第37話 しずくの匂い
しずくは、自分の口にブレスケアのスプレーを「シュッ」と吹きかけた。
それを見たあいりは、ふわっと甘い香りが漂ってくるのに気づく。
「えー? なにそれ? しずくから、めっちゃいい匂いするんだけど」
「ん? ああ、これね。」
しずくは無邪気にスプレーを掲げる。
「ほら、ゆうくんのいちご牛乳の匂いって、飲んだあと外に出ちゃうじゃん。それがさ、私としてはつらいんだよね。」
「だから、これでブレスケアしてるんだよ。」
あいりは思わず感心する。
今日は珍しく、しずくがまともなことを言っている。そうだよね、女の子だもん。口の匂いとか気になるよね。
あいりは、しずくに近寄ってクンクンと匂いを嗅いだ。確かに、いちごの甘い香りがふわっと漂ってくる。
「へぇ、いい匂いー! ねぇ、私もちょっと使わせてよ!」
「いいよ」
しずくはにっこり笑う。
「じゃあ、あいり。お口あーんして」
「はーい、あーん」
しずくはニコニコしながら、あいりの口の中にスプレーを「シュッ」と吹きかけた。
――瞬間。
「……ん? えっ、んんんんんんんんんんんんんんんッッッ!!!!????」
目が見開かれ、喉が痙攣する。
口内に広がる 激烈なえぐみ、苦さ、渋さ。
さらに鼻腔を突き破るほどの 強烈な匂い。
あっ―― 、いちご牛乳!!!
そう理解した時には もう遅かった。
「うぇぇぇぇぇぇ!!!??? げほっ、げほっ!! ちょっ、まっ……なっ……これぇぇぇぇっ!!??」
あいりは涙目になりながら、しずくを睨む。
「げほっ、げほっ……ごほぉっ! こ、これ……いちご牛乳じゃない!!」
「え? そうだよ。ブレスケアしてるって言ったじゃん」
しずくはキョトンとした顔であいりを見つめる。
「ぶ、ブレスケア!? なんで、いちご牛乳が、ぶ、ブレスケアに……な、なるのよ……!」
「え?」
しずくは小首を傾げた。
「お口の中をゆうくんの匂いにするんだから、ブレスケア でしょ?」
あいりは 全身が総毛立つのを感じた。
「で、でで、でも! あんた、外に匂いが漏れるのがつらいって言ってたじゃない!?女の子だから、臭くなるのはつらいって。」
「んー?」
しずくは、きゅるんっと首を傾げる。
「なんか違うよ。私ね、せっかくのゆうくんの味とか匂いが外に出ちゃうのがつらいんだよ。」
あいりは青ざめた。
そ、そういえば……
さっき、しずくは 「口臭がつらい」 なんて言ってなかった……!
あくまで 「匂いが外に出るのがつらい」 って……!
しまった、こ、この女にとって、それが"いい匂い"だった!!
「で、でも、あんたの口から、いちごの甘い香りしてたわよ!? そ、それは、な、なんで!?」
「え? そうかなー」
しずくは、あいりの口元をクンクンと嗅ぐ。
「はははっ、ほんとだー! あいりの口からいちごの甘い匂いしてるー! なんでだろーね!」
「なんでだろーじゃないわよ!! そっ、そのブレスケア、一体、な、何なのよ!!」
「んーとね、このブレスケアはお口からゆうくんが出ていかないようにするものなの。」
「空気の粘膜フィルターがあって、ずっとゆうくんの匂いと味を口の中に閉じ込めて、持続してくれるんだよ」
あいりは震えた。
な、なんてものを作ってんだ、この女は。
「あっ!わかった! いちごの香りとかはさ、ゆうくんじゃないから、フィルター通って外に出てるんだ!」
パチンッ!
と手を叩いて、満面の笑みを浮かべるしずく。
「これね、なんと30分間持続するんだよ! お水飲んだり、ご飯食べたりしても、効果が切れないようにがんばったんだよ!」
「ほんとすごいよねぇ!」
あいりは、絶望した。
この逃げ場のない地獄を30分も味わう事になるとは。
――もう二度と、しずくの勧めるものは口にしないと心に誓った。