35.一対一の決闘(◆三人称)
その場の誰もが、奇妙な違和感を抱いていた。
ラテア・ペンデグラム。サキュバスにして魔王軍四天王の一人。
だが、どう見ても、彼女が竜人に勝てるとは思えない。
その外見からして膂力はなく、かといって、魔術に抜きんでたようにも見えない。
四天王としての素質はあれど、強者を倒すには不十分。
なのに、戦いに挑む彼女の顔に迷いは見えない。
恐怖を伴いながらも、勝つ算段があるような表情──その自信は、どこから来るのだろうかと。
竜人族の首魁、ゴズマも同じことを思う。
そして、面白いと思った。
小枝のようなか細い体躯で、歴戦の猛者たる自分とどう渡り合うつもりか。
得物は何だ? 戦い方は?
期待に胸を膨らませていると、ラテアは小さく手を挙げて言った。
「あの、すみませんが、ちょっとだけ待ってもらっていいですか。着替えたいので」
言うや否や、彼女の周りを桃色の瘴気が覆う。
ラテアが股と胸のあたりに手を這わせると、黒いサキュバスの装束が掻き消え、それに代わるように東方の稽古着──道着と袴が現れた。
それらは彼女の身体に吸い付くように、袖が通され、帯が締められ、わずか数秒にして着替えが完了してしまう。
「──よし、っと」
「み……見えた」
そこでフェルミーがつぶやく。
近くにいた兵士たちも、それにうなずく。
他の兵士たちも顔を赤らめ、「見えた」「ああ、見えたな」と口々に声を漏らした。
「あ、あんた……ここで着替える必要ないでしょ……。一瞬だけど、色々見えちゃったんだけど……」
「い、いいんだよ、こんなの! 時間削減だって! ていうか、今それどころじゃないでしょ!?」
あせった様子でラテアは反論する。
話題を無理矢理転換するように、彼女はゴズマに向き合って、「お待たせしました」と小さく一礼した。
だが、服を着替えただけ。
その手には何も持っていない。
衣装替えには特に言及しなかったゴズマだが、武器がないことはさすがに看過できず、怪訝な様子でラテアに問いかけた。
「……得物はどうした」
「ありません。僕は無手で戦うので」
「……本気で言っているのか?」
「僕はいつでも真剣です」
「ハッ──面白いな!」
侮る素振りはまったくない。ゴズマは楽しげに笑って答えた。
下ろしていた大剣を片手でかつぎ、構えを取る。
口元には笑み。しかし、眼光はラテアを射抜くかのように。
「その細腕で、俺をどう倒す!? 楽しみだぞ。追い詰められたネズミがどのように牙を突き立てるのか。戦力の大小にかかわらず、決死の覚悟は強さを生むものだからな!」
「──よろしいですか」
ラテアは構えない。
彼女の立ち方は自然体だ。
背筋を伸ばし、まっすぐに相手を見据えている。
けれど、それだけ。
殺気すらもない。
その様子に、逆に得体の知れなさを感じたゴズマだが、ひるむことなく目の前の少女と対峙した。
「では、始めようか。血沸き肉躍る戦いをな!」
二人の視線が交錯し、呼吸が重なり、空気が張り詰める。
その瞬間、合図はなくとも決闘が始まったことを、その場の全員が感じ取った。
ゴズマは摺り足で間合いを測りながら、ゆっくり近づく。
だが、ラテアは間合いなどどうでもいいという感じで、そこからずんずんとまっすぐに歩き出した。
「──何?」
一直線。しかも、歩く速さは一定に。
このまま斬ってくれと言わんばかりの動きに、さすがのゴズマも戸惑いを見せる。
(こいつ、何を考えている!?)
しかし、だからといって手を出さないわけにはいかない。
ラテアの歩みがゴズマの射程に入ったギリギリの刹那、ゴズマは袈裟斬りに剣を繰り出した。
完璧なタイミングの初太刀。
が、次の瞬間、ラテアはゴズマのふところに瞬間移動する。
「ッッ!?」
(いつの間に入られたっ!?)
その位置では近すぎて逆に刃が当たらない。止めることもできず、中途半端に剣が振り下ろされる。
ラテアは両手でゴズマの右腕を抱えこみ、そのまま体を振り返らせながら剣の軌道で背負い投げるようにしゃがみ込む。
完全に体勢を崩された竜人は、自分が振り下ろした力で大きく吹っ飛ぶ。
「ぬぅっ──!?」
「今のは……!」
合気道の技の一つ。横面打ちからの捌き、呼吸投げだ。壁のそばでまだ起き上がれないコウセイが、ラテアの背を見てつぶやいた。
(驚いた……。何度か練習しただけなのに、この実戦であの投げを決めるなんて……!)
かろうじて受け身を取ったゴズマに対し、ラテアは追うように進み、距離を詰める。
それを迎撃せんと、ゴズマは再度剣を振る。
しかし、その剣も空を切り、今度はラテアが右隣に現れたかと思うと、ゴズマの身体が前方向へと転がされた。
「がっ……おのれぇっ!」
(──かわすと同時に肘を極めて投げた! あれではどんな怪力でも、自分から飛ばざるを得ない!)
今の攻防を理解できたのは、コウセイと隣のディノスのみ。
合気道だけではない。道場で稽古したさまざまな技術、そしてサキュバスとしての力を、ラテアは実戦で組み合わせ、活用していた。
初撃で間合いを詰めることができたのは、異空間、『サキュバスのおもちゃ箱』の力。
ラテアは間合いに入る直前、自分の前方に異空間を作り出し、その中へと己の身体をくぐらせていた。
そして、空間の出口をゴズマのふところに設置し、出現。それによって瞬間移動を実現させたのだ。
異空間そのものの力だけではない。ゴズマに接触する瞬間、ラテアは空間内の瘴気を彼にぶつけていた。
操ることはできなくても、目くらましには十分。攻防のさなか、瘴気でゴズマの判断力を失わせたことも、彼の剣を避けるのに一役買っていた。
もちろん、それらがあるだけで、誰もが竜人に勝てるわけではない。
何よりも重要なのは、彼女の心。
恐れを打ち消し、敵との間合いを正確に見て測る。
相手の動きを把握すれば、あとはそれに従って体を捌き、技をかけるだけ。
武術とは、異世界だろうと日本だろうと、人が長い年月をかけて積み上げてきた技術体系なのだ。正しく用いれば、必ず結果がついてくる。
「何故だ! 何故当たらん! この俺の剣が……っ!」
どんなに強大な力でも、当たらなければ意味がない。
紙一重でかわすことは、実はラテアにとってはギリギリだったが、ゴズマはそれに気付けないでいた。
何度も剣が振り下ろされる。それを最小限の動きで避け、そのたびに消耗するが、ラテアは表情には出さない。
それどころか、息継ぎをする瞬間、ラテアは力みを消すために微笑みを見せた。ゴズマはそれを嘲りと受け取ってしまった。
「貴様ぁっ!」
両手持ちの剣から、突きが繰り出される。
だが、それは破れかぶれの一撃。
確実にかわし、すれ違いざま手のひらをゴスマの喉に添える。
(──入り身投げ!)
コウセイは心中で喝采する。
頃合いだった。
もはやラテアの体力も限界に近い。
運動量はそこまででなくても、緊張による疲労の度合いは極度。
ラテアはゴズマの頭を地面に叩きつけるように、喉に添えた手を大きく下方にかぶせる。
ゴズマの足が弧を描き、転倒する。後頭部をしたたかに打ち付け、剣を持っていたため受け身も取れない。
──ドシャアッ!
「がっ……!」
「これで── 一本です!」
ラテアは手刀を彼の喉に押し当てる。
それこそが、互いの血を一滴も流さずに、彼女が勝利した瞬間だった。




