第07話 みつき
しずくがいちご牛乳を飲んでいると、部屋のドアが静かに開いた。
「しーちゃん、それ何飲んでるの?」
母・みつきの穏やかな声。
「……!」
しずくは、一瞬グラスを隠そうとしたが、すぐに思い直した。
(別に、やましいことなんてない……はず……。)
でも、なぜかドキッとする。
みつきは部屋の中に一歩足を踏み入れると、ふっと眉を寄せた。
「……なんか、この部屋、すごい匂いしない?」
「えっ……あ、うん。」
しずくはカップをぎゅっと握りしめながら、少しだけ身をすくめた。
(やっぱり……そうなるよね。)
普通のいちご牛乳とは違う、独特の匂い。発酵したような甘酸っぱさと、ツンとした刺激的な香りが部屋に広がっている。
みつきは、カップを覗き込み、目を細めた。
「……なんか、ドロドロしてない?」
「いちご牛乳だよ……ちょっと普通のとは違うかも……。」
みつきは怪訝そうな顔をしながら、ふと何かを思い出したように、ニヤリと笑った。
「えっ、これ、いちご牛乳なの!しーちゃん、もしかして、男の子からもらったのかなぁ?」
「っ!?」
しずくの顔が一気に赤くなる。
「ど、どうして!?」
「いやぁ、なんか、そんな気がして。しーちゃん、最近いちご牛乳なんて飲んでなかったのに、急に飲み始めたからさ。」
みつきはニヤニヤとしながら、しずくをじっと見つめる。
「もしかして……ゆうくん?」
図星だった。
しずくはカップを抱え込むようにしながら、小さく頷いた。
「うん……ゆうくんが作ったやつ……。」
「へぇ~、しーちゃんにだけ特別に作ってくれたんだ?」
みつきの口調が少しだけ、からかうような色を帯びる。
「それ、どういう意味かわかってる?」
「え?」
「男の子が自分の作ったいちご牛乳を女の子にあげるのって、大好きって気持ちを伝えるものなのよ。」
「……っ!?」
しずくの手がビクッと震えた。
「それを飲むってことは、しーちゃんもその気持ちを受け取ったってこと。」
しずくの顔が一気に赤くなる。
「そ……そんな意味があったの……!?」
「うん。まぁ、昔からそういうのってあるしね。」
みつきは、しずくの様子を楽しむように微笑んだ。
「まさか、知らずに飲んでたの?」
「……う……。」
しずくはカップをぎゅっと握りしめながら、小さくうつむいた。
(そ、そんな……! 知らなかった……。)
みつきはしずくの様子を見て、ふと何かを思いついたように手を伸ばす。
「ねぇ、それちょっと味見させて?」
「えっ……!? や、やめたほうがいいよ……!!」
しずくは慌ててカップを遠ざける。
「なんで? そんなに美味しいなら、ちょっとくらい飲んでみたいじゃない。」
「えぇ~……ほんとに飲むの……?」
「うん!」
みつきはしずくの反応を見て、余計に興味津々といった表情になる。
「ちょっとだけだから!」
しずくは最後まで渋っていたが、みつきの勢いに押され、しぶしぶカップを差し出した。
「じゃあ……ほんとに、ちょっとだけだよ?」
みつきはカップを手に取り、軽く匂いを嗅ぐ。
「……うっ……なんか、強烈な匂い……。」
それでも、意を決して一口。
——次の瞬間
「んぐっ……!!??」
みつきの顔が、一瞬でこわばった。
「っ……げほっ……!! うっわ、なにこれ!?!?」
みつきは慌てて口を押さえ、咳き込みながらしずくを見た。
「しーちゃん、こんなの美味しいって思ってるの!?」
「だから言ったのに……。」
しずくは、苦笑しながら小さく呟く。
「でもね、お母さん。慣れると、ほんのり甘く感じるんだよ?」
みつきは信じられないといった表情で、しずくを見つめた。
「……しーちゃん、本気でこれ飲み続けてるの……?」
しずくは、少し恥ずかしそうにしながらも、しっかりと頷いた。
「うん。ゆうくんが作ってくれたから、美味しく感じるの。」
みつきは、しばらく沈黙した後、ふっと笑った。
昔は、甘いジュースしか飲めなかったのに。
「……ほんとに、しーちゃん、恋してるんだね。」
しずくは顔を真っ赤にしながら、カップをぎゅっと握る。
——ゆうくんの作ったいちご牛乳。
——その味が、こんなにも愛しく思えるようになったのは、気のせいじゃないのかもしれない。
みつきは娘の髪を優しく撫でながら、目を細めた。
「……ふふっ、しーちゃん、大きくなったね。」
しずくは、その言葉に少し照れくさそうに微笑んだのだった。