第2話 ほんの僅か
ゆうくんの部屋は、柔らかな光が差し込む静かな空間だった。窓の外では、風が穏やかに木々を揺らし、その音さえも心地よく感じる。
カウンターの上には、いつものように整然と並ぶグラス。
しずくは、そっと息を吐く。
この部屋の空気には、どこか落ち着くものがある。
けれど――
目の前に置かれたグラスを見ると、どうしても肩に力が入る。
「また飲むの?」
しずくは、少し警戒するように呟いた。
昨日のいちご牛乳の記憶が、まだ鮮明に残っている。
「今日は、ちょっとゆっくり味わってみてほしいんだ。」
ゆうくんは、しずくをまっすぐに見つめながら言う。彼の瞳には、ほんの少しの期待が込められていた。
「このいちご牛乳には、僕の思いがこもってるから。」
その言葉に、しずくの心が、ほんの少しだけ揺れた。
「思いがこもっている――」
昨日の強烈な苦味とえぐみ。
粘り気のある液体が舌に絡みつき、喉をゆっくりと滑り落ちていく感覚。
――正直、慣れる気がしない。
「……ゆうくん、これ、本当に慣れるの?」
しずくは正直な気持ちをぽつりと零す。
ゆうくんは、静かにグラスを差し出した。
「うん。しずくがちゃんと飲んでくれたら、きっと変わるよ。」
簡単には拒否できない。
しずくは、ゆっくりとグラスを手に取った。
昨日と同じ乳白色の液体が、ゆらゆらと揺れる。
わずかにピンクがかかったその液体は、光を受けて鈍く輝いていた。
グラスを傾けると、液体はとろりと動く。
――やっぱり、粘度がある。
ふわりと鼻をつく匂い。
発酵したような、ツンとした独特の香りが鼻腔を刺激する。
しずくは一度目を閉じた。
――大丈夫。少しずつなら、きっと飲めるはず。
そっと唇をグラスに寄せる。
ゆっくりと、一口。
---
瞬間、舌の上に広がるのは、昨日と変わらぬ強烈な苦味とえぐみ。
しかし――
ほんの僅かに、昨日とは違う感覚があった。
「あれ……?」
さらにもう一口。
――確かに、苦い。
喉の奥に絡みつくような苦味が広がり、すぐに顔をしかめる。でも、どこか違う気がする。
何が?
もう一口。
苦味とえぐみの向こう側を探るように。
――甘い?
そんなはずはない。
でも、確かに、一瞬だけ感じた。
もう一度、そっと口をつける。
今度は意識して、舌の上でゆっくり転がすように味わう。
苦い。やっぱり苦い。
でも――
その隙間に、ほんのりと、わずかに――
甘さが滲んでいた。
---
「……?」
しずくは、思わず目を閉じた。
その甘さは、まるで何かに包まれるような穏やかな感覚だった。
最初は気のせいかと思った。
でも、何度も味わううちに、それが確信に変わった。
ゆっくりと目を開けると、ゆうくんが静かにしずくを見つめている。
その瞳は、期待を込めながらも押し付けがましくなく、ただ見守るような温かさがあった。
――この甘さは。
何度も苦みを超えて探し続けたその味こそが
ゆうくんの思いの味なんだと、しずくは気づいた。
心臓が、少しだけ高鳴る。
しずくは最後の一口を飲み干し、静かにグラスを置いた。喉の奥にまだ残る苦みとえぐみが、しずくの表情をわずかに曇らせる。
しかし、それでも――
前回のような強い拒絶感はなかった。
「……飲み干したね。」
ゆうくんの声が、しずくの耳に優しく響いた。
彼の目は、しずくの反応を静かに待っている。
しずくはゆっくりと顔を上げた。
「うん、飲んだ。」
その言葉を口にすると、ふっと息を吐く。
まだ味には強い苦みが残っているけれど、
ほんの少しだけ、何かが変わった気がする。
あの微かな甘さが、心のどこかで温かく広がるような、そんな感じがしていた。
「……前よりは、少しだけ、飲みやすかった。」
しずくはその言葉を少し照れくさそうに口にした。
ゆうくんは嬉しそうに微笑み、頷いた。
「本当に?よかった。」
彼の笑顔を見ると、しずくはなんだか不思議な気持ちになった。
「ありがとう、しずく。」
その言葉に、しずくは思わず顔を上げた。
「え?」
「全部飲んでくれて、本当にありがとう。最初はきっと辛かったと思うけど、それでも飲んでくれて、すごく嬉しい。」
しずくは、照れくさそうに顔を赤らめた。
苦さやえぐみが残る口の中で、
それでも心の中にじんわりと温かさが広がっていくのを感じた。
――いちご牛乳の中に、確かに甘さがあった。
私にはこのいちご牛乳がただの飲み物ではない事に
気づいてきた。
「ゆうくん思いが込められてるのなら、私は...」
飲まなきゃと思うのだった。
いちご牛乳に耐えれるものだけがこの物語の真相にたどり着ける。
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