第23話 花恋としずく
「ふー、楽しみだな。」
花恋はグラスを眺めながら、ゆうくんを見た。
「それにしても、ゆうくん。すっかり格好良くなっちゃって……お姉さん、恋しちゃいそうだよ?」
冗談めかした声音で、さらりと言う。
だが、その言葉の中に、確かな気配が含まれているのを、しずくは感じ取っていた。
ちら、と花恋の視線が自分へ向けられる。
「もしかして、しずくちゃんは、ゆうくんのことが好きなのかな?」
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ドキッ。
突然の問いかけに、心臓が跳ねた。
一瞬、言葉を失う。
──好き。
それは間違いない。
だけど、"恋"ではない。……たぶん。
ゆうくんは、幼馴染。
いつも隣にいるのが当たり前で、特別とか、そんな言葉じゃ表しきれない。
けれど、それを説明するには、言葉が足りない気がして。
しずくは、慎重に言葉を選びながら答えた。
「うーん……もちろん、好きですよ。でも、幼馴染なので……一緒にいるのが自然というか、『特別な関係』? 一言では言い表せませんね。」
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花恋は、ふっと微笑んだ。
「へぇ、特別な関係ね。」
淡々と繰り返す。
どこか冷ややかな響きが混じっていた。
「なんか、『姉妹とか家族みたいな関係』かなぁ。恋人同士ではないんだね。」
──カチン。
しずくの心の奥底で、小さな棘が刺さる音がした。
(この泥棒猫……。)
にこやかに話す花恋の顔を見ながら、しずくは内心でそう呟いた。
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「私は……今のゆうくんとの距離感や、空気感が好きなんです。」
淡々と返す。
「たぶん、ゆうくんも『そう』なんじゃないかなって。」
しずくの言葉に、花恋は少し目を細めた。
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「へぇー、そうなんだ。」
意味深な声色で、花恋は言う。
「幼馴染って、そういうものなのかな。」
どこか探るような目。
「お姉さんはね、今、好きな人いるんだ。年下なんだけどね……なぜか年下なのに甘えちゃう人なんだ。」
ちらっと、しずくを見る。
「だから、しずくちゃんも応援してくれるとうれしいな。」
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ムカつく、この女。
しずくは、奥歯をぎゅっと噛んだ。
「恋かぁ……いいですね。」
努めて穏やかに返す。
「私はまだ子供だから、そのへん疎くて……『ゆうくんも同じかもですね。』」
軽く笑ってみせる。
「でも、花恋さんってすごく綺麗だから……たくさんの人からモテるでしょうし、そんな中で選んだ人だからきっと素敵な人なんでしょうね。」
しずくは、にっこり微笑んだ。
だが、その裏側では、花恋の"優位"を認めたくない気持ちが渦巻いていた。
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「ありがとう。」
花恋は、しずくの言葉を受け取った。
「でも、しずくちゃんももう少し成長したら、もっともっと綺麗になるわよ。」
そして、ふわりと微笑む。
「私が保証する。」
──要するに、「今のままじゃダメよ」と言いたいのだろう。
女としての魅力は、全然私が上。
そう言わんばかりの笑顔。
しずくは、その意図を敏感に察した。
だけど──それよりも、気になることがある。
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いちご牛乳。
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自分が一番、ゆうくんを理解していて、思いを通わせている。
そういう"自負"があった。
けれど、花恋さんの存在が、それを揺らがせている。
もし、私以上にゆうくんへの想いが強かったら?
私に隠していた関係が、何か特別なものだったら?
……もしかして、ゆうくんは、花恋さんが好きだったんじゃないか?
そんな考えが、頭をよぎる。
しずくは、そっと拳を握りしめた。
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「お待たせ、花恋さん。」
ゆうくんの声が、しずくの思考を断ち切る。
「おー、ゆうくん! まったよまったよ。」
花恋は嬉しそうに微笑んだ。
ゆうくんは、350ミリリットルほどのグラスに、いちご牛乳を注ぐ。
しずくは、それを見て──思わず息をのんだ。
(……普通の、いちご牛乳……?)
「あ、あれ……そのいち──」
思わず、声が漏れそうになり、慌てて口をつぐむ。
「はい、花恋さん。オリジナルいちご牛乳、どうぞ。」
ゆうくんが手渡す。
花恋は、ストローをくわえ、一口。
「うん、これだよ、これ。」
花恋は、嬉しそうに微笑む。
「すっごく美味しいよ、ゆうくん。『初めて』作ってくれたものと同じだよ。」
ちら、としずくを見る。
しずくの心の奥で、小さな音がした。
「はは、まだ未熟な頃に作ったものだから、そこまで『普通のいちご牛乳』と変わらないんだけど、喜んでもらえたら嬉しい。」
(……私に、言い聞かせてるみたい。)
けれど、その言葉に、しずくはほっとした。
「しずくちゃんも、このいちご牛乳、飲んだことあるのかな?」
挑発するような花恋の口ぶり。
しずくは、すっと花恋を見た。
「いえ、そのいちご牛乳は飲んだことがありません。」
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花恋の眉が、かすかに動いた。
「えっ? そうだったんだ。」
花恋は、驚いたふりをして言う。
「じゃあ、ゆうくん、しずくちゃんにもこれ用意してくれないかな?」
「んー、材料がもうないんだ。それにその花恋さん専用のいちご牛乳だからさ。花恋さんの思い出のいちご牛乳を他の人に出すのは、失礼かなって。」
花恋は、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「残念。しずくちゃんにも美味しさをシェアしたかったな。」
だけど──しずくは、動揺しなかった。
なぜなら。
花恋は、"知らない"。
ゆうくんの"特別"ないちご牛乳を。
──花恋は、まだ辿り着けていない。
そう確信した瞬間、しずくの心に余裕が生まれた。
──ゆうくんの"特別"を知っているのは、自分だけだ。
それが、しずくにとっての"勝利"だった。
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しずくは、ゆっくりと微笑んだ。
「いえ、私は大丈夫ですよ。」
しずくは、静かに席を立つ。
「そろそろ帰りますね。」
そして、花恋を一瞥しながら、静かに微笑んだ。
(可哀想に。)
花恋は、ゆうくんを好きなのに。
それなのに、いちご牛乳の"本当の意味"を、何も知らない。
──なんて、哀れなのだろう。
しずくは、ゆっくりと部屋を出た。
私がいちご牛乳を飲んだ時のあの感覚。
心の奥にじんわりと広がる、"わかり合えた"という確信。
それを、花恋は知らないまま満足している。
だから、しずくは静かに微笑んだ。
(ゆうくんの笑顔は、あんなものじゃない。)