第四十二話 第十二章「海龍研究所」其の四
「まずミズトカゲを見せてもらおうか。それからこの若者ふたりを君に紹介しないとな」
成礼と泰雅は為之助に軽く頭を下げて礼をした。
為之助はそれに応えるようにみなを大きな桶を置いている場所まで案内した。
桶は木の床の上に無造作に置かれており、窓からの日差しが当たっているせいか、少しぬるい水が張っている。
そしてその中に三匹のミズトカゲの子供がいた。
真っ黒な体をしており、小さい四本足と尻尾をさかんに動かして三匹はじゃれ合っていた。
子猫よりも小さいだろうか。
大きな黒い頭部にちょこんとついた小さな両目を開閉させ、大きな口を開閉する度に口のなかの肌色、大人と同じような紅色の二股の舌、生え始めたばかりの歯が見える。
体表面の粘膜のせいか、三匹はヌメヌメして見える。
水をピチャピチャさせる音がしていたが、鳴き声は無かった。
「まあ、かわいい…」
瑠璃が思わず声を上げる。
「かわいいでしょう?」
為之助はにやりとして片手を伸ばし、桶の中の一匹に触れた。
龍治と瑠偉はそれを真似るようにそれぞれ別のミズトカゲの子供の背中を撫ぜた。
泰雅と成礼はそれを後ろから見ていたが、成礼が
「質問しても良いですか?」
と為之助に声をかけた。
「いいとも。なにかな?」
と為之助と龍治が応じる。
「ミズトカゲは海龍の幼生なんですよね?」
成礼は尋ねた。
「ああ。それがなにか?」
龍治が応えた。
「これらのミズトカゲには海龍にある角がありません」
成礼は言った。
「大人になったら生えてくるのですか?」
「そこなんだ」
龍治は片手で桶の中のミズトカゲの子供の一匹の背を撫ぜながら言った。
「ミズトカゲはほとんど北芹河の固有種みたいなものだ。他の地域で生息しているのを聞いたことが無い。知ってるな?」
「はい」
「そのうちあるものは大人になると角やら毛が生えて、体も大きくなって海龍になる。そしてとんでもなく長生きする。それではすべてのミズトカゲがそうなるか?いや、違うな。他の多くのミズトカゲはミズトカゲのまま角も生えずに一生を終えるんだ」
「それなら、」
成礼は食い下がった。
「その違いは何なのでしょう?海龍になるミズトカゲとそうならないミズトカゲの違いは?」
龍治は自らの顎に片手をやった。そして、
「我々はそれを北芹河河口付近の食物にあるとみている」
と言った。
そして続けた。
「一部のミズトカゲは大人になると北芹河の河口付近から浅い海にまで出かけてそこに生えている海草を食べる。知っていたか?」
「…知りませんでした」
「我々ははじめ、その海草に秘密があるとにらんだ。ところが調べるうち、どうも違っているらしいことがわかった。その海草の細胞の中に生息している、ある種の微生物が原因らしいのだ」
「微生物?細胞の中に生息?」
「ああ。慶恩の都にいる、たったひとりの学者の意見だがな。彼は細胞の中を詳しく観察する技術を開発したらしい。水晶玉の中に拡大して光を当てた細胞の像が出せるらしい。我々はそれをきいて彼の元に件の海草を送ったんだ。そうしたら世にも奇妙な答えが返って来た。海草の細胞の中は微生物でいっぱいだったと」
「その微生物なんですが、」
今度は為之助が龍治に報告した。
「北芹河河口の海草より分離に成功しました。それを育てていたのですが、かなり面白い結果が出てます。ほら」
為之助は龍治を小屋の奥の壁に沿って立つ棚にまで案内した。
そこには水槽がいくつか置かれていた。
さっきまで龍治と瑠偉が撫ぜていたミズトカゲの子供よりずっと小さい、それこそ卵からかえったばかりの赤ん坊らしきミズトカゲも数匹、人間の指ほどの大きさで水を浅く張った水槽のひとつのなかでうごめいていた。
成礼はそれを見て気持ち悪そうに顔をしかめたが、泰雅にはそれぐらい小さくなってやっとあの獰猛なミズトカゲもかわいらしく思えた。瑠璃にとっては初めから可愛くて仕方ないらしく、まあ可愛い、とか言ってこちらも後でゆっくり見させてくれるよう龍治と為之助に頼んで目を細めて赤ん坊たちを見つめている。
だが為之助が今回見せたいものはそれではなかった。
「ではこちらのほうを見てください」
瑠璃の願いをきいたあとで為之助は言った。
「水槽のなかに例の微生物だけをいくらか分離し、寄生していた海草を調べて栄養分として与えていたら、面白いことが起こってきたんです」
彼は水槽のひとつを指差した。
皆はそこに信じ難いものを見た。
「海龍の角だ…」
成礼が呟くように声を上げる。
確かにそれはそう見える色とかたちをしていた。
ひとまわり小さな海龍の角といえるものだった。
やや黄色がかっていて、木の枝のように枝分かれしている。
海龍の頭から生えている角をそれだけ取り出してそのまま小さくして水槽のなかにひとつだけ入れたようだった。
驚くべきなのは、その根に当たる部分だった。
確かにその角のようなものを木に例えると、根に当たる部分もあった。
それは木の幹に当たる部位の根元から伸びていた。
そしてイソギンチャクの触手のように枝の部分が伸び拡がっていた。
白くて、細長くて、同じ太さで十本以上の触手のようなものが生えていた。
そしてそれはうごめいていた。
「これ、生きてる…」
泰雅は思わず呟いた。
「そうでしょう?海龍の角は単体で生きているんですよ」
言ったのは為之助だった。
「海草を食べてミズトカゲの体に微生物が入る。そこで頭部の中、つまり脳の中でも増殖して角や毛になってただのミズトカゲを海龍に変えていく、という仮説が成り立つんです」
と為之助は続けた。
「ということは、」
尋ねたのは龍治だった。
「このツノらしきものは一個の微生物が大きく育ったのではなくて複数の微生物が寄り集まって結合して、それぞれ別個に育って大きくなったものなんだね?」
「私はそう思ってます」
為之助は慎重に答えた。
「なぜこの微生物にそんなことができるのかわかりませんが」
龍治はしばらく立ったまま黙ってうつむき、考え込む風にしていたが、
やがて自分ごときが考えても仕方ないといった様に両肩をすくめた。
「まあ、海龍の秘密にまた一歩近づいたといったところだな。為之助さんの大手柄といったところだ」
「そんな…」
為之助はまた頭を掻いて謙遜した。




