鳴き声。再開と和解と境界。
夏休みも本番、八月の中旬だった。合宿も終え、天気予報の実験を終え、夏に残った僕の課題と言えば、崩壊の時期を少しでも早める研究だけ。それが根幹と言えば、確かにそうなのだけど。
その日も僕は部活を終え、一緒に行っていた美稲と、当然のように一緒に帰っていたのだが。
玄関口に、おかしなものが見えた。
鳥かごにも見えるし、鳥かごにも見える。鳥かごにしか見えないような気もするし、やはり、鳥かごにしか見えない気がする。というか、鳥かごだった。
「……。美稲、今日、君んちに泊めてくれないか?」
「いいよ」
即答だった。即答でした美稲さん。もうちょい迷え、僕を少しは警戒しろ高校男子だぞ!
「うん。いいよ」
「いや、冗談だよ、流石に」
「むー」
頬を膨らませる美稲。うん、可愛い可愛い。
「それじゃあ、顕正。帰るね」
我が家の隣の一軒家に向け、美稲は足を進めた。僕に気を使ったわけでは、多分無いだろう。美稲、あいつの事嫌いだからなぁ。恋敵な意味で。
さて、そろそろ僕も現実から極力目をそらしながら帰宅しよう。玄関の前を我が物顔で陣取る巨大な鳥かご……扱いとしては人籠を、僕は最大限自分の視力と立ち向かう強さを弱体化させてスルーした。足をかけられた。転んだ。いてぇ。
「ったた……、全く、なんにも無いところでこけるなんて、僕はほんとうにドジだなぁ」
うんうん、僕は何も見ていない。見ていないし、今のは僕が勝手に躓いてこけただけだ。僕は非常に往生際が悪かった。
「あらくん、それ以上無視したら泣くよ」
「鳥は大人しく啼いてろ」
「へぇ?」
「……久しぶりに過ぎるね、翡翠」
籠の中でふんわりと微笑む、未だ幼い、それでも異常なまでに大人びた雰囲気で整った顔を晒す少女は、笑みを崩して、少し拗ねた風な表情を作った。まさしく作ったと表現するにふさわしく、彼女の表情はどれも作られたかのように明確に、整い過ぎている。良くできた人形か、もしくは全人類の表情の見本でも見ている気分になる。
「前みたいに、すぅちゃんって呼んでよ」
天香具山 翡翠。幼馴染。僕の黒歴史。僕の罪過。僕の婚約者。僕の親戚。僕の従妹。全人類の見本。完全無欠の、欠陥品。……そして、すぅちゃん。
「……やっぱり、その名で呼ぶには久しぶりに過ぎるよ、翡翠」
「そうだね、あらくん」
「そっちも空気読んで顕正にしようよ」
「嫌だよ。僕は、あらくんが感じてるほど、あらくんと久しぶりな気はしないもの。それに、こうしていれば直にあらくんにすぅちゃんって呼んでもらえるかなって算段もあるし」
「あそ」
確かに少し話して慣れてきたら元の呼び名に戻すつもりだったから、流石、読みは良い。そのあたりでは、僕が彼女に敵うことはまずない。それこそ格が違う。
「それでだ。僕は国語が得意じゃないし、その上この状況について推測するほどの思考回路も持ち合わせていないから尋ねさせてもらうけども、なんでここにいるんだ? と、どうしてそんな大層な籠に入ってるんだ」
「あらくん、勉強苦手だったもんね。簡潔に説明するよ。あらくんに会いたかったからで、その手はず……ていうか、それこそ算段が整ったってやつだね。それで、この籠は……僕の足枷、だよ」
「足枷?」
そんなもの、僕が知っている彼女にはついていなかったはずだが……。翡翠は常に聡明で、自らの、その異常なまでの才能を独立を危惧されない程度にとどめて露見させ、足枷や、制限などとは一切無縁だったはずだ。それが今になって、なぜ……。
「んー。それについては聞かれても答えられないよ」
「え、でも」
「答えられないよ」
「……わかった」
こう言う奴だ。一度言わないと決めたことは、絶対に、何があっても言わない。それはきっと、僕が知らなくてもいいことなのだろう。もしくは、知ってはいけないことか。
知ってはいけないこと、だとすると、思い当たる節が無いでもなかった。まさか、ね。
「まあいいや、それで、一つ目のは答えになってない。僕に会いたいってのは、中々どうして素敵な理由だけど、勿論、それだけなはずがないよな?」
僕の問いに、翡翠はまた、分かりやすく目を伏せる。これは、自嘲と、少しの悲愴か。
「うん、やっぱりあらくんは聡明だね、さっきの、訂正するよ」
ずっと昔から呼び続けているその綽名で、彼女は僕を呼んだ。ついでに、あらくんっていうのは、顕正の顕を「あらわす」と読んだのが元。これを言い始めたのも、使っているのも、翡翠だけだった。
「あらくん」
「何?」
「結婚しよう」
「断る」
「……」
「……」
一気に、翡翠の表情が暗くなる。目元に涙を予感させ、それでも、口元は笑っていた。僕は困惑する。初めてみる、すぅちゃんの、曖昧な表情。こんな顔をする奴じゃ無かったのに。こんな、解らない顔を、する奴じゃあ。
なんで、今になって結婚の申し込みなんだよ、すぅちゃん。
「すぅちゃん、まだ十六じゃないだろ」
僕の口から出たのは、明確な返答を避ける、卑怯極まりない言葉だった。それしか、返しようが無かった。僕は、彼女からの求婚を断れる位置にいない。全て彼女の、彼女側の、天香具山家の一存で、決まるのだ、それは。
わかってるんだろうが、君は。
籠の中で、彼女の足元で、翡翠が啼いた。ああ、なんだ、見当らないと思ったら、そこにいたか、カイン。
「そうだね。まだ十四だ。あはは、可笑しいね。僕としたことが、そんなあたり前の法律を忘れているなんて」
違うだろ。確かに、すぅちゃんがその程度の法を知らないとは思えない。だが同時に、彼女ほどの人間がそんな分かり切った冗談を言うとは思えないし、なにより。すぅちゃんが、法律を気にしたことなんて、なかったはずだ。なんなんだ、これは。誰なんだ、この子は。
「そろそろ茶番も限界だよね」
「あたり前だ!」
怒鳴る僕に、すぅちゃんは眼を丸くする。そりゃあそうだろう、僕が彼女に怒鳴ったことなんて、以前に一度しか無かったのだから。でも、今は別だ。すぅちゃんは、こんな弱い女の子じゃ無かった。最強という言葉を素で名乗れるのは、彼女くらいしかいないとまで、思っていたのに。
そして今、彼女は、明らかに嘘をついていた。僕に。この、僕に。
「信用しろよ、すぅちゃん。僕は君に対して、一切何もかもを肯定し続けるんだから」
その義務が、僕にはある。僕は君に、一生償わなければいけない。僕の意思で、僕のエゴで。でも。かつての思いは、彼女を思っていた僕は、完全に消えてしまったわけじゃないから。
「僕を信じろ、すぅちゃん。何でもしてやるから。……結婚は、まだ無理だけどね」
「うん、わかった、ゴメン、あらくん」
すぅちゃんは目を細めて、笑う。
すぅちゃんは、かつてのままに、強い瞳で、言う。
すぅちゃんは、僕に、言う。
「僕を匿って欲しい、あらくん」
「わかった」
そして、僕は母親を説得して(とはいっても、母も心得たもので二つ返事でオーケーを出してくれた)、すぅちゃんを我が家に迎え入れた。
ここでようやく、時系列は現在、この二日後の部室に戻る。
超展開です。わかってますとも。
顕正の対人関係でも超VIP扱いの彼女、研究部と顕正の関係にどうかかわっていくのか、顕正自身と彼女の関係の決着は如何に。
みたいな感じで、今回を締めたいと思います。
それでは、感想評価等頂ければ幸いです。