第22話 花恋のいちご牛乳
──元カノ。
その一言が、しずくの頭の中でぐるぐると反響する。
あり得ない。そんな話、聞いたこともなかった。
しずくは、ゆうくんの隣にいるのが当たり前だと思っていた。
誰よりも長く一緒にいたし、彼のことを誰よりも知っているつもりだった。
──なのに、目の前の女の人は、それを軽く覆してしまった。
「花恋さん、元カノでもなんでもないでしょ。」
ゆうくんが、さらりと否定する。
花恋「ははは、ごめんごめん。」
悪びれる様子もなく、花恋は笑った。
「今から彼女になってもいいよ? お姉さんが、手取り足取り教えてあげる。」
軽やかな冗談めいた口調。
けれど、その言葉に含まれた意味を、しずくは見逃さなかった。
──その視線が、一瞬だけ自分に向けられたのを。
ほんの僅かに、口角が上がる。
まるで『あなたにはできないでしょ?』とでも言うように。
なるほど、理解した。
(この女は敵だ、泥棒猫だ。)
──そう思った瞬間、しずくと花恋は、互いを同時に敵認定した。
**
ゆうくん「あんまりからかわないでよ。」
軽く流すようなゆうくんの言葉に、しずくは少しだけ安堵した。
「え? そう? からかってるつもりはないんだけどね。」
花恋は、どこか楽しそうに笑う。
それが、挑発のように見えるのは気のせいじゃないはずだった。
花恋は、ちょっと肩をすくめて笑う。
「えー、せっかく冗談で言ったのに。もう、つまんないなぁ。」
だけど、どこかひっかかる。
花恋の態度が、からかいだけに見えなかったから。
「まぁ、それはおいおいね。」
さらりと流しながら、花恋は続けた。
「ところでさ、『ゆうくんが初めて作った』あのいちご牛乳がすぐ飲みたいなって思ってたの。海外留学してからも、それが忘れられなくって。だから、すぐここに来ちゃった。」
──心臓が、ドクンと跳ねる。
「っ……!」
しずくは、咄嗟に花恋を見た。
(いちご牛乳……?)
花恋が言った「初めて作ったいちご牛乳」。
その言葉が、しずくの胸にざわりとした波を立てる。
(私が最初に飲んだ……あの、特別ないちご牛乳のこと?)
そんなはずはない。
だって、あれは──
ゆうくんが、しずくに作ってくれた、特別なものだったはず。
**
しずくにとって、いちご牛乳はただの飲み物じゃない。
それは、ゆうくんの思いが詰まった、大切なものだった。
なのに、花恋は「初めて作ったものを飲んだ」と言った。
まるで、自分だけが特別だったと言いたげに。
(……なんでそんな言い方するの?)
しずくの目の前で微笑む花恋。
その顔には、どこか余裕があり、挑発的な気配も滲んでいる。
しずくは、自然と苛立ちを覚えた。
(私がどう思ってるか、分かっててやってるんだろうな……。)
**
「本当に、ゆうくんの作ったいちご牛乳が、あんなにおいしいなんて思ってもいなかったわ。」
ゆっくりと語るように、花恋は言葉を続ける。
「特に、初めて飲んだときのあの味。今でも忘れられないわよ。」
──カチリ。
しずくの中で、小さな音がした気がした。
ゆうくんが、特別ないちご牛乳を作っていた。
そして、それを飲んで、忘れられないほどの思い出になった人がいる。
花恋が言う「初めて作ったいちご牛乳」は、一体どんなものだったんだろう?
**
ゆうくんが、いちご牛乳を作っていた?
その思いに、花恋さんは応えていた?
しずくの中で、疑問が膨れ上がる。
けれど、今ここで答えが出るはずもなかった。
「もちろん大丈夫だよ。」
ゆうくんの声が、ふっと現実に引き戻す。
「じゃあ、これから作ってくるね。」
そう言って、ゆうくんは席を立った。
しずくの中で、焦りが募る。
(待って……。)
ゆうくんが「初めて作ったいちご牛乳」。
それを今から、花恋に作るという。
しずくは、思わず言葉を飲み込んだ。
(……何が出てくるんだろう?)
花恋が飲むのは、しずくが知っているいちご牛乳なのか。
それとも、全く別のものなのか。
ゆうくんがキッチンへ向かう姿を見送りながら、しずくの指先は、ぎゅっと握られていた。
その隣では、花恋がどこか勝ち誇ったように微笑んでいた──。




