友情無情。情はもろく。
「明音さん」
僕は、口を開く。
「……っ」
明音さんが息をのむのがわかった。ひるんではいけない、このまま一気に、一息に押し切る。
「ごめんなさい」
「ぁ……」
ぬいぐるみの影に少しだけ見える彼女の眼に、明らかに落胆の色が浮かんだ。違う違う、僕が言ってるのはそうじゃない。
「気がつかなくて、ゴメン。すぅちゃん……翡翠の事」
「え?」
僕の言葉に、明音さんは意外そうな声を出す。告白の返事が返ってきたのだと思っていたのだろうが、残念。僕はむしろそれを誤魔化すために言を連ねているのだ。
「ごめん、僕が浅はかだった。それで、あっちは解決したから、謝りに来たんだ」
「そ、そう。そうだったわね……」
落胆を押し隠すように僕の言葉に頷く明音さん。さて、返事はしないとは言え、それでは納得してくれまい。してくれるのかもしれないけど、そこまで甘えるのは僕の弱さだ。そしてその弱さは、彼女たちに克服させてもらった。
「それじゃあ、まだ赤坂家に行ってないから、早いけど失礼するよ」
立ち上がりざまに明音さんに向き合って。ちゃんと、目を合わせて。この人に、この可愛らしくて美しい人に、恥をかかせるようじゃ僕は男じゃない。最早遅い気がしないでもないけど。でも。言っておくことが、あるから。
「それとさ、明音さん」
噛まないように気をつけつつ、続ける。
「僕は君を、手放すつもりはないから」
「っ……」
引きかけていた彼女の顔の赤みが再来する。こらえきれずに少しだけ噴き出して、怒られる前にドアノブに手をかける。最後にもう一度だけ振り返って、挨拶。
「また明日、部室で――――」
待ってるから。そう繋げようとした僕の肩をやわく押して、バランスを失って態勢を崩しかけた僕の言葉をさえぎるように、唇が。
「っ!」
塞がれた。
「部室で、ね。わかった。アンタ如きの謝罪に耳をかしてやる義理はどこにもないけど、特別。今回限りは許してあげるわ。だから、今のはただの事故よ」
「……」
「見送りはしないわ。じゃあね、顕正」
呆然とする僕に背を向け、ひらひらと手を振る明音さん。返事も出来ずに、僕は無言で彼女の部屋を出ることになった。流石、と言うべきか。明音さん、恰好良過ぎるだろ。
玄関へ向かう途中、コーヒーのカップを一つだけお盆に載せた三笠母に遭遇した。
「あら、もう用は済んじゃったの?」
にっこりと笑う若きお母様に、僕は最大限皮肉をこめて返した。
「はい、おかげさまで」
通じた気がするけど、同時に、効かない気もした。すれ違いざまに見えたカップには、「AKINE」という文字があったから。最初から僕らの話が終わるのを見越していたに違いなかった。ああもう、久々の完全敗北だった。中々心中穏やかでないけど、でも、はめられて悪い気はしないのだから不思議だ。
なんていうか、役得?
とはいえ、うん、三笠母、要注意人物リスト、堂々の最上級クラス入りだ。はた迷惑な。
三笠家の敷地を出て、僕は次の目的地に向かう。時刻はまだ夕刻前。十分に、赤坂家を訪れる時間は残っていた。
事前にメールを入れるため、携帯電話を開く。メール作成画面を立ち上げた丁度そのタイミングで、僕の携帯が着信を伝えるバイブレータを起動した。僕にしては珍しく電話らしい。
『着信中 赤坂 緑』
……。タイミング良過ぎるだろう、これ。迷いなく、通話ボタンを押しこむ。
「もしもし、緑?」
『気安く名前を呼ばないでください』
……。えぇと。あたり前だけど、怒ってらっしゃるようだった。というか、明音さんの比じゃない怒りようだった。あの人、いったい赤坂姉妹になんて伝えたんだ?
「浮気者は死ねば良いんですよ」
うわぁ。声がなんだか背中から聞こえてきたような気がして、余計に背筋が凍る。――――ん?
「緑っ!?」
耳元に囁く気配に振りかえると、電話の主にして声の主、赤坂 緑その人がそこに立っていた。電話の意義を問いただしたい次第である。
「奇遇ですね、顕正くん」
「……そうだね、久しぶり、緑」
「嘘ですよ」
「え」
「奇遇じゃないですし、気安く呼ばないでなんて、本心じゃないですから」
「そ、そう。奇遇じゃない、と言うと?」
僕が疑問を口にすると同時、質問を予測していたのか「顕正くんの家に行ったら丁度出てきたんで、後を尾けてたんです」と答え、そして、何故か僕の服の、肩のあたりに顔を近づけると、小動物か何かみたいに鼻をひくつかせた。
「三笠先輩の匂いがしますね。大分近い」
「君は犬かっ!」
「違いますよ! 顕正くんの犬ではありますがっ!」
「僕は君を飼った覚えは無い!!」
ていうか、自分を犬って称するのか君は。というのは置いておいて、彼女は僕が巧みに誤魔化したのには気づかず、そのまま話を続けた。
「で、道順を見る限り、家に来るつもりだったんですか?」
「ああ、うん。今から行っても問題ないかな?」
「ないですけど。それに、あたしはさほど怒ってないですけど。あ、怒って無いんじゃないですから勘違いしたらぶっ飛ばしますから」
「ごめんなさい」
緑の笑顔が一瞬修羅に見えた。一も二も無く、僕は頭を下げる。緑は僕の背を押して「まあいいですから」と言うと、また僕の耳元に口を近づけて、不吉な言葉を発した。
「それに、さほど怒ってないのは、あたしだけですし、ね?」
それはつまり、蒼ちゃんのことを指しているのだろうか。さしてるのだろう。となれば、あの子が、滅茶苦茶怒ってるって言うのか? それとも、全然怒ってないか、極端なニ択。後者は、無いだろうなぁ、多分。彼女も研究部には大分居心地の良さを感じていたみたいだし。僕に対して怒ってないわけが無い。ましてや、こちらに至っては明音さんや緑、美稲みたいに「僕を好き」っていう怒り緩和用のオプションが無いのだ。ゴクリと、唾を飲む。ああいう子は、怒ったら怖い。絶対怖い。
「ささ、あたしへの謝罪は今度一日デートしてくれれば済ましますから、行きましょうか、顕正くん?」
ちゃっかり自分に都合のいい約束を取り付けて、緑はひと際強く僕の背を押した。上体が崩れて、僕は一歩、踏み出すことになる。嫌な予感しかしない、赤坂家に向かって、一歩。
後篇すっとばしてようやく明音さんとの確執を終えました。距離も大分縮まったかな?
で、なし崩しに赤坂家へ。顕正の行く末を見守ってやってください(笑)
それでは、感想評価等頂けると幸いです。