29.強さの定義【1】
ロザリンドの魔王代理襲名から数週間が過ぎた。
特に何が起こることもなく、平和な日々が続いている。
ロザリンドの代理襲名には特段反対の声もなく、権限委譲もつつがなく行われ、それどころか魔王様とロザリンドが結婚するということで、魔王軍は一気に祝福ムードとなった。
ただ、挙式やら何やらのイベントは、もう少し情勢が落ち着いてからということになっている。
ロザリンドは、魔王様が担っていた仕事を一手に引き継ぎ、今はとても忙しい身だ。
僕たちも可能な任務を分担することで、できる限りのお手伝いをすることになった。
そんなロザリンドだけど、シャルロット様との交流の時間だけは毎日欠かさず作っているらしい。
本当に魔王様たちのことが好きなんだなと、そして偉いなと、しみじみ感心してしまう。
ちなみに、動画放送はあらかたの目的は達成したこともあって、一時休止とさせてもらった。
再開時期は未定だ。
それでフリーになった時間は、ありがたいことに余暇として使わせてもらっている(もちろん、ロザリンドへのサポートはそれとは別にきちんと行っている)。
フェルミーは、その自由時間を死霊術の研究にあてるらしい。
僕はディノスといっしょに、彼の師匠であるナナミさんの道場に通うことにした。
ナナミさんの道場にて。
この日は、ディノスとナナミさん、それと、かねてから呼ぼうと思っていたもう一人のゲスト──コウセイさんの四人で、合同稽古を行うことになっていた。
四人全員が道着と袴を着用し、神前に礼をしてから道場に入る。
一対一で組んで稽古をする時も、まずは正座して、お互いに礼をしてから。
そのあたりの作法は、やはり転生前の日本と変わらなかった。
「……で、ラテアの同僚の女戦士が、魔王のハートを射止めて、王妃になったと……。なんか、人間臭いというか……魔王軍っていっても、あんまり変わらないんだな」
「基本的に、みんないい人ばかりですよ。コウセイさんも一度来てみたらどうですか。別に人間だからって、拒まれることもないと思いますし」
「いや……いいのか? 一応俺、勇者って肩書なんだけど」
「だからこそですよ。コウセイさんがこっちに……完全に寝返らなくても、友好的にしてくれるだけで、魔王軍には利があるので」
「ああ……そういう視点からも有りなのか。なるほど、ラテアはしっかりしてるなあ」
「……おい、人間」
「それよりコウセイさん。もっと強く胸の襟、取ってもらっていいですよ。型稽古でも本気でやらないと、意味がないと思うので」
「いや、でもな、ラテア。あんまり引っ張って密着すると、その、君の胸が……」
「おい、人間。人間の勇者」
「何言ってるんですか。こんなのただの脂肪ですよ。それに、稽古の時は男も女も関係ないんですから。もっとしっかりやって下さい」
「わ、わかった。じゃあ、遠慮なくやらせてもらうぞ」
「おい、このクソ人間! いつまでラテアとしゃべってるんだ! いい加減交代しろ!」
「うるさいな! なんだっけ、ディノスだったっけ? まだ俺がラテアと組んでるんだから横槍入れんなよ!」
そろそろ太陽が真上に来るかという時間帯。
コウセイさんに合気道の技を教えてもらっている最中、横で見ていたディノスがしびれを切らして声を上げた。
「だいたい、なんで人間のお前がここにいるんだよ! ここは魔王軍領だぞ!?」
「いや、お前、そんなこと言ったら……ここの道場主さんだって人間じゃないのか? ていうか、今ラテアが人間でもいいって言ったばかりだろ。むしろこの中で関係ないのは、お前の方だと思うんだが」
「関係ない……はあぁ? 俺はここの門下生なんだが? あんまりふざけたこと言ってるとぶっとばすぞ!?」
「いちいちムカつく奴だな……。やれるもんならやってみろ。相手になってやる」
「待った待った! あなたたち、ちょっと頭を冷やしなさい! 道場では私闘厳禁よ!」
ナナミさんの一喝で、ようやく二人は静かになる。
僕はナナミさんと顔を見合わせて、彼女と同時に肩をすくめた。
その後、僕たちは板間の道場でそのまま昼食を摂る。
食事はナナミさんがおにぎりと卵焼き、それから漬物を用意してくれていた。
そんなところまで日本風なのかと驚き、そして故郷と似た味に感激する。
コウセイさんも同じ気持ちなのか、食べる前、彼は感じ入るように両手を合わせていた。
「はー……楽しいなぁ……。こんなに楽しいのは、いつぶりだろう……」
「本当に武道とか武術が好きなんだな、ラテアは。稽古に対する姿勢もだけど、重心移動とか、体捌きとか、かなりやってる奴の動きだし。こうして先生の所に連れてこれて、良かったよ」
「ううん、こちらこそありがとう、ディノス。でも、僕なんてまだ全然だよ。ただ、最近は……転生したからなのかな。この体になってからは、なんだか前より体が自由に動く気がするんだ」
「それは多分、魔力のせいだろうな。魔力が全身にいきわたれば、運動能力も飛躍的に高まる。魔力の強さは魂によって異なるんだが……それを効率的に運用できるかは、肉体と魂の適合率で決まるらしいんだ。今の体が、ラテアの魂に合ってたってことなんだろうな」
「ふぅん……」
それが本当なら、僕がサキュバスにふさわしいと言われたことも、ある意味間違いではないのかもしれない。
女の子の体には未だに慣れないけど……今は前世のようにすぐに息切れしないし、相手の動きもよく見える。何より自分のイメージ通りに身体がついていくので、本当に稽古の面では充実していた。
「……でも、まだまだ。もっと上手く、強くなりたいな」
武術を極めたいサキュバスなんて、邪道かもしれないけど。
「いいね。皆で鍛錬して、強くなろう」
「ああ、そこは俺も同感だな」
コウセイさんの言葉にディノスがうなずく。
二人はそこでようやく、素直な笑顔で笑い合った。
「ねぇ、あなたたち。『強い』って……何だと思う?」
するとその時、ナナミさんが僕たちにそんな問いを投げかけた。
僕たち三人は不意の質問に少し戸惑い、逡巡する。
そして、まずディノスが答える。
「大切な人を守るための力……。そのための力が、強さだと思いますね、俺は」
続いて、彼に反論するようにコウセイさんが言う。
「脳筋だな、お前。強さっていうのはな、逆境に折れない心の強さのことをいうんだよ。腕っぷしは二の次だ」
「……なるほどね。ラテアちゃん、あなたは?」
ナナミさんは二人の答えに肯定も否定もせず微笑むと、僕に振った。
「僕は……ええと……」
情けないことに、僕はすぐには答えられなかった。
あれだけ最強最強といつも頭の中で考えているくせに、それがどんなものかと問われた時、答えが出てこない。
自分の薄っぺらさを自覚して、恥ずかしくなる。
「すみません、あんまり深く……考えてませんでした。僕は、自分が軟弱なのが嫌だったから、とにかくそれを変えたいって感じだったので……」
身体の強さだけじゃない。マリーにも言われたけど、僕は精神面でも甘ちゃんというか、優柔不断なのだ。
それは、こうやってすぐに答えられないことにも表れている。
そんなふうに思い返してみると、強さなんて全然身についてないんじゃないかと暗い考えが頭をよぎる。
「軟弱って……そうかしら? 軟弱には見えないし、別にそれでもいいんじゃない? 軟弱なのと強いのとは、両立できると思うんだけど」
「そ、そうですか……?」
「では、先生は、どんなものが強さだと考えてるんですか」
ディノスが興味深げに問う。
ナナミさんは、ためらうことなく、たおやかな笑みとともにこう答えた。
「私はね、強い人っていうのは……友達が多い人、みんなに好かれてる人のことだと思ってるの」




