鳴き声。翼、弱く。
イカロスの羽は、蝋でできていたが故に溶けてしまった。では、それがもし本物の翼だったとしたら?
太陽に近づこうとも、溶けることない、翼だったとしたら?
それでも、最期には、燃えて死んでしまうのだろう。熱すぎる太陽に触れて、か弱い鳥が、人間が、生きていられるわけがない。
強すぎる力は、下に位置する命を無意識に奪う。防ぎようのない真実に、覆しようのない事実に、ただただ、流されていくだけなのか、僕は。僕らは。
耐えられる強さを与えてくれないのなら、なぜ僕らが生まれたんだ?
「つまり、一年の時にあなたが壊れていた理由がこの子なのね」
明音さんが、意図的にであろう、トーンを下げた声で言う。
「違うよ。いや、違わないけど、僕が壊れたのは僕の所為だ」
「そ」
そっけない返事。どうも明音さん、あまり機嫌が良くないらしい。これは下手に触れない方がいいな……。
「んぅ……?」
「ふん、お姫様がお目覚めみたいよ? 萩野君」
「ああ、うん……」
萩野君? 明音さんが僕を君付けで呼んだことなんて一度も無かったはずだけど。ああいや、あったな、一年の、最初だ。まだ知り合って間もなかったころ。
「ん~、あらくん……?」
「おはよう、翡翠」
「すぅちゃん」
「おはよう、翡翠」
「すうちゃん」
「おはよう、翡翠」
「……すぅちゃん……」
「……」
明音さんがいるんだよっ、そんな呼び名使ったら絶対からかわれるだろうが。
「夫婦漫才はいいわ、うざったい。それより、紹介しなさいよ、その子」
明音さんの眼がとても冷たかった。
「……。天香具山 翡翠。それは言ったか、翡翠、こちら研究部員の三笠 明音さん」
「三笠さん? ああ、悪逆非道の……」
「へぇ?」
「翡翠っ!」
すぅちゃんのセリフで刹那の家に三笠さんの眼が据わった。駄目だ、僕の命日は今日か。
「中々愉快な紹介をしてくれているようね、萩野君?」
「ごめんなさい君付けやめてください怖いです」
土下座せんばかりの勢いだった。これだけやっても許されるかどうか。
と思っていたのだが、三笠さんは僕の言葉に、逆に楽しそうに笑った。邪悪じゃない彼女の笑顔なんて久しぶりである。それはそれで失礼な話だけど。
「そうね。君付けなんて距離感感じるものね? うん、わかったわ、顕正」
「え」
その呼び名で呼ばれたことも皆無だったんですが。なんだ? 最近は研究部内で呼び名を変えるのがブームなのか?
「あらくん、浮気?」
「君も君で美稲みたいなこと言うなっ!」
「美稲って、まだみぃ姉さんと仲良いの?」
「墓穴掘った!」
流石すぅちゃん、悉く僕をはめてくれる……っ。
ていうか、僕が自爆しただけだった。正しい意味で墓穴を掘っていた。愚かだ。ついでに、みぃ姉さんと言うのは勿論のこと美稲だ。美稲の「美」からとっているみたい。
何だろう僕、今がモテ期なんだろうか。
「そうかもね。両手に余る花束だものね、顕正」
明音さんが酷薄に笑う。たまに見せる純朴な笑顔はとても魅力的だけど、こういう時の明音さんの笑顔はただただ怖かった。
「たまにしか見せないから価値があるのよ」
「どこまでも計算高い人だね……」
「ええ、好きな男を落とすためだからね」
「そりゃあまた青春ですね……」
ん? 好きな人って言ったか? 明音さん。この人にもそんな存在がいたんだ……。
「失礼ね、あたり前じゃない。私だってうら若き乙女なのよ。恋の一つや二つ、するに決まってるわ」
「ふぅん。明音さんに好かれるような男なんだったら、きっとかなりのやり手なんだろうね」
「全く逆よ、無知で無能だわ」
「捻てるなあ」
ここまでくるとむしろ一周回って可愛く思えてくる。脳内変換で照れ隠しに変えてみたりね。
「変な妄想しないで頂戴。死なすわよ」
「たまに捻るのめんどくさくなるみたいだな!」
「失礼ね、分けるわよ」
「僕の体をか!」
「沸かすわよ」
「この燃えたぎる血をかぁっ!!」
なんていうか、このやり取りもだんだん楽しくなってきた。中毒性なんだろうか。だとしたら明音さん、怖すぎる。
「あらくん、無視しないでよ……」
と、泣きそうな顔で僕を見るすぅちゃん。ごめん完全に忘れてた。
「うー」
「唸らない唸らない」
「がー」
「吠えない吠えない」
無秩序にも程があると思った。この状況、誰が治めるんだよ。
「それで、顕正」
「もうどうでもいいけど、呼び名は顕正で確定したのか明音さん」
「駄目なの?」
「や、もうどうでもいいってば」
「ふん、で、顕正。この子、翡翠ちゃんが貴方の家にいる事情は分かったけど、なんでここにいるのかしら?」
「え?」
「ここは、研究部室よ」
明音さんの即答が、何故か重い響きを持って僕を殴りつけた。ここは研究部室。そんなの、わかりきった事実だった。すぅちゃんがいるのは、彼女がここに来てみたいと言ったからで。『鳥かごから出たら居場所が割れる』というから荷台を取り付けて押してきて。
「もう一度言った方がいいかしら?」
反応を見せない、反応できない僕に、明音さんは容赦なく同じ言葉を投げつける。
「ここは研究部室よ」
解らなかった。笑えるほどに分からなくて、そして、明音さんはため息をついて席を立つ。
「今更、部外者を連れて来られても挨拶に困るのよ、萩野君」
ここは、研究部室なんだから。言い捨てて、明音さんは実験室を出て行った。
何かを間違った。僕は、何かしら大きな間違いを犯した。それが何なのか、明確な形を持って理解できない僕は、やはり、所詮僕だからなのか。
違う。それは違う。僕は分かっている。答は明確に分かっている。彼女の言いたい事も、僕がしたことも、解っている。
壊れたのか? こんなことで? 僕の所為で? 考えが足りなかったから?
だとしたら、馬鹿だ。僕は馬鹿すぎる。愚かで愚かで愚かで、その上愚かだった。
研究部は、いつからか、僕だけのものじゃなくなっていたというのに。
「あらくん?」
「何でもないよ」
籠の中から僕を覗き込んでくるすぅちゃんから顔をそむけ、僕はつぶやく。
「帰ろうか」
「? うん」
あーあ。自然と自虐が脳を満たす。簡単な話だった。簡単過ぎて見落としていた。なれ合っていた。楽観していた。僕らを乱すのは、いつでも僕だったのに。
それから明確だったのは、美稲以外の部員が、活動に出てこなくなったことくらいだった。
翡翠の啼く声が聞こえる。ああそうか、翡翠って、啼くんだっけ。
解決しよう、すぅちゃんの、『理由』を。
研究部の決別。理由は単純なものなのですが、はい、無駄に伏せてます。全ては解決してから。
次回より美稲以外の部員の出が悪くなります。ちょっとだけ。赤坂姉妹なんてここのところめっきり出番ないのに……。
顕正はすぅちゃんの事情を如何にして解決するのか。研究部員との絆云々は。
次回も楽しんでいただければ幸いです。
それでわ、感想評価等よろしければお願いいたします。