白黒。反転、別離。
カチリと、中の磁石が盤に吸いつく感触を覚える。リズミカルに三度それを感じて、僕は片手で小難しそうな表情をする蒼ちゃんを促した。
「君の番だよ」
簡潔に言えば、オセロをしていた。三つの角を僕が制し、どう贔屓目に見たところで、こちら側が優勢である。僕が頭脳で負ける相手なんて、ほとんどすぅちゃんオンリーと言って差し支えない。明音さんにも、勝てる気がしないけど。緑は相手にならないだろうね。美稲は、進化具合による。病状が悪化すればするだけ、美稲の能力値は底上げされるから。僕が負けるようになっては最早末期だろう。そうは、絶対にさせないけど。
「先輩、今相当失礼なこと考えてましたよね」
「なんのことだか」
「人を小馬鹿にした眼で見ないでくダサい」
「あれ? 今僕ダサいって言われなかった?」
「きにすんな」
「ため口!? なんか最近冷たくないかな赤坂姉妹」
「予感がするんですよ。って、これは緑の受け売りですけど」
「……ふぅん」
少し、心臓が大きく脈打った。この子たちは、勘が良過ぎる。特に緑。頭脳を捨てて野生を取り戻したとしか思えないからな、彼女は。
「顕正くん今絶対失礼だ」
「その断定はまた新しいな」
読んでいた漫画からふと視線を上げた緑に咄嗟に突っ込み、誤魔化しきれた事を確認して胸をなでおろす。なにこのアウェー感。ここは実験室で研究部で、部長はこの僕のはずなのに。
これが俗に言う双子の絆ってやつなのか……っ(須らく錯乱気味)。
「先輩の番ですよ」
「あ、うん」
いつの間にか自分のターンを終えていた蒼ちゃんに促され、僕は彼女の手で四つ減らされた黒の位置を確かめる。うぅむ、未だ優勢は揺るがず、だね。このまま行けばなし崩しに勝てそうだった。
「ほい」
上手い具合にコンボを狙える場所を発見し、この順は甘んじて一つを返すに落ち着く。蒼ちゃんは僕の手に気付いたようだが、残念、君の位置ではこの計画を阻止することなど叶わないのだよ。
「……」
淡々と二枚を返し、また僕の順が回ってきた。迷わず先んじて積んであったコンボを発動し、一気に一列と斜め数個をひっくり返す。蒼ちゃんの悔しげな表情を見てやろうと顔を上げると、しかし、予想に反してその端正な顔に浮かんでいたのは含み笑いだった。
「先輩、甘いですね」
「何? ……っ!!」
蒼ちゃんの指が向かう先を見て、僕は戦慄する。しまった、自分の手にかまけ過ぎて防衛を疎かに……っ。
「これが逆転の一手です!」
「ちぃっ、だが甘いのはそっちだね! まだこっちには余裕がある!」
「ふん、気付いてないんですか? 愚かな。もう先輩は、私の掌なんですよ」
「莫迦な! 僕は手相に化けた事はないぞ!」
「ええ、大丈夫です、内部の肉のほうですから」
「生々しいなぁ! ていうか想像したら普通にグロイよその情景」
「想像しないでくださいよ気持ち悪いな」
「横暴だ!」
「はい私の勝ちです」
「はぁ!?」
これはオセロなのかという応酬の末、なぜだか僕は敗北を喫していた。何かがおかしい。
「え? 確かに可笑しいですね、先輩」
「ん? いまどさくさ紛れに僕の事可笑しいって言わなかった?」
「大丈夫ですよ。褒めことばです」
「ならいいけど」
得心して、負けた原因を洗い出す。また漫画のページを捲る手を止めた緑が「騙されてるよ……」とかなんとか呟いていたが、僕はいつだって盲目気味なので気にしない。あれ、馬鹿を告白したような気がするぞ。
「大丈夫ですよ先輩、知ってましたから」
「だよねぇ」
「え、顕正くん馬鹿だったの。やっぱ、そんな気がしてたんだ」
「おいこら緑、てめぇ調子付いてんじゃねぇぞ」
「なんであたしだけ怒られんの!?」
「はぁ? 蒼ちゃんがいつ僕を莫迦にしたよ」
「ずっとだよ! 最初から最後まで!」
「とか言ってるよ、蒼ちゃん。ふぅ、これだから構ってちゃんは」
「嫌ですよねぇ。私が先輩を悪く言うわけ無いですのに」
「しらじらしいよ!」
「うっせぇな」
「!? いい加減あたしも泣くよ!?」
「はん、そこが浅いね君も。泣き落としが通じるのは中学生までだっての」
「……。……ひぅ」
「え? あれ? まじもんですか? え、あの、緑さーん?」
「あーあ、先輩、最低ですね、うちの姉泣かせるなんて」
「君も原因だろうが!」
「はぁ? 上手い事罪擦り付けないでくださいよ、嫌らしい」
「何が嫌らしいんだ!?」
突っ込みどころを逸らすことで上手い事かわされた気がするのはむしろこっちだった。蒼ちゃん、うすうす感づいてはいたがそれなりの策士らしい。明音さんの影響が混じっているとみて間違いなかった。つくづくはた迷惑な種を撒いていく人だった。
本当に泣きだしてしまった緑を撫でてやったりだかで慰めていると、制服のポケットで携帯電話が震えだすのを感じた。中々止まらないので、取り出してみる。予想通り電話で、ディスプレイに表示された名前は、美稲だった。……ここまで、か。手厳しいね、世界は。
「もしもし」
『顕正、困ったの』
「どうしたのさ」
『うん、赤い液体が……』
「っ。どっから? まさか吐血なんかじゃないよな」
『うん、トマトジュースとか絵具とか』
「じゃあな」
通話を終えて携帯をポケットにしまいなおす。無駄極まりない緊張感をどうもありがとう。
「顕正くん? どうかした?」
「ああ、うん、莫迦から電話」
下らないと言うか、結局何の用だったんだ、美稲は。と、再び着信を伝えるバイブレータが響いて、嘆息しつつも、僕はまた通話ボタンを押した。
『顕正、なんで切るの』
「君が予想以上に馬鹿だったからだ」
『失礼』
「まっとうな感想だと思うんだよ。それで、何の用?」
『うん。……これ、血』
「どれだよ……。出所は?」
『えっと……』
少しばかり言い淀んで、美稲はそれから、細々と言葉を紡ぐ。
『顕正、ゴメン』
「ん?」
なんで謝るんだよ、と続けようとして、最悪のパターンが思い当たった。けほっと、小さな携帯越しに咳きこむ音が聞こえる。
『血、吐いてるみたい』
「すぐ行く待ってろ」
返事も聞かずに電話を切って、僕はすぐさま荷物を持って立ちあがった。畜生、早すぎやしないか?
「顕正くん?」
緑が心配そうにこちらを覗きこんでくるが、ゴメン、今はそんな余裕は無いんだ。無視して足早にドアへ向かう。
「ちょ……」
「どけよ!」
伸ばしてきた手を振り払って、お互い、そして少し離れた所にいた蒼ちゃんもが息をのむ気配が伝わる。嫌な空気が、部屋に満ちる。ああ、くそ、まだ早いって。つくづく都合を無視してくれるなぁ。
僕の独りよがりな都合なんて、確かに、世界にはなんの関係も無いのだろうけど。
「……ごめんなさい」
僕が悪いのは目に見えていたのに、先に謝罪を口にしたのは緑だった。いや、僕が悪かったと、それだけ口にして謝ればいいのに、しかし、僕の奇は急いてしまっている。
「……っ」
一刻を争う事態なのだ。すぐにでも、薬を飲ませなければいけないんだ。美稲に渡してはおけないから、僕が持っていたんだ。だから、僕が行かなければならないんだ。
言い訳が脳内を蹂躙する頃には、僕の足は全力で走っていた。結局、ごめんの一言も、言えずに。
終わったなぁと思う。明音さんのフォローも、こうなってしまっては無駄だろう。彼女だってあの後部室には顔を出していないわけだし、ひょっとしたら僕の底の浅さくらい分かっていたのかもしれない。ああ、くそ、心地よかったのになぁ。
さよなら、研究部。
僕の足は、助けたい彼女の家へと向かう。止まりは、しないみたいだった。
少しばかり更新が開くかも知れない事を先んじてご報告させていただきます。ちょっとばかし用事があるのです。
最後までお付き合いいただければ。
それでは、感想評価等いただければ幸いです。