得手不得手して。それは違う。
「顕正、髪梳いて」
なんて、美稲が言ってきたのは部活が始まって二時間ほど経過した頃だった。僕今例の天気予報装置の実験結果をまとめてるんだけど。忙しいんだけど。言ったところで、美稲が聞くとは思えないけど。
それでも結局やってやる僕が甘いんだと言う意見には、不本意ながらも首肯するしかないだろう。
「わかったよ、そこ座って」
「ん」
小さくうなずいて、美稲は僕が促した椅子に着く。黙って渡してきた櫛を受け取って、僕は彼女の長い髪にそれを通した。わずかな引っかかりもなく、櫛と、僕の指は彼女の茶髪を抜けていった。柔らかい髪を、頭皮を気づ付けないよう、髪を傷めないよう、ゆっくりと、出来る限り丁寧に梳く。相変わらず、美稲の髪は綺麗だった。女性の髪は、一種芸術に通じるものがあると思う。
「こんなもんでいいか?」
「じゃあ、撫でて」
……。撫でた。何度も撫でた。なんというか、こいつは、甘えどころを心得ているようで油断ならない。美稲の頭をなでることによって僕が損をすることなんてありえないじゃないか。
「んー」
当の本人は、気持ち良さそうに目を細めている。昔よく懐いていた近所の野良猫を想起させられた。あの猫は、確か里親を見つけてもらったんだっけ。野良にしては悪くない末路だ。
「顕正」
「何?」
「気持ち良い」
あそ。そんなこと報告して僕にどうしろってんだい。襲えっていうのなら、考えないでもない。勿論嘘だ。
「んー? いぃよ、けんせいなら」
眠たげな声が返ってきた。いや、美稲ならふつうの状態でも「いいよ」と言いかねないけど。反応に困るから流してほしい。
「んー……」
何の前触れもなく、いや、正確に言えば椅子の上で頭が不規則に傾いてはいたが、結果として美稲は座ったまま眠ってしまったようで、支えをなくして床に倒れ込んだ。慣れているので、余裕を持って受け止める。流石に床に寝かせておくのは忍びないので、机にもたれ掛けさせておいた。制服で、しかも夏服でスカートで、男の前で無防備に寝るなよ。僕を信頼しているのか、もしくは本気で襲われてもいいと思っているのか。何にせよ、僕だって健全な男子高校生であるのだから、不用意に煩悩を刺激するのは控えてほしいところだった。
邪念を振り払うためってわけでもないが、研究成果のまとめに戻る。今日は他のメンバーもいないようだし、これが一段落して美稲が目覚めるころには帰ろうか。
「あ、顕正くん」
と、このタイミングで、なぜか緑が実験室に入ってきた。蒼ちゃんの姿は、何故か見当らない。
「よぉ。蒼ちゃんはどうしたの?」
「蒼なら置いてきました。ふふん、ていうか、『ちょっと買い物言ってくるー』って出てきたんですよね、制服着て」
「それはまた……気づかない蒼ちゃんも蒼ちゃんだけど、なんでそんな面倒なまねを?」
僕が聞くと、緑は「あれ?」と少し心外そうな顔をした後、
「忘れたの? あたし、顕正くんのこと好きなんだよ?」
……。なんで僕を好いてくれる子たちはこうも開けっ広げな性格の子ばかりなのだろう。もう少し恥じらいと言うものをだね。
「えー、だって、早めに言っとかないと二瓶先輩と付き合っちゃうかもしれないじゃないですか」
「ないよ、それは」
「ふぅん?」
探るような目つきで詰め寄ってくる。そんな目で見られても、無いものは無いんだから仕方ない。気でも触れない限り僕が美稲と、どころか、誰かと付き合うことは無いだろう。
「なぁんだ、残念。ん、でも気が触れれば可能性はあるんですよね? その場合は誰を選ぶんですか?」
「そう言われても、その時にならないと分からないよ。できれば来てほしくないけどね、気がふれる時なんて。まあ、あるとしたら美稲か緑か」
「あ、候補には入ってるんですね、よかった。蒼とか、三笠先輩は?」
「なんでそうなるんだよ。蒼ちゃんは別にどうこうとか無いし、三笠さんに至っては、多分あの人僕のことおもちゃか何かだと思ってるよ」
もしくはファンシーぐっず製造機。
「……はぁ、難儀だなぁ、素直じゃない人たちは」
「ん?」
「いーえ」
なんだか釈然としない態度だった。素直じゃないって意味では、確かにあの二人には大いに当てはまるんだろうけど。蒼ちゃんなんか特に。三笠さんは、あれは素直じゃないなんて生易しいものじゃない、あれは捻てるんだ。ひん曲がっていると言っても過言ではないだろう。本人に知れたら命が危なそうだった。
「失礼ね、打ち壊すわよ」
「僕は米の買い占めなんてしていないっ!」
微妙な突っ込みだった。ていうか、え、本人ご登場ですか?
「ううん、あたしの声真似だよ」
「なんて迷惑な特技っ」
かなり似ていたのだからたちが悪い。研究部において一番地位が低いのはもしかしなくても僕な気がしてきた。おかしい、僕、一応部長なんだけど。唯一部活動してるし。
「蒼もかなり立場弱いよ、あの子主張しないから」
「よく実妹の立場を弱いだなんて言えるね……」
「ほんとだもん」
「だろうけど」
ここにいない蒼ちゃんが不憫で仕方がない。確かにあの子、自称一番地位の低い僕にすら、名前の件以外で頼みごと、もとい、僕を困らせるような奇行をしていないように思える。良い子なのに。良い子ほど不憫な扱いを受けるとは、不条理な世の中だ。
「不祥事?」
「僕が何をした。ていうか、不祥事起こすなら君らだろ……」
なんかもう突っ込みも辛辣になってきていた。僕は悪くない、悪くないんだっ。
「むう、まさに『四面楚歌、皆で合唱』って感じだね」
意味わかんねぇよ。……ああ、学校行事か何かで楚歌を歌ったって意味か。難しいよ、それ。
「あたし頭良くないからね」
「開き直るな。修行を重ねればきっとうまいこと言えるようになるよ。『表裏一体、コイントス』とか」
「なるほど、『三位一体、赤青黄色』って感じですか」
「黒じゃん」
うん。やっぱり緑、中々筋がいい。いつか僕をも超える日が来るかもしれなかった。相変わらず不毛である。ていうか、どちらにしろどれも意味わからねぇよ。
「んー、赤坂姉後輩……?」
「あ、起きましたか、二瓶先輩」
「んぅ……どっからわいたの?」
「人を無死みたいに言わないでください」
「君はベニクラゲか」
正しくは虫だ。あたり前だが。
「言うに事欠いてあたしは軟体動物だと?」
「言葉の綾、というより、突っ込みなんだから深く考えるな!」
「う……んー、間違えた、どっから来たの?」
「そりゃ家からですけど」
「それはそれは遠いところから。うわさ通りの猿顔だった?」
「鵺じゃないですよっ。ていうか、鵺は場所の名前じゃないです」
美稲はまだ寝ぼけているようだった。僕の研究が無きゃこの部活、ただの阿呆の集まりじゃないか?
太陽は今日一番の高さに達するところだった。真昼。正午。午後零時にして午前十二時。
今日はまだ半分だ。
皮肉なことに、世界崩壊を目論む僕の周りは、危険なまでに平和だった。矛盾律。
まぁ、いっか。なんだか口癖になりそうで、怖かった。
実験とも言える書き方をしてみました。四字熟語の曲解。元は、とある戯言から考案させていただきました。一応パロディにすらなってないから、問題はない……ですよね?(笑)
それでは、感想評価等頂けると幸いです。
また次回、お会いできれば光栄至極。