第十九話 第八章「作戦決行」其の三
奈央姫は畳の敷かれた部屋に座っていた。
森のなかに人の気配があったと夫の純史郎から聞いて驚いていた。
彼女自身は全く気が付いていなかったのだった。
「まあ⁈そんな大変なところに⁈」
応える奈央姫にいまや夫となった純史郎は、
「まったく君は相変わらずだな。まあそれが君のいいところでもあるんだけど」
と半ば呆れ顔、もう半分はそれでも愛し続ける顔で妻を見つめた。
「ずいぶんと間抜けな偵察隊だと思う、俺も。あんな気付かれる場所で、あんなに気配を出してまるで素人だからな」
「はい…」
矢本奈央姫は北方王国連合で最も強力な“蛇眼破りの声”の持ち主であり、一方でどこか呑気なところもある純史郎の妻であり、純太郎の母であった。
純史郎はそんな妻を見つめながら言った。
「どちらにせよ今晩彼らが行動を起こすかもしれない。見きわめがつくまで護衛をより厚くすることを理解して欲しい。きみも、おれたちの純太郎も」
「まあ…」
さすがに奈央姫も自分の息子のこととなると真剣な表情となった。
「純史郎さん、純太郎だけはしっかり守ってくださいね」
「もちろんだ。いまから見に行くところだ」
純史郎は答えて周りの部下たちに目くばせし、部下たちは無言でうなずいた。
そして純史郎は息子の様子を確認するために一時そこを離れた。
「まったく、とんだど素人だな」
今回矢本奈央姫の襲撃を計画するにあたって首領に任じられた蛇眼の忍団の初老の男は、偵察に向かわせた蟋蟀と堅柳泰雅の報告を聴いて二人の若者をまじまじと眺めた。
蟋蟀と泰雅は立ったまま身を縮こませた。
次はどんな怒りの言葉を聞かされるのだろう?
蟋蟀と泰雅は、予定通りの場所、予定通りの時間に奈央姫がいるかどうかそれだけを確認するように命じられ、低い山をひとつ超えて偵察に向かったのだった。
だが二人とも偵察の初心者だった。
偵察で奈央姫が予定通りいることがわかった。
そして蟋蟀と泰雅はその後どうやら気付かれたらしいとありのままを報告したのだった。
首領は当然あまりに気付かれやすい場所から偵察を試みたふたりを叱った。
だが首領は不思議なほど粘着的では無かった。
ただ簡潔に、
「襲撃は今夜予定通り行う」
と告げただけだった。
泰雅は驚いた。
自分の隠密行動の失敗を受けて、襲撃は延期されるものと思っていたからだった。
「延期しないのですか?」
思わず泰雅は尋ねた。
「王府よりそう命令されている。おまえを偵察に向かわせ、即日襲撃せよと」
泰雅は唖然とした。
自分が偵察に行かされ、襲撃を試みるまでが指示されている。
泰雅は思わず首領を見返し、またどきりとした。
首領がこちらを何とも言えない、憐れみと同情の混じったようなまなざしで見つめていたからだった。
泰雅は、
「もしかして…智念様からの命令なのですか?真叡教斎恩派の…」
と目の前の首領に尋ねた。
首領は
「私は王府からのみ命令を受けている」
と言い、周りにいる他の作戦隊員も含めて、
「今夜襲撃を決行する。準備しておくように。ここも気付かれるかもしれんから、見張りを増員してその気配があったらすぐ逃げんとな」
とだけ伝えてその場を立ち去ってしまった。
残された泰雅は考えた。
どうもおかしすぎる。
これはなにかの罠だ。
自分になるべく多くの行動をさせ、その過程でなにか失敗をするよう期待している。
失敗とはすなわち、死のことだ。
自分はこの作戦が失敗し、死ぬことを期待されているのだ。
泰雅にはそんなことを期待しようとする人間はひとりだけしか思い付かなかった。
だからさっき首領にこの命令は智念が関係しているのかと訊いたのだった。
首領は知らなかったが、感づいてはいるようだった。
だからさっきあんな顔で泰雅を見たのだろう。
泰雅は今さらながら一部の真叡教斎恩派の僧が王府に及ぼす影響について恐れを感じずにはいられなかった。
そして智念も間違いなく影響を及ぼし得る僧のひとりであること、その標的が自分に向けられていることにさらに恐れを抱いた。
まさかそこまでするとは思わなかったのだった。
そして戦時下という非常事態においてそんな腐りきったことをする真叡教斎恩派にも。
このままではこの戦は負ける。そんな気がした。
「なあ泰雅くん、」
泰雅の肩を叩いて話しかけてきた人間がいる。
蟋蟀だった。
「今回の作戦はなんかおかしい。今こんな状況で奈央姫を襲撃したところで返す刀で逆襲されてさんざんにやり返されるに決まってる。相手もそんなに馬鹿じゃない」
「うん…」
「ほんとにまずい状況になった場合、俺たちはまず逃げるように言われてる。俺たちの立場で捕まると悲惨だからね。泰雅くんはそういう状況でどうするように言われてる?」
「いや、別にどうしなさいとかは言われなかったけど…」
「ひどいな。まるで素人なままでこの状況に放り込まれたんだ?」
「うん…」
いまや友人となった蛇眼の忍団の若者は、泰雅にぐっと顔を近付けた。
「なあ、泰雅くん?」
「はい?」
「俺たちは何かあってまずいことになったらすぐ逃げるように言われてる。クモの子を散らすようにね。それで各々(おのおの)逃げ帰って安全な場所で落ち合うんだ。ここから遠く離れた場所で」
「そうだったのか…聞いてなかった」
「な、そうだろう?なんかおかしいんだよ、泰雅だけ生き延びる手段を与えられてないって」
「まあ自分は蛇眼の忍団じゃないし…」
「それにしてもだよ。そこでだ、泰雅にもなにかまずいことがおこったらみんなと同様に逃げて欲しいんだ」
「…わかった。まず逃げることを考えるよ」
「ああ。それでまず俺と落ち合おう。逃げ切ったらまずここに来ればいい。そこに俺もいるはずさ、うまくいけば」
「わかった。ほんとにありがとう」
そこで仲間のひとりが蟋蟀を呼び、彼はすぐ行きます、と返事をして泰雅に軽く会釈をすると離れていった。




