明かり肖り。村雨様と風邪っぴき。
夏休みも佳境、などでは決してなく、今だ五日目である。残り三十日以上。目的や目標の無い長期休暇は、それだけ長く感じられて億劫だ。
隣を歩く美稲は、妙に楽しそうだけど。
「今日も機嫌いいな」
僕の頭髪を焼かんばかりの陽光にうんざりしつつも、さらに僕の体感温度を五度ほど上げてくる上機嫌な美稲に、耐えきれず声をかける。少し皮肉も混ぜて言ったのに、美稲は気づかず、いや、気づいただろうに気にせず、快活に答える。
「顕正と一緒だもん」
少し幼くも見えるが、花の咲いたような笑み。これが冬場なら向日葵の咲いたような、と形容したのかもしれないが、いかんせんこの季節、あながち冗談にも聞こえないというか冗談でも言いたくないというか、暑苦しいだけである。
「はいはい、美稲みたいな可愛い子に好かれて嬉しいよー僕は」
果てしなく棒読みだったのだが、美稲はどこか照れた様子で「えへへ」とはにかんだ。本気で可愛かった。ともすれば惚れてしまうからやめてくれ。
今日の外出目的は、何も以前のようにショッピングでも何でもなく、単純に部活だった。というか、何か特別理由でも無くては僕が美稲と二人きりで買い物に行くとかまずあり得ない。そのくらいには、僕は淡白な人間のつもりである。何の自慢にもならないのは承知の上だ。
電車に揺られること数十分。そこから五分ほど歩いて、おなじみの校舎が目に入った。たった五日通わないだけで、妙に懐かしく思えた。理由としては一昨日一昨昨日が充実し過ぎていたためと見える。
さあ、それでは、何の衒いもなく、研究である。――――世界を崩壊させるための、研究だ。
この夏の僕の個人的課題は、ずばり一つ、『世界崩壊へのカウントダウンを数年縮める』である。現状の二十年強は流石に長過ぎる。義務でもなく勝手にやっているだけだが、それでも、短気な僕としては目標の達成にかける時間は少しでも短い方が喜ばしかった。
引き戸を開けて、実験室に入る。カギが開いていることからも分かる通り、先客がいた。
「お、赤坂姉。おはよ」
赤坂姉だった。首の後ろで括った長い髪を揺らして、こちらを振り向く。
「あ! おはよ! 萩野先輩、二瓶先輩」
こちらもこちらで元気にハイテンションな少女だった。僕の周りはこんなんばっかか。いや、蒼ちゃんみたいなおとなしい子もいるんだけど。三笠さん……は、違うな、彼女はただの変人だ。
美稲は二人きりで無かったことが不満なのか、挨拶もせずに定位置の準備室に閉じこもってしまった。挨拶くらいしろよ。
と、僕は違和感に気付く。赤坂姉はいるのに、その双子の妹であるところの蒼ちゃんの姿が見当たらない。蒼ちゃんがいるときは赤坂姉がいるように、赤坂姉がいるときに蒼ちゃんがいないなんて事象は今まで無かったんだけど。
「赤坂姉、蒼ちゃんはどうしたの?」
「あー、蒼は風邪ひいちゃって、今寝てます。軽い夏風だと思うけど、明日も治って無かったら、お見舞いにでも来てくれますか?」
「なるほど、風邪か。んー、そうだね、邪魔じゃなければ。となれば、あれを持って行こうかな」
「あれ? ですか?」
首を傾げる赤坂姉に、僕は頷く。実験机の一角から日本刀のようなフォルムのそれを取り出して、赤坂姉の前に置いた。
「『村雨様』。こいつでちょっと静脈を切れば、抗体ができて風邪菌くらいならものの数時間で消し飛ばせる。調整がめんどくさいから君に直接操作させることは難しいけど、明日になっても治って無いようだったら、これ持ってお邪魔させてもらうよ」
「うん、ありがと、先輩っ。蒼が萩野先輩を気にいってる理由がちょっと分かった気がするよ」
「蒼ちゃんが僕を気に入ってる?」
それは初耳だった。と、赤坂姉は「失言だったかっ!」とか大仰に慄いて見せて、それから「軽口でござりますよ~」と言を濁した。いや別にかまわないのだけど、気になるなぁ。
まあ、そうと決まれば、一応村雨様を整備しておこうか。いざとなって故障していましたじゃシャレにならない上に僕のプライドが許さない。そういえば赤坂姉と二人で話すのは久々だなとか考えながら、僕は調整にいそしんだ。
部員のためなら自分の目標をとりあえず先延ばしにするのも、部長の役目だろう?
こんな小さなことでも、僕が彼女らから受けた恩に報いれるのならば、それは願ってもないことだった。一番の形は、やっぱり僕が世界崩壊を成し遂げることなんだろうけど。
それから人数が増えることも特別会話が弾むこともなく、他愛もない世間話と研究で時間を浪費して、この日は解散の運びとなった。
また明日、と、赤坂姉と言葉を交わして。いつの間にやら眠っていた美稲を、仕方なしに背負ってみたりして。
そういえば彼女は、赤坂姉は、どうして今日、一人で部室に来たのだろうか?
沈む太陽から目をそらしながら、僕はふと、そんなことを思った。
というわけで日常の再開です。蒼が風邪ひきましたがそれはまあ、緑、つまり赤坂姉の影が非常に薄かったので調整の意味合いもこめて(笑)
先日アップした外伝「世界崩壊とは程遠い君と僕の恋慕事情」にも少なからず目を通していただけたようで光栄至極です。重ね重ね、ありがとうございます。
それでは、感想評価等よろしければ。