叫ぶ深緑。暗がり、抜け道。
助けて、と、彼女が言ったから、僕は助けない。
助けなさい、と、彼女が言ったから、僕は命に代えても助けに行く。
助けないで、と、彼女が言ったから、僕は意地でも助けてやる。
それでも僕は、何一つ救えないまま。そして僕が何も救えなかったところで。
夜は過ぎて、陽は登るのか。
だからこそ、こんな世界。
「蒼ちゃん、赤坂姉が攫われた」
ノックも無しに扉を開けて開口一番。タイミング悪く(良く?)着替え中なんてお約束は無かったけど、あっても困るから問題なし。それより、問題は目先に展開中だ。
「また来たんですか、あいつら」
眉をひそめて、蒼ちゃんは苦々しげに言った。やっぱり、この子も知っていたか。なら話は早い。こういうとき、蒼ちゃんくらい冷静な子がいてくれるとロスタイムが少なくて非常に助かる。
蒼ちゃんは身内の恥を語るような表情で、ずばり身内の恥を、語った。
「父と母は去年の春に協議離婚が成立して、別れました。私たち姉妹は皆、母に引き取られて、ここに住んでます。それで、母の収入は絵本作家ってことで、十全なのですが、今年の、丁度また春ごろに、父が昔作った、離婚の原因にもなった借金が、母名義でうちに回ってきたんです。当然のように、理由は父の失踪でした」
自嘲気味に息をついて、話を区切る。なるほど、自体は大体理解した。後は行動に移るのみだ。
「じゃあ蒼ちゃん、パソコン借りるよ。それと、その、借金の名義持ってきてくれる? 企業名とか確かめたいから」
「パソコンはリビングです。それはいいんですけど……企業名は、無法を生業としてるようなとこですし、十中八九嘘だと思うんですが……」
心配そうな蒼ちゃんの言葉に、僕は不敵に笑って見せる。
「僕は、天才なんだよ、蒼ちゃん」
「天災ですもんね、基本。わかりました、姉を、緑を、助けてください、先輩」
おーけー。小さくつぶやいて、僕はリビングに急いだ。途中今にも泣き出しそうな表情の紅花ちゃんとすれ違ったが、黙ってその小柄な肩を軽く叩いて、僕はパソコンに向かいあう。ちょっと古いけど、うん、このくらいのスペックがあれば事は足りるだろう。
世界は、あまり僕をなめない方がいい。
「はっ、全く、ぬるいんだよ、」
息をついで、
「ばぁか」
*
恐怖は無かった。恐くなんて、ないはずだった。これで家族が、妹達が助かるのならば、いいとさえ思った。だから、先輩を突き飛ばしてまで身代わりになったのに。息が詰まって苦しい。けど、追撃が怖くてうめくこともできない。涙はこらえきれずに、一筋だけ頬を伝っているみたいだ。
ここは何処だろう。暗くて、暗くて、暗かった。波の音なんて聞こえて、実はここが海岸近くのコンテナで、あたしは近いうちに海外に人身売買で~、なんてドラマみたいなことになってないかなとか考えてみるけど、生憎波の音は聞こえなかったので違うだろう。となれば、どこに連れて行かれるのだろうか、あたしは。考えるほどに恐怖の感情が割合を増していく。自分がこれほど臆病だったことに、こんなことになって初めて気付いている。情けなくて、強がって、それでもやっぱり情けなかった。
怖いよ、蒼。怖いよ、紅花。恐いよ、紫。怖いよ、母さん。
怖いよぉ、先輩。
「ひぅ、くっ……」
嗚咽が漏れるのを防ぐ手立ては、もう無かった。怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。助けて、誰か。助けて、先輩。
こんな時、なんで先輩を頼るのかなんて、今のあたしには考えられないけど、でも。
振動が収まったようで、車が止まったものと知る。急に明かりが向けられて、眩しさに顔をそむけた。懐中電灯を直接浴びたらしい。
手元でいつつけられたのかもわからない手錠が鳴って、無機質な冷たさと染みわたるような痛みに歯を食いしばり、思うように力がこもらなくて、やっぱり涙腺が緩んで。
轟音が響いて、明かりの量が数倍に膨れ上がった。
*
赤坂姉が連れて行かれたのはどうやら街から少し離れた廃工場らしかった。頑固に付き添いを主張する蒼ちゃんを断固として拒否して、僕は一人で、準備を終えて現地に向かった。
赤坂姉を攫って行った車はあっさりと発見できた。持ち合わせの工具と、赤坂家から持ってきたありったけの『使えそうなもの』を駆使して、車を即席の兵器に変える。さて、特攻だ。
エンジンを暴走させて、発射からトップスピードで工場に車を突っ込ませる。時速三百キロでつっこんだ車は爆弾よろしく大爆発して、工場の壁を余裕十分に吹き飛ばした。ちょっと威力調整を間違えたみたい。赤坂姉、無事かなぁ。
どうやら心配は杞憂だったようで、僕が乗り込んだ時、赤坂姉は壁から顔をそむけて縮こまっていた。大幅に長さと有効射程を延ばしたスッタァンガンを構え、電源を入れる。男たちがなんらかの反応に出る前に、僕は駆けた。一番回復の早かった男が僕に気づいて懐から武器――――拳銃か――――を取り出したが、全く遅い。スッタァンガンを真横にふって、皮膚に直接触れさせる。バチッっと、若干洒落にならない音がして、男は弾かれたようにぶっ倒れた。続いて、返す刀で周りの男たちも沈黙させる。ものの十秒もかからず、場の鎮圧に成功した。
ふぅ、久しぶりの立ち回りだったけど、中々どうして、衰えて無いものだね。
「赤坂姉。……ああ、手錠着けられてんのね」
ちょっと待ってと一言、念のために持ってきていた村雨様で、鉄の輪をやすやすと断ち切る。こんなの、僕の発明の前ではドーナツとなんら変わらない。
「先輩……」
酷く憔悴した様子の赤坂姉が、ぼそりとつぶやく。目元が、涙で赤くはれていた。
そんな赤坂姉は、普段の破天荒な様子からは思いもしない程に弱弱しくて、もろくて、そして、不謹慎なまでに、綺麗だった。
「大丈夫、赤坂姉。敵……ていうか、誘拐犯は倒したから」
「先輩……」
なおも細々とつぶやく赤坂姉。無理もない。誘拐なんて、一生経験しなくていいことだ。
「先輩っ!!」
堰が切れたかのように、赤坂姉は僕に縋りついて泣き叫んだ。先輩先輩先輩っ、て、そんなに呼ばれても僕は一人しかいないんだけど。
少し考えて、少しだけ、彼女の肩を抱いてやった。
僕らはあの後、すぐに現場を離れた。前もって警察を呼んでおいたから、今頃あの男たちは独房の中だろう。ご愁傷様だ。
赤坂姉は、快復した蒼ちゃんとともに、翌日から普通に部活に参加していた。あいも変わらず、ハチャメチャぶりを発揮して。
「元気だね、赤坂姉は」
呆れた風に言ってやると、赤坂姉はむっとした顔で振り向いて、でもすぐに相好を崩し、言った。
「緑がいいです、先輩」
「ん?」
緑? は、彼女の名前だと思いいたる。
「緑って、呼んでください、先輩。ちゃん付けは無しですよ」
「厳しいね……。分かったよ、緑」
「はいっ。それと、先輩」
「ん?」
連続で呼びかけられて、僕は馬鹿みたいに同じ反応を返す。これじゃあ本当に馬鹿みたいだ。
「大好きですっ、顕正くんっ!」
……。
「はい?」
「えへへ」
二度は言わないよっ、みたいな、いたずらっぽい笑顔を残して、緑は実験室を出ていった。飲み物でも買いに行ったのだろう。
いやはや、全く。本当に、全くだ。
まあ、でもこれは、この話は、きっと。いい話、だったのだろう、緑にとって。
僕にとっても、きっと。
「顕正、浮気」
なんでこういうときに限って準備室にいないんだよお前はっ!
赤坂姉、緑の話はここで一区切りです。恋のライバル増えましたね美稲。
やっと恋愛小説っぽくなってきました。また離れるんですけど。
というわけで、感想評価等頂けると嬉しいです。