりの蛇眼の弟子よ」
琴音は自分の胸に自分の手の指を突き立てながら言った。
「本当に?他の蛇眼族には教えなかったの?」
泰雅が思わず言うと、琴音は
「本当よ。そもそも北方王国連合に蛇眼族はいなかったし、母上はあたしに教えた後で蛇眼を捨ててしまったの」
「蛇眼を捨てた⁈」
泰雅は驚いた。
「生きて行くのに不要なものと思ったんでしょうね」
琴音は言った。
「とくにわたしの父上と生きて行くのには」
一瞬しんみりとしたが、それから勢いを取り戻すように言った。
「ところがおまえには全然その蛇眼が通用しない。おまえだけでなく、おまえの相棒にもだ」
泰雅が見ると瑠璃は相変わらずただ息を荒くして漁師小屋の壁に寄りかかり、琴音を睨んでいる。
琴音の蛇眼からは脱しているようだった。
「これはおまえがやったことなのか?」
琴音は泰雅に尋ねた。
「おまえは“おわらせるもの”だと母上が言っていた。本当は母上がなるはずだったがおまえにゆずったと」
「その通りだ」
泰雅は認めた。
「それなら、」
琴音は続けた。
「この蛇眼からの脱出も”おわらせるもの”としてのおまえの能力なのか?」
と泰雅に尋ねる。
「正直言ってわからないんだ」
泰雅は答えた。
「ただ自分には他人の蛇眼を無効化する力はあるようなんだ」
「それこそ“おわらせるもの”の力よ!」
琴音は大声を出した。
そして言った。
「あなた、神奈ノ国につくのなんか止めて北方王国連合でわたしたちとともに戦いなさいよ!それが次にあたしが言いたいことよ。あなた、“おわらせるもの”なんでしょう?北方王国連合は真叡教成錬派の国よ。成錬派の伝説の人物を敵とみなすわけがないわ」
「北方王国連合の人が認めてくれたら、だけどね」
泰雅は返した。そして瑠璃に語ったのとはまた別の説明をした。
「僕ははじめから北方王国連合と戦うつもりはない。”蛇眼破りの声“の持ち主を襲撃するのに参加したのもただそう命令されたからだ。僕はこれからは中立だ。そして全ての蛇眼族に南之大島への移住を進言する。僕はその先導者になる」
「そうなのか…」
琴音はしばらく考え込むようにしていたが、やがて
「なんにせよ、わたしはあなたとともにその霧の領域へ行かねばならぬようだ。父上を探し出し、北練井に連れ戻すのがわたしの最も重要な目的なのだからな。そしてそれまではおまえを北方王国連合の忍者団などに捕えさせてはいけないようだ。なにせわたしはおまえがいなければその霧の領域にすらたどり着けないのだからな」
と言った。
泰雅はこの、鈴之緒琴音と名乗る女性に親近感すら覚えていたが、この言葉には流石に安心した。
もう北方王国連合の追っ手と戦わなくて良いのだ。
泰雅はそんな気持ちを胸に隠しながら言った。
「僕も君の父上に憑りついているといわれた僕の父上に会いに行かなくちゃいけない。会ってそんなことを止めさせなくてはいけない」
「わたしも行く!」
瑠璃がいきなり大きな声を出した。
泰雅と琴音は驚いて瑠璃のほうを見た。
瑠璃はもう普通の呼吸で、蛇眼から逃れた直後の荒い息はしていなかった。
もう体を支える必要もないらしく、腕を壁から外して突っ立っている。
「あなたひとりじゃあまりに頼りないし、その女の人鈴之緒家の娘なんでしょ⁈」
瑠璃は大して歳も違いそうにない琴音を指差した。
「だったらあなたの父親は仇じゃないの⁈どちらにせよ、あなたと彼女だけなんて危うすぎる」
琴音は瑠璃の主張に半ば呆れながらも一抹の嫉妬を感じていた。
「その女の人、蛇眼を持ってるし」
と瑠璃は畳み込んだ。
「安心するがいい」
琴音は言った。
「この人はおわらせるものだ。わたしごときの蛇眼が通用するとは思えない」
琴音は続けた。
「それにこの人にはどうも他人の蛇眼を無効化する力があるようだ。おまえもそばにいてわかるだろう?」
それでも瑠璃は琴音を睨み付けるのを止めなかった。
ともあれ、これで堅柳泰賀が明日にでも霧の領域へ向かうことが決定した。
しかも鈴之緒琴音と、自分も一緒に行くと言ってきかない海堂瑠璃というふたりの若い女性を伴ってのことだった。




