第五話 具現化する叡智
風車の修理を約束してすぐに、識は作業に取り掛かることにした。村人たちは、識が本当にドワーフ製の古い風車を直せるのか、半信半疑の様子で遠巻きに見ていたが、識にはもはや迷いはない。
「ガインさん。回転が停止したら風車を固定して、まずは壊れた制御装置の部分と、摩耗のひどい歯車を外してもらえますか?」
識は風が止み風車が止まるタイミングで指示を出した。頷いたガインは村の職人たちに声をかけ、彼らは慣れた手つきで風車の部品を分解し始める。このくらいのメンテナンス方法は、今でも残っていたようだ。識はその作業の様子を注意深く観察する。どこに識が思いもよらないようなドワーフの仕掛けが潜り込んでいるかわからない。しかし、観察している一方で、彼の頭の中ではすでに風車の改修案が構築され始めていた。
だが、識はすぐに最初の問題に直面した。
(あ、そういえばこの世界ってスケールもノギスもないのか……。これじゃ、正確な寸法が測れない。どうしたもんかな……)
地球では当たり前のように使っていた測定機器が、ここにはない。識は、元の世界で何気なく使っていた測定機器や長さの単位を発明した過去の偉人たちに、改めて頭が下がる思いだった。失ってみて初めて、それらがどれほどの叡智の結晶であるかに気がついたのだ。
(一応俺の体を使えば、正確さはさておき『ヤード・ポンド法』の再現は可能か。まずはそれでスケール作りから始める必要があるかな?)
識は、そうぼんやりと考えながら取り外され床に置かれた風車の歯車を眺めていた。損傷が激しく、今にも壊れそうなその歯車をどうにか直すか、あるいは新しいものを設計し直すか。どちらにしたって、まずは正確な寸法を把握しなければどうしようもない。
その時、識の視界に突然の異変が起こった。
「なんだ……これ……?」
戸惑うのも無理はない。何故なら、目の前の歯車に寸法らしきものが表示されていたからだ。歯車の外径、ピッチ円直径、モジュールから中心軸の軸径に至るまで、識の要望に応えるかのように表示される。まるで自分自身が三次元測定機になってしまったかのような感覚に、識は驚き戸惑う。
(しかもこの数値……もしかしてメートル法じゃないか……!?)
慣れ親しんだメートル法の数値でおおよその目算をしていたのだが、考えていた数値にほど近い数値が空中に浮かんでいる。これにより、俄には信じがたい思いではあるものの、識は視界に映る物体の正確な寸法測定が可能であることに気がついた。
彼は慌てて風車小屋を飛び出し、ガインに何か書くものはないかと問いかけた。
「紙?ペン?いや、悪いがここにはない。我々には必要がなかったからな……。それがないと直せないのか?」
ガインは困ったように識を見ている。識は頭をフル回転させた。
「いえ、大丈夫です! それなら木の板と、それと……矢でも構いません!」
識の言葉に、リリアがすぐさま駆け寄ってくれた。
「任せて! すぐに用意するわ!」
リリアは驚くほど早く、村のどこからか手頃な木の板と、魔力が通っていないシンプルな木の矢を持って戻ってきた。識は感謝を伝え、慌てて風車小屋内部へと戻る。いつ寸法表示が消えてしまうかもわからないからだ。
戻ってみると、幸いにも視界の寸法表示は消えていなかった。識は心を落ち着けて、木の板に歯車の三面図を書き始めた。床に木の板を置き、矢を短く折って鏃をペン先とし、即席のペンを作る。魔力の通っていない矢は驚くほど軽く、簡単に折ることができた。ガリガリと音を立てながら、まずは中心線を引いていく。定規代わりに使うのは、木の板を鏃で一部切り取って作ったお手製だ。間に合せだが、文句も言っていられない状況だ。
この際縮尺は置いておくかと思い、歯車本体の作図に入ろうとしたが、親切にも識の意識に合わせた縮尺での寸法が木の板の上に示される。まるでVRゴーグルでもつけているようだ。
そう思っていると、識の視界の中で更に信じられない出来事が起こった。
脳裏に思い描いていた歯車の図が、魔法のように目の前に映し出されたのだ。それどころか、更にその線が立体として浮き上がり、目の前にミニチュアサイズの歯車が出来上がる。
(SF映画のホログラムかよ……)
識は呆気にとられた。彼の目の前で、くるくると回るボロボロの歯車。見たところはかなり正確に寸法の再現ができているようだ。まさに3Dスキャンの領域であると言えよう。
識は、ボロボロの歯車を見つめながら、その歯車が製作された当初の状態を思い描く。すると、ボロボロだった歯車のミニチュアモデルが、新品のように生まれ変わった。
識の視界に、半透明のウインドウが表示される。
『スキャン対象を再構築しますか? YES or NO』
識は、考えるより早く、思わず頷いた。
『対象の再構築に必要な同組成の材料を消費し、対象を再構築します』
とウインドウが続いた瞬間、識が床に置いていた木の板が、サラサラと粉のように崩れ落ち、ミニチュアモデルの歯車へと吸い込まれていく。ものの数秒で、ボロボロだった歯車は新品同様の姿へと蘇っていた。
識は興奮に震える手を、そっと目の前の歯車に伸ばした。触れる感触も、重みも、質感も、すべてが本物と変わらない。
「あの……ガインさん。歯車、直りました」
梯子の上から覗き込み、階下で心配そうに見上げていたガインに声をかける。ガインは眉をひそめ、信じられないという表情でゆっくりと梯子を登ってきた。
「は?いや、そんなわけ……」
梯子を登り切り、目の前の光景を目にしたガインは、言葉を失って愕然とした。あれほどボロボロでひび割れていた、今にも壊れそうな歯車が、何の傷もない新品同様の姿へと生まれ変わっていたのだ。ガインは呆然と歯車を見つめる。
識の異世界での本当の「ものづくり」は、今、始まったばかりだ。彼の新たな力は、この村の、そして彼の未来を大きく切り拓いていく。
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