情愛。明けの恋音。
反射的に明音さんを抱きかかえる態勢になって、思っていた以上に軽い衝撃と、ふわりとした、柔らかい女の子の感触が僕に訪れる。背中を撃った衝撃から咳きこみそうになっていたはずなのに、直後に感じた生きた温かさと柔らかさに、僕の喉が逆に引きつった。ひくっ、と、しゃっくりのなり損ないみたいな音がなる。十秒くらい経っただろうか。時間の感覚は無かった。ただ、そろそろ起き上がらなきゃと思いいたって、僕の胸に顔をうずめる形になっている明音さんに声をかけようとし、
「……」
真っ赤に染めた頬を隠すように僕の胸に顔をうずめて、混乱が過ぎてか怯えるように肩を震わす彼女の姿が目に入り、僕は起しかけた状態から力を抜いて天井を見遣った。無理だ、こんな表情をされて、直視できるほど場慣れしていない。そして、何と言っても、これは明音さんなのだ。
蒼ちゃんや緑なら、この反応も頷けたかもしれない。まあ、蒼ちゃんが実は僕を好きなんていう事実は無根として存在しないのだけれど、この場合は例えなので仕方がない。美稲は、うん、きっと好機とばかりに抱きついてくるんだろう。そっちはもう慣れた。
そう、それで、これはやっぱり明音さんなのだ。慣れるどころか、駄目だ、情報量が多すぎて整理が追い付かない。一度落ち着こう。
状況の整理を試みる。僕が彼女の部屋で待機していると写真立てを発見してしまって、その中には僕がいて、そして彼女が部屋に入ってきて、驚いた表情をして、そして、頬を染めて。
考えるまでもなく、十中八九、三笠母の仕掛けた罠な気がした。思えば、最初からおかしかったのだ。わけのわからない冗談で僕の気を削いで、混乱のまま許可も無く明音さんの部屋に通して。きっと明音さんにはコンビニかどこかに買い出しに行くよう仕向けていたのだろう。そうなると、三笠母は僕の来訪を知っていたことになるが、そこは、明音さんが気を利かせてコーヒーを出させようとしたからの線が濃い。どう考えたところで、明音さんがあの写真立てみたいな、あからさまなミスをするわけがないのだ。常に機先をとってペースを握り、流される側には立たない。彼女は川で、基本僕は流される側の葉っぱだったのだ。と、なると。
やり手にも過ぎるよ、三笠母。
「け、けんせぃ……っ」
「っ、な、なに?」
突然声をかけられて、若干声が上ずった。駄目だ、彼女の方を直視できない。
「だ、から、これは、その、お母さんの、その、策略、っていうか、あの……」
しどろもどろにもほどがあった。言いたい事はわかるが、明音さんは相当取り乱しているらしい。まあ、おかげで僕の声が変に裏返ってるのにも気づかないでいてくれているみたいだから僥倖だけど。というか、やっぱりそうなんだ三笠母。侮りがたし。
しかし、明音さんは母親のことをお母さんと呼ぶらしい。なんていうか、『ファンシー』が趣味な彼女なら解らないでもないけど、どうにもその趣向が微妙だからなぁ……。
いや、今はどうでもいいことだ。とりあえず、この状況。この変な雰囲気をどうにかしなければ。
「わかってるよ、明音さん。うん、あの写真立ては明音さんのお母さんが仕掛けたものであって、君には一切関係ないんだろう?」
「え、ぁ、えっと……」
頷けよ。折角の僕のフォローを、しかし明音さんは釈然としない表情で見送った。そこまで気が回ってないのかもしれないが、別の可能性にも思いいたって僕は何も言えなくなる。
「けん、せい。あのさ……」
「なんでしょう」
努めて平然と。やはり多少上ずった声が出るが、大丈夫、気付かれていないようだ。
「私、その、アンタの事、実は」
「……」
言の葉を区切って言い淀む明音さん。やめてくれっ、この沈黙に耐えられるほど僕は大物じゃないんだっ。って、やっぱりこれって、いわゆる。
「好き、なの……」
所謂、酷薄ってやつだった。違った、刻薄だ。ああこれも違う、告白、だ。やっぱり僕も落ち着いてなんか無いらしかった。
答えが見つからずに、僕の眼が泳ぐ。未だに僕の上で目に見えて縮こまっている彼女の肩を抱いて押しのけ、ようやく僕は体を起こすことに成功する。大した抵抗も無く、そして、明音さんは近くのベッドからファンシー色の(この単語の定義が僕の中で深緑基調に確定されつつあった)大きめな熊のぬいぐるみを抱えて、顔を隠す。いつもの邪悪さなどどこにも見えない可愛らしい女の子(但し持っているぬいぐるみは除く)振りに、僕は焦りを隠せなかった。美稲や緑に告白されるのとは、何故か全く違って思えて不思議だ。あの二人はなんか、あたり前のように言うから実感がわかないんだよなぁ。その点、今回の明音さんは、いわばそれらし過ぎた。意識するなと言う方が無理である。そうでなくたって、彼女は黙っていればとんでもない美少女なのだ。黙ってないから、あんまりもてないみたいだけど。それすらわざとに見えるので、彼女はきっと、彼女なりの処世術として自分の容姿と言動をミスマッチさせているのだろうと思う。
おかしい。僕は、ここに何をしに来たんだっけか。明音さんに謝るためじゃなかったのか。なんで告白されてるんだよ。くそう、三笠母、初対面で完璧に要注意人物の仲間入りだ。手際が良すぎる。間違いない、あの人は明音さんの母親だった。
しかし、どうする? 返事はしなくてはならないのだろうか。それこそ緑の方は、なんとなくなし崩しに認識してしまってるけど、それも駄目なのだろうか。ああ、もう、頭が回らない。僕は何を迷っている? 告白されたら断るのが僕の通例だったはずだ。それが誰であろうと。美稲でも、緑でも、すぅちゃんでも、例外なく、明音さんでも。
戸惑っている、迷っている僕は、きっと、彼女との関係が終わるのを恐れているんだなと、直感した。
考えろ、解決法を。彼女には悪いけど、僕はこの件について真面目な返答を返すわけにはいかない。となれば、有耶無耶のうちに当初の目的を果たして、颯爽と立ち去るしか方法は無い。
僕は満を持して、言葉を紡いだ。
今回で終わらせるつもりだった明音さんルートがまさかの続投。作者をとことん困らせてくれる展開です。なし崩しに付き合わせちゃったらどうしよう、とか、やったら作品的に終わる思考が首をもたげてきて困ってます(笑)
それでわ、よろしければ感想評価等お願いいたします。