第05話 しずくの決意
「しずく、いちご牛乳ランクが初級になったよ。」
ゆうくんが、静かにそう告げた。
しずくは目を丸くした。
「ランク……?」
思わず聞き返すと、ゆうくんは穏やかに微笑みながら、テーブルに置かれたグラスを見せた。
「今までは入門者だった。でも、しずくの頑張りを見てたら、もう一歩進んでも大丈夫だって思ったんだ。」
しずくの視線が、自然とグラスへと向かう。
今までの倍近い量——350ミリリットルのいちご牛乳。
「これからは、1日350ミリリットル。毎日、飲むことになるよ。」
その言葉に、しずくの手が、ほんのわずかに震えた。
「350ミリリットル……」
ぽつりと呟いた言葉には、驚きと不安が混じっていた。
昨日、200ミリリットルを一気飲みした時のことを思い出す。
あれは、本当に大きな挑戦だった。
あの後、胃の奥がじんわりと熱を持ち、まるで体の中でいちご牛乳が生きているみたいだった。
それを乗り越えたからこそ、初級者。
成長の証だと言われれば、どこか誇らしい気持ちもある。
——でも。
「……私、本当に飲めるのかな。」
しずくは、ぽつりと呟いた。
「無理しなくていいよ。ゆっくり慣れていけば大丈夫。」
ゆうくんの声は、あくまで優しい。
その言葉に、しずくは小さく微笑んだ。
確かに、無理に急ぐ必要はない。
でも、どうしても一歩踏み出すことへの興奮と、ほんの少しの恐れが入り混じっていた。
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グラスの中で、乳白色に淡くピンクが滲んだ液体が、とろりと揺れる。
この一週間、毎日飲み続けてきた。
最初は、苦くて、えぐくて、粘ついて、気持ち悪かった。
でも、今は……違う。
「……」
しずくは、そっと目を閉じた。
——あの時の感覚。
昨日、一気飲みした後のことを思い出す。
ゼリーの塊が喉を通る感触。
強烈な苦みとえぐみ。
そして、全身に広がる、あのじんわりとした温かさ。
あの瞬間、確かに感じた。
——いちご牛乳は、ただの飲み物じゃない。
体の中で、何かが溶けていくような感覚。
それが、ゆうくんの思いそのものだった。
(……ゆうくんの気持ちが、私の中に……?)
そう考えると、鼓動が少しだけ速くなる。
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「ねぇ、しずく。」
ゆうくんの声に、しずくははっとして顔を上げた。
「昨日、飲み終わった後、どんな感じがした?」
「え……?」
「体の中で、何か変わったと思う?」
しずくは、一瞬、言葉に詰まった。
何か変わったか——
……考えなくても、わかる。
変わった。確実に。
昨日の夜からずっと、胸の奥がざわついている。
いちご牛乳を飲むたびに、喉や胃の奥に残る感触が、どこか懐かしくも心地よく感じられるようになった。
——まるで、ゆうくんの思いが、私の体に染み込んでいくみたいに。
(……違う。)
("みたい"じゃない。)
(本当に、そうなんだ。)
今ならわかる。
ゆうくんのいちご牛乳は、ただの飲み物じゃない。
そこには、ゆうくんの気持ちが詰まっている。
その思いを、しずくは少しずつ、確かに受け入れ始めている。
「……うん。」
しずくは、小さく頷いた。
「確かに……体の中が、ゆうくんのいちご牛乳でいっぱいになっていく感じがする……。」
ゆうくんは、優しく微笑んだ。
「じゃあ、今日も飲んでみようか。」
そう言って、テーブルに置かれたグラスを軽く押し出す。
しずくは、それをゆっくりと両手で包み込んだ。
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350ミリリットル。
今までの倍近い量。
飲みきれるかどうか、わからない。
でも——
「わかった。頑張ってみる。」
自分の声が、意外としっかりしていることに気づく。
ゆうくんが、静かに微笑んだ。
「うん、しずくならできるよ。」
その言葉に、しずくの中で、小さな決意が灯る。
——いちご牛乳は、ゆうくんの思いそのもの。
それを、しっかりと受け止めるために。
しずくは、静かにグラスを持ち上げた。