36.本当の強さとは(◆三人称)
ラテアが最後の投げを決めた後、しばらくの間、静寂が辺りを包み込んだ。
予想外の結末。サキュバスの少女が竜人を倒すなど、誰が予想できただろうか。
その静寂の中で、最初に言葉を発したのは、決闘の当事者たるゴズマ。
彼はどこか吹っ切れた様子でラテアに言った。
「……殺すがいい」
武器も持たない者に、しかも体躯に劣る少女に、何度もいいように投げられ、組み伏せられたのだ。これ以上の完敗はない。
「お断りします」
だが、ラテアは手刀を彼の首元から離し、そのまま立ち上がってしまった。
「なんだと……俺をなめているのか?」
困惑と怒りを含んだ問いに、しかしラテアはまっすぐに答える。
「違います。あなたが惜しいからです」
「……惜しい、だと?」
「強い人と戦うことに価値を見出しているのは、あなただけではありません。僕もなんです。強いあなたを、たった一回の決闘で失うことは、あまりに惜しいと思うから」
「馬鹿な。貴様のような小娘が強者を求めるというのか。そんな出まかせを──」
「やっぱりこの容姿だと、似合いませんよね」
と、ラテアは明るい笑顔で言った。さっきまでの緊張感が嘘のように。
彼女は臆することなく続ける。
「僕の夢は、最強になることなんです。そのために、色んな人とお互いを高め合っていくことは、大事なことだと思っています。……だから、支配することも、ましてや殺すことも、僕の望みではないんです」
「……支配することも……」
どこか呆然とした様子のゴズマ。彼はラテアの言葉を繰り返し、そして彼女に問うた。
「つまり……負けた我らを征服する気はないと、そう言うのか」
「ええ」
「……」
とはいえ、それも本音だったが、ゴズマを殺さない理由はそれだけではなかった。
ラテアは殺さなかったのではない。
殺せなかったのだ。
まず、竜人の体力と防御力からすれば、どれだけラテアが頑張っても、致命傷を負わせることは困難だった。
彼らの力はすべてにおいて人を──魔族をも上回る。それは、ゴズマを組み伏せたこの瞬間も変わらない。
そこで戦闘前、ラテアは勝利条件を「倒すこと」ではなく、「負けを認めさせること」に切り替えた。
手傷を負わせるのではなく、負けたと思わせることで相手に敗北を認めさせる──それこそが、彼女にとって可能な、唯一の勝利方法だったのだ。
そして、殺すべきでないもう一つの理由。
それは、竜人たちとこれ以上争わないためだ。
たとえゴズマを殺せたとしても、血気盛んな竜人たちは、きっと怒りに任せて報復戦を仕掛けてくるだろう。決闘の結果などお構いなしに。
だが、指揮官であるゴズマは、おそらく部下たちを抑える力とカリスマ性を持っている。
そんなゴズマを生かしたまま、彼に負けを認めさせることは、勝利の不可欠な前提条件なのだった。
ゴズマは少しだけ考えるように目を閉じる。
そして、憂いを捨て去るかのように、晴れやかな笑い声を響かせた。
「ふっ……ははははは! いやあ、負けだ負けだ! あまりに見事で笑うしかないわ!」
無論、手段を選ばないような戦い──それこそ『殺し合い』となれば、自分が負けないであろうことはゴズマも理解していた。
だが、ラテアは圧倒的不利と思えるこの状況で、完璧に自分を制してみせたのだ。
たとえ手傷を負わせられなくとも、彼女の勝利、そして強さは、疑いようがないことだった。
「皆の者、勝敗は決した! 取り決めに従い、我々は魔王軍領から手を引く! これ以上の手出しは無用である! 繰り返す、魔王軍に手出しは無用である!」
ゴズマは体を起こし、立ち上がる。そして、よく通る声で部下たちに命令を下した。
そんな彼を、ホッとした様子でラテアは見上げる。
ゴズマは今度は穏やかな声で彼女に問いかけた。
「たった一回の決闘で、この俺を失うのは惜しいと言ったな。ならば、俺とまた立ち会うことも、やぶさかではないということか?」
「殺し合いは困ります。でも……もし、あなたさえよければ、友達になりませんか。ライバルとか、そういう意味での関係なら……僕は大歓迎です」
「……ふ」
ゴズマは決して虐殺者ではない。そのことは、先日の港町の一件からもわかっていた。
だからこそ、ラテアはこの戦法に活路を見出したのだが、さらにもう一つ、大きな理由があった。
それは、皆が平和に──つまるところ彼女は、やはり人を傷つけることを望んではいなかった。
戦う前も、戦っている時も、ラテアはそのことをずっと考えていた。
強さを望んでいるのに誰も傷つけたくないという自己矛盾。ラテアの申し出は、軟弱者の戯言かもしれない。
しかし、覚悟と強さに裏打ちされた彼女の言葉と行動は、確かに竜人の心を動かし、戦争を回避するという偉業を成し遂げさせていた。
「……本当に面白い奴だな、貴様は」
ゴズマはラテアに手を差し伸べる。
ラテアは微笑んで彼の手を取り、握手を交わした。
傾きかけた太陽が、二人の横顔を際立たせる。
その光景を目にして、人間の勇者コウセイは、先の道場での会話を思い出していた。
あの時──道場主であるディノスの師匠、ナナミは、強い者とは友達が多い者のことだと言っていた。
皆に認められていることが強さの証しなのだと。
あの時はナナミの言葉に半信半疑だったが、今ならわかる。
敵すら傷つけることなく制して認めさせ、友達になってしまったラテア。
彼女こそ、まさにナナミの言う強さを体現しているのではないか。
ラテアに敵はいない。彼女にとって強敵は敵でなく、友達なのだから。
つまりは、無敵。
一番強いということは──本当の強さとは、これなのだ。
そのことに気付いた時、彼は両の瞳から、自然と熱い涙をあふれさせていた。
「ああ……すごいな……」
隣のディノスがコウセイの涙に気付くが、揶揄することなくディノスもうなずいた。
彼も同じ気持ちだったからだ。
今、自分たちはきっと、誇るべき瞬間に立ち会っている。
敵とすら融和してしまえるラテア。
一見、愛らしい少女にしか見えない彼女は、こんなにも気高く、そして強い女性なのだと。
夕陽を背にして、ラテアが魔王軍の仲間たちへと振り返る。
その笑顔は、どんな宝石よりも美しく輝いて見えたのだった。




