第三十七話 第十一章「母と息子」其の一
矢本奈央は屋敷の庭のほうに人の気配を感じた。
蛇眼の忍団か?
襲撃がこの間あったばかりだっただろうか、全身に緊張感が走る。
だが彼女の予想ははずれた。
忍者の代わりに庭の茂みから現れたのは小さな男の子だった。
息子の純太郎だ。
奈央はほっとした。
と同時におどおどした様子の純太郎を見てこの二、三日の彼の変わった態度を思い出した。
奈央の胸に黒い雲がよぎる。
「どうしたの?こんな夕方に?」
精一杯の笑顔をつくってひとりで友達も兄弟もおらずたよりなげに歩き回っていたであろうひとり息子に向ける。
そもそもそれが間違いなんだわ、と母親の奈央は思う。
純太郎はいつも悩みができるとひとりで抱え込んでしまう。
そんなとき一緒に遊んだりして気晴らしをしてくれる友だちも兄弟もいない。
落ち着いたら純太郎を友だちに囲まれた環境に置いてあげるか、
弟か妹を作ることを考えてあげないとな…と思う。
ただそれには時間が要る。
それまでは大人が彼と同じ高さの視線になってときにはじっくり語ることも必要ではないだろうか。
奈央の頭にふとそんな想いがよぎった。
純太郎はこの二、三日と同じく情緒不安定な様子でおどおど、そわそわしている。
奈央はいきなり幼い息子のことがたまらなく愛おしくなった。
「ここまで上がっておいで」
畳の部屋のなかで立つ奈央が小さく手招きすると、
庭にいた純太郎は小さな草履を縁石で脱いで板間の縁側まで上がってきた。
奈央は純太郎のいるところまで出て行くと、しゃがみ込んでいきなり彼を抱き締めた。
純太郎はさすがにびっくりした顔をした。
「ははうえ⁈」
純太郎は驚きながらも母親の奈央に話しかけた。
「なあに?」
奈央は応じた。
「ははうえはあぶなくなるといつもおにになるの?」
純太郎はきいた。
奈央は一瞬はっとしたようになり、考える表情をしたが、すぐになにかを決意したように純太郎を抱いたまま話し始めた。
「ねえ純太郎、」
奈央は息子に話しかけた。
「なあに、ははうえ」
純太郎は答えた。
「母上はね、これから蛇眼族と戦いにいく兵隊さんたちに“蛇眼破りの声”をかけるお仕事をしているの。母上にはそれができるの。彼らはそれで悲惨な戦い方をしなくてすむの」
「うん」
「でも母上にもお仕事を始めた時期があったの。それでわたしのせいで蛇眼族の敵の人がたくさん死んでいくのを見たの。それで母上は取り乱しちゃったの。いまのあなたみたいにね」
「うん」
「そして母上はそういう汚いとされる仕事を他の人にすべてしてもらうことにした。それでわたしのなかに邪鬼姫が生まれることになった。わかるわね?」
「うん」
「邪鬼姫は嫌われ者になったわ。でもそのおかげで母上はいい人でい続けることができたのよ」
「じゃあじゃくひめはいいひとなの?」
純太郎は尋ねた。
奈央は首をかしげて答えた。
「ある意味そう言えるわね。でもわたしはそのことに対して一度もありがとうと言ったことがなかった。それがこの間も彼女が現れた理由よね。彼女はきっとそう言われるのを待ってる。今度現れたら、ははうえは邪鬼姫に間違えなくありがとうを言うつもり」
「じゃくひめは、またあらわれるの?」
純太郎は弱気になったように声を震わせて尋ねた。




