第二十六話 第九章「逃避行」其の四
「奈央さんと純太郎くんには後で会いにいくわ」
琴音は言った。
「でも私はそれからすぐ一人ででもお父さまを探しに行きたいわ。実はあなた方に助っ人をお願いできないかと思っていたんだけど、とても人員を割くお願いが出来る状況じゃなさそうだし」
「本当にすみません」
純史郎は琴音に頭を下げた。
「我々も散り散りになった襲撃隊の足跡を追うのに精一杯で…でも大丈夫ですか?我々も襲撃隊残党の一人も捕えられていないんです。もし彼らのうち一人とでも会ってしまったら…」
「それよ、」
琴音は指摘した。
「わたしじゃなくてわたしのお父さまが彷徨っているうちにその襲撃隊の残党ってのに出くわしちゃう可能性だってあるわけでしょ?」
「はい…」
「もしそうなったらしゃれにならないわ。だったらなおさらお父さまを一刻も早く探し出して保護しないと」
「ちょっと待ってください」
純史郎が言った。
「蒼馬さまのことですが、練安城攻防戦の後、北の方向にふらふらと去って行かれたという話があります」
「ええ。わたしも聞いてるわ」
「それとさっきの素人みたいな襲撃隊員の話なのですが、彼だけがここより北、海沿いの方向へ逃れたようなのです」
「え…それってお父さまと同じ方角…」
「そうです」
「…わかったわ。もしお父さまが海に向かったのなら、わたしも追うわ。襲撃隊より先にお父さまをかくまえばいいだけの話よ。いますぐ行きたいと思う。いいわね?」
「待ってください」
純史郎は言った。
「蒼馬さまに関しては、我々ももうちょっと正確な情報を収集してみます。それと出る前に奈央と純太郎に会ってくれますか?」
「そうだったわ!すぐ会いましょう」
琴音は父のことを考えると気が急いたが、はじめにした約束もあった。
まずは奈央さんと純太郎くんに会わないと。
それからすぐ、自ら父を探す旅に出よう。
他の誰も助けてくれたり、より詳しく知っていたりしないのだから。
琴音は純史郎と彼の部下ひとりに奈央姫のいるところまで案内された。
そこは屋敷の奥であった。
「琴音ちゃん!」
奈央姫が琴音の名を呼ぶ声が響いた。
「純史郎たちから来たのを聞いたわ。こんな状況でお茶もお菓子も出せずごめんなさいね」
奈央姫にとって琴音はいつまでたっても一緒に戯れる幼子であるかのようだった。
「奈央さん!」
琴音も奈央姫に呼びかけ、駆け寄って抱き合い、ふたりは再会を喜びあった。
「奈央さん。聞いたわよ。大変な目に遭ったんでしょう?」
琴音は言った。
「うん。たしかに大変だった」
奈央は答えた。
「でも純史郎たち警護団のみんなが頑張って守ってくれたお陰で、結局無事だったの」
「そう。良かった…」
琴音は実際安堵した。やはり直接顔を見て納得できることもある。
「それで、純太郎くんは?」
琴音は尋ねた。
奈央姫の表情が再会と無事を喜ぶ笑顔から、一転して曇るのがわかった。
「純太郎もずっと純史郎が守ってくれたお陰で無傷だったんだけど…」
「…だけど?」
琴音は純史郎からきいた話を思い出し、嫌な予感がした。
「それがね、」
奈央姫は言いにくそうだった。
「襲撃隊が来たとき、無意識に邪鬼姫が出たみたいなの」
「邪鬼姫?純史郎さまからも聞いたわ。いったいだれのことなの?」
琴音は改めて本人に聞いてみた。
「わたしよ」
奈央姫はあっさり打ち明けた。
「純太郎や琴音ちゃんは知らないでしょうけど、わたしが“蛇眼破りの声”が出せなくなって悩んでいたとき、わたしの人格から無意識に分裂して、代わって“蛇眼破りの声”や神通力のある声を使いこなしてたの」
「へえ…」
琴音は思わず言った。
その話だけを聞くと、奈央には失礼かもしれないが大して問題は無さそうに思われた。
「でもちょっと性格に難があってね、」
奈央姫はさすがに言い辛そうであった。
「わたしのお父さまの領地の矢本の郷で、さんざん悪さをしていたみたいなの」
「どんな?」
こんな話は初めてだった。
琴音は興味から尋ねた。
「たとえば、」
奈央は正直に答えた。
「動物と話ができるからといって村の人の家畜たちを夜に勝手に放して一緒に遊んでたりとか…」
「まあ…」
琴音が返す。彼女も小さな頃はおてんば娘として知られたが、さすがにこれは駄目だとわかる。
「そして不思議なことに、昼間のわたしはなんにも覚えてないの。はじめはお父さまも庇ってくれてたんだけど、そのうち庇いきれなくなってわたしは矢本の郷にいるのが難しくなったの。そこへちょうど二王国連合忍者団のイズクメさんたちとあなたのお母さんの雪音さま、そしてお父さまの蒼馬さまとかが来て、いっしょにイカルガ王国に連れて行ってくれたの」
「そう…」
「そこでも色々あって結局邪鬼姫とわたしはふたたびひとつになって、現在にいたるというわけなの。このあたりの経緯はあなたのお母さまの雪音さまのほうが良く知っていると思うから今度きいてみてね」
「うん。そうする。ところで純太郎くんは…」
「琴音おねえちゃん!」
突然後ろから叫び声がきこえた。
琴音が素早く振り返ると、そこに話題の主がいた。
「純太郎くん!」
琴音も叫ぶと、ふたりはお互い駆け寄って抱き合い、再会を喜んだ。
幼い頃は、もっと幼い純太郎とよくこうやってじゃれあうように遊んでいたものだ。
懐かしいな。琴音は素直にそう思った。
「純太郎くんもお母さんも無事で良かったねー!お父さんががんばってくれたからだよ!」
「うん!」
純太郎も嬉しそうにうなずいた。だがすぐにその幼い表情を曇らせる。
「みんななんともなかった。そしてははうえはおにになった」
「奈央さんが?鬼になった?」
琴音は純太郎の目を見た。
純太郎は琴音の向こう側にいる母親を見ていた。
その両目は怯え切っていた。
「じゃくひめっていうおになんだって」
純太郎は怯えた目で母親を見たまま言い、母親の奈央姫はただ悲し気に息子を見返した。
「純太郎くん、」
琴音は正面から純太郎の両肩に両手をおいた。
「わるいひとたちがおそってきたときはね、みんなたいへんだったの。あなたのおかあさまもね、あなたをまもるためにおににならなくちゃいけなかったのよ」
「ははうえは…」
純太郎は怯えた目のままでもう一度言った。
「ははうえは…おにになった!」
そして踵を返すと再び部屋を走り出て行ってしまった。
「またか…ずっとあんな感じなんです」
純史郎が部屋の中に入って来て言った。
琴音は驚いていた。
純史郎の一家といえば、まるで全員が友達のような仲の良さがあった。
少なくとも琴音の記憶のなかではそうだった。
そんな一家だからこそ、それが崩れたときの純史郎、そして純太郎の困惑が琴音にも何となくわかった。
いざというときの母親を見てしまった純太郎に寄り添わず立ち去るのはためらわれた。
しかしいまの琴音にはやらなければいけないことがある。
自らの父親を探し出し、連れ帰らなければいけないのだ。
「純史郎さん、」
琴音は語りかけた。
「わたしはこれから自分のお父様を探しに行かなくちゃいけない。今すぐにね。だから純太郎くんが精神的に不安定なのは心配だけどわたしは彼を残してひとり行かなくちゃいけない」
「はい」
純史郎は神妙にうなずいた。
「ただわたくしどもも、手が空いた者から琴音さまの後を追わせます」
「ありがとう。こんなときに」
琴音は礼を述べて続けた。
「ただわたしはいざとなったらお母さま譲りの蛇眼も使えるし大丈夫よ。それよりいまの純太郎くんに必要なのはお父さんだと思うの」
「えっ、つまり、わたしですか」
「そうよ」
琴音は純史郎の忍者らしからぬ戸惑いになんだか可笑しくなった。
「純太郎くんに父親として説明して、また今までみたいにお母さまを受け入れられるようにしてあげて」
「えっ、でも…」
純史郎は頼り無げな表情をした。
「奈央は説明しないでって言ってるんです。その、わたくしたちが矢本の郷を訪れたときの、邪鬼姫が頻繁に出ていた頃の奈央の様子を…」
「そこを父親のあなたに頑張ってもらいたいのよ。頑張って純太郎くんにも納得させて」
純史郎はしばし何かを考える風であったが、やがて意を決したようにうなずいた。
「わかりました。これもひとつの機会ですし、わたしから純太郎に話してみます」
「ありがとう。わたしからもお願いするわ」
そう言う琴音に純史郎は、では、と言わんばかりに地図を広げて道案内を始めた。
襲撃隊のひとり——実は堅柳泰賀なのだが——がたどったとされる、北の海に通じる道であった。
地図と忍者食の食糧をもらい、道も確認した琴音は早速出発することにした。
彼女は颯爽と馬にまたがると、
「じゃあね!」
と言い残して心細そうな表情を残す矢本一家の三人を後にすることになった。




