10.お菓子の家と、アンデッドの村人
村人の叫び声を耳にした直後、僕はしまったと思った。
当たり前だけど、バリケードそのものに大した効果はない。それはわかっていたし、さほど期待もしていなかった。
でも、まさか壁のない村の裏側から来るとは思わなくて。そちらにはまったく注意を払っていなかった。
(こんな小さな村に、そこまでしてくるなんて……! フェルミーは本気だ……!)
自分の至らなさを悔いながら、僕は村長さんとともに声のした方へ急ぐ。
「情けをかける必要はないわ! スケルトンたちよ、一人残らず殺してしまいなさい!」
村の奥では、フェルミーが自ら先頭に立って指揮を執っていた。
「フェルミー!」
「! ラテっ……!」
僕は声をかけるが、彼女は途中で目をそらし、無視して攻め入ってくる。
村人たちは悲鳴を上げながら、何とか皆が家の中へと逃げ込み、それぞれの家屋の戸を閉めた。
「ッ、無駄なことを……!」
フェルミーが指をパチンと鳴らすと、ゆっくりだったスケルトンたちの挙動が一瞬にして変わる。
ガイコツ戦士たちは強く家屋に体当たりして、鍵のかかった戸を壊そうとした。
ドォン、ドォン、と何戸もの建物で衝撃音が響く。
その中で、一軒だけ鍵がかかっていないあばら家の戸が、体当たり無しで開けられた。
一体のガイコツが中に突入して、すぐにきびすを返して戻ってくる。
そのガイコツはカタカタと顎を動かしフェルミーに何かを伝えようとする。彼女はガイコツの言葉を理解したらしく、早足でその廃屋に入っていった。
「……フェルミー……?」
「ラテア君! こっちへ来てくれ!」
村長さんが僕に叫ぶ。ハッとして振り返ると、彼は南東の村の若い村長さんと二人だけでスケルトンたちと戦っていた。
彼らは鍬を武器代わりに振り回しているけど、どう考えても無茶だ。
僕は大声をあげて、スケルトンたちの中に飛び込んでいく。
「やっ、やめろーっ!」
スケルトンは僕を敵とは認識していないらしく、戸惑った様子で後退する。
攻撃は来ない。これ幸いと僕は木材を振り回して、彼らの隊列を散らした。
するとその時。
「ええい、まどろっこしいわね……! 『すべてお菓子に変わりなさい』! 」
先の家から出てきたらしいフェルミーが、呪文とともに杖を振るい、そこから複数の光が放たれた。
光は近辺の家屋にぶつかり、それらはみるみるうちに変貌していく──なんとお菓子で出来た家に。
壁やドアはクッキー、窓ガラスは飴細工、屋根瓦はチョコレートに。童話さながらの光景に、僕は驚きで目を見開いた。
「す、すごい……」
「──でぇえいっ!」
バキッ、バキバキッ!
そして、勢いを付けたフェルミーの足蹴りで、一番手前の家屋の、クッキーの扉が壊される。
それと同じく、お菓子になった他の家は、スケルトンの体当たりでいとも簡単に破壊された。
ひび割れが波及し、壁も崩れ落ち、中の村人があらわになると、彼らとフェルミーの視線が交錯する。
フェルミーは一瞬だけ悲壮感を漂わせた表情になると、すぐにそれを消して村人たちに言った。
「私は魔王軍四天王、死霊術士のフェルミー。もう諦めなさい。あんたたちもお仲間と同じように、私のしもべにしてあげるわ」
(……『お仲間と同じように』……?)
その言葉に引っかかりを覚えつつ、後ろに人の気配がして振り返る。するとそこには、見たことのない村人たちが七、八名ほど立っていた。
一瞬誰かと戸惑うけれど、すぐに気付く。
土気色の肌、生気のない瞳、うつろな表情。そう、おそらく彼らは死者──つまり、フェルミーは先刻の家の中で餓死者の遺体を見つけ、それをアンデッドにしたのだ。
(さっきの鍵がかかっていなかった家、あれは死体安置所だったのか……! ガイコツ兵はおそらくフェルミーに死体があることを知らせ、それで彼女は中に入っていった。死体をアンデッド化させるために……!)
やられたと思った。
これでは戦えない。
部外者の僕はともかくとして、村人たちは身内の身体を傷つけることはきっとできない。
たった数名でも、このアンデッドたちを前に押し出されたら、こちらは戦いようがなくなる。
しかし、そこで。
「──親父!」
大きな叫び声が響き渡った。
声の主は、南東の村の若き村長。彼は先頭に立っていた中年のアンデッドを見て、何を思ったか一直線にそれへと駆け出していった。
「親父! ──親父っ!!」
若き村長さんは感極まった表情で、そのアンデッドに縋り付く。
その声で、他の家からも村人たちが外に出てくる。
「お……お母さん……なんで……!?」
「兄ちゃん……どうして、生きてるの……!?」
皆、死んだはずの家族たちが立っているのを目の当たりにして、困惑の声を漏らす。
しかし、すぐさま誰もがその表情を打ち消して、村長さんと同じように、自らの家族のもとへと走り寄った。
「お、お姉ちゃん! お母さんが、お母さんが、生き返ったよ!」
「兄ちゃん……死んでなかった……。なんだ……そうか、そうだったんだね……!」
各所から歓声が上がる。それは、絶望で気力も体力も失っていた先刻からは、とても予想できない光景だった。
「ど、どういうこと……。どうして、誰も怖がらないの……?」
村人たちの反応に戸惑い、そう声を漏らしたのはフェルミーだった。
死者を前にして歓喜の声を上げる村人たち。彼女にとって、それは想定外の反応だったらしい。
フェルミーは思わず一歩後ずさる。
その瞬間、死霊術の支配力が弱まったのか、アンデッドの村人たちの瞳に生気の火が灯った。
「リック……? リックなのか?」
「親父……! 俺の事、わかるんだな!? ああ、俺だよ、リックだよ! 良かった……本当に良かったっ……!」
リックさん──若き村長さんは、子供のように泣きじゃくる。
同じように家族を亡くした村人たちも、愛する者との再会に声を上げて泣き、彼らを抱きしめた。
「……おい、この家、食べられるぞ。本物だ!」
そんな中、最初の村の村長さんが、クッキーのかけらになった戸の破片を口にして言う。
一瞬「えっ」と皆が戸惑うが、その声に触発され、数名がおそるおそるお菓子の家をかじってみる。
それを食べて「おいしい……」と誰かがつぶやくと、村長さんは意を決したように大声で叫んだ。
「……どうせこれが最後なんだ。皆、好きなだけ食っちまおう! 子供たちにも我慢させる必要はない! どうせ死ぬなら、美味いものを食べながら死んだ方がマシだ!」
その声に、多くの村人たちが「おぉ」「そうだそうだ!」と呼応して、彼らはお菓子の家に群がっていく。
壁を崩し、窓を割り、皆が夢中になってお菓子の家をむさぼる。襲ってきたスケルトンがいるというのに、それから背を向けて。
母親らしき女性は、子供にお菓子を分け与え、笑顔になったその子を見て涙ぐんだ。
その時、僕は「あっ」と思い立った。
もしかしたら、この魔法……死霊術じゃないなら、僕でも使えたりしないだろうか。
試しに、まだお菓子になっていない家屋へと、手を差し向けてみる。
「──『すべてお菓子に変わりなさい』」
先のフェルミーの呪文を見よう見まねで唱えると、手から光が出て、家がお菓子に変わっていった。
「や、やった! 成功した! おーい、みんな! こっちもお菓子になったよ! 遠慮せずに食べちゃって!」
僕は声を上げて村人たちに伝える。
これはすごいと思った。この魔法を使えば、今後彼らを餓えさせることはないんじゃないだろうか。
僕は安堵しながら、皆に分け与えようとその家に足を向ける。
すると、
「『元に戻れ』!」
直後、フェルミーの魔法が家屋を包む。それによって、すべてのお菓子が元の家と瓦礫に戻ってしまった。
続けて彼女は焦った様子で叫ぶ。なぜか声を上ずらせ、皆を心配するかのように。
「──やめなさい! 今の状態でお菓子なんて食べたら──みんな死んでしまうわよ!」




