おぼろげ。白い病室の中。
美稲は小学生のころ、大病を患っていた。先天的なものではなく後天性で、明確に体に悪影響が出るのではなく、徐々に、長い年月をかけて発病する病気だった。
厄介なことにそれは病気と呼ぶにはあまりにも特異な現象で、発病してから数年、数十年かけて、患者の身体能力をゆっくりと上げて行くという、医学的にも証明不可能な、わけのわからない病気で。中三の時に一度喀血してから、美稲が自分の「能力」に耐えられなくなっていることが分かった。
身体能力が上がり続けた結果、彼女の体のつくりがそれを受け切れなかったのだ。男性で、体格の完成した人間であればこの症状はまともに寿命を終えられるくらいには緩和されるのだが、しかし何の因果か、美稲は女性で、しかも当時は身体も未発達な小学生である。高校までの急激な成長に、体が持つわけが無かったのだ。
倒れるかも知れない兆候はあった。合宿の前日、買い出しに行った時、常人よりも強化されたバランス感覚を持つはずの彼女が、いとも簡単にならず者の男に引っ張られていた。それだけじゃない、海で遊んでいる時も、彼女は進んで泳ごうとはしていなかった。僕の隣について、出来るだけ体力の消費を抑えていたのだと考えても、つじつまは合う。畜生、約束したのに。中三の時に、僕と、ちゃんと。望むから、指切りまでしてやったのに。
あの指切りは、嘘を吐く自分に対する枷だったとでも言うのか?
ふざけるなよ。
白い病室で、美稲は横たわっていた。白い肌をさらに病的に青白くして、目を瞑っている。体の機構を衰弱させる薬を投与したせいか、呼吸の感覚は整っていた。どうやら、促進は今のところ治まっているらしい。
だけどそれも、一時の事。倒れた美稲を病院に連れて行ったあと、すぅちゃんに頼んで美稲のカルテのデータをハッキングしてもらったのだが、どうやら、定期的に衰弱させるための錠剤を投与しないと、今年中には立つこともままならない体になってしまうらしい。薬を投与し続けたところで、すぅちゃんの見立てではもって三年。彼女の見立ては外れる確率の方がはるかに低い。
美稲のことが基本嫌いなすぅちゃんも、流石にこの状況には軽はずみなことを言う気配で無いのを察したか、あの日――――昨日以降、軽い調子で僕に声をかけることは無くなった。ライバルがいないと張り合いが無い、とか言ってた気もする。
そんなことより、今は美稲の病状だ。なんとかしなくては、このままではどちらにしろ彼女は僕のそばから遠のいてしまう。ひたすらに傲慢に強欲に、僕は全てを手に入れたいのだ。美稲を失うだなんて、最悪の部類に入る。言語道断である。ならば、僕に出来ることはなんだろう。
何も、出来るわけが無かった。こんな時、僕はとても無力だ。僕には研究しか無い。医学なんて欠片も知らないし、だから、彼女の病状を詳しく知ることすら出来ていないのだ。とはいえ、彼女の病状を何から何まで把握している人間など、この世の中にすぅちゃんを除いて他にいないだろうけど。と、思いいたる。
すぅちゃんなら、なんとか出来るんじゃないか?
一瞬考えて、僕は直ぐに病室を飛び出す。かける価値は、ある。
「楽勝だよ」
すぅちゃんはあっさりと首肯した。拍子抜けなくらいだ。そして、おもむろにバッグから数錠の錠剤を取り出す。見たことのない形。ひし形の錠剤。
「あらくんなら、そういうと思ってたから。まあ、それでも騙し騙しになっちゃうけど、寿命分くらいは生きられるはずだよ」
ふわりと笑う。そうじゃないとあらくんじゃ無いよね、とまで言って、すぅちゃんは悠然と部屋に戻って行った。試されたみたいだ。
騙し騙しでも良い。美稲には、死んでもらっちゃあ困るから。
薬を飲んだ美稲は、次の朝には退院できるほど顕著に快復していた。ずっと看病していた僕を素通りして、すぅちゃんの方に向かう。
「ありがとう、かぐやちゃん」
「いえいえ。今後も、負けませんよ、みぃ姉さん」
女性二人、にっこりと笑いあう。どこか以前よりは険悪さも取れた気がして、僕はついつい笑ってしまった。後々わかることだが、全然緩和されちゃいなかった。僕の眼は節穴だった。
気付けば明日は緑とのデートで。なんのプランも練れていないことに、今更気がついた午後十時。
……ヤバイ。
美稲の病気、一時休止。なんていうか、一応伏線扱いです、はい。いずれ。
ということで、緑とのデートがせまって参りました。クオリティの低下が目立っているのでなんとか改善したいところ。
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