新学期。クラス替え。
今年の桜は些か足が早かったようで、始業式の今日には、その花びらの大半が地面に落ちてしまっている。とは言え、通学路を汚すそんな景観も、今の僕にはなんの感慨ももたらさない。もっと大事なことがあるのだ。
僕と明音さん、美稲は最高学年になる。どうやら文理選択も一緒のようだし、情報操作をしてでも今年は同じクラスになりたいと思っていたのだけれど、今回、僕の思惑を見ぬいた明音さんから余計なことをしないようにと予め釘を刺されてしまっていた。一緒のクラスになれれば良いと、明音さん本人も言っていたのに、何時まで経っても何を考えているのかよく分からない人だ。
そんなこんなで、現在の僕は景観に気を取られている場合では無いほど、つまり気が気でなかった。まるで好きな子と同じクラスになれるように必死に祈る男子学生のような気分だ、なんて冗談交じりに考えてみたが、冗談もなにも、今の状況はまさしくそれそのものである。あぁ、ほんと、一緒だといいけどな、クラス。
心なし足早に校門を通り抜けるも、クラス分けが張り出されるはずの校舎前掲示板に、まだそれらしき紙は見当たらない。じれったい思いで、僕は舌打ちをする。
「なにを苛ついているの、顕正。貴方、なにがなんでも早すぎるわよ。クラス発表まではまだ一時間あるわ」
「……そういう君も、こんな時間に来てるんだね」
明音さんその人だった。端から見るとまったく馬鹿な連中だった。
「そんな心配なんだったら、やっぱり僕が工作するって言った時に素直に任せてくれれば良かったのに」
「あら? 誰が心配だなんて言ったのかしら。私はこうして、私と、ついでに二瓶さんと同じクラスになれるか心配で仕方がない貴方の浮き足立った姿を見るために予定の一時間前に登校しただけよ」
「とんでもない暇人だな君は!」
朝の貴重な時間をそんなことに裂くくらいなら、僕ならもう一時間寝る。今日はこういうことになってしまっているけれど、いやはや、明音さんのドエスは今学期も健在らしかった。
「……まぁ、明音さんと一緒になれるかっていうのはそうだけど、美稲とどうなるかなんて心配は、これっぽっちもしてないけどね、僕は」
「ふぅん? それはあんな女にはもう飽きたって宣言かしら。じゃあ結婚しましょう、今日、今から。市役所に行って婚姻届を貰ってくるわね」
「なんてラジカル!! 落ち着け明音さん、市役所はまだ開いてないよ!」
それに美稲に飽きたなんて一言も言ってない!
「そうだったわね、じゃあやっぱり、結婚はクラス発表を観てからにしましょうか」
「いや、しないから、結婚」
マッドサイエンティストたる僕は生涯独り身を貫く覚悟なのである。科学者は往々にして一匹狼なのだ。
「流石、一生童貞を決め込んだ男の言うことは違うわね」
「そんな悲壮な決意はしてねぇよ! ていうか、そういう言葉を軽々しく口にするんじゃない。女の子なんだから」
「安心して、私は処女よ」
「二重の意味で聴いてない……。最近の明音さんは美稲の悪いところを変な具合に習得しつつあるよね」
話の流れを吹っ飛ばすところとか、特に。歩み寄って影響しあう研究部員達、しかしこれは良くない傾向である。何より被害を被る僕にとって。
「……美稲については、考える必要がないんだよ。あいつと僕がそういうことで離れる可能性はまったくあり得ないんだから」
「ふぅん、あっそ」
「なんだよ」
「べつに」
一転してつまらなそうに、明音さんはそっぽを向いてしまった。何が気に食わなかったのだろう。
あぁ、もう、そんなことよりとにかく、僕は気が気でないのだ。果たして僕は見事、明音さんと同じクラスになれるのだろうか。今だけ限定でなら神頼みだって躊躇すまい。
「明音さん、君が小細工を封じた所為でクラス違ったりしてたら、一生恨むからな」
「なによ、大袈裟ね。ていうか、私はその言葉を喜べばいいのか憂えばいいのか判断に困るわ」
ちょっとだけ顔を赤くする明音さん。表情は不機嫌そうだけど、機嫌は治ったらしい。腕時計に目を落とすと、運命の時まで残り半刻を切っていた。そろそろちらほらと人影が見え始める頃だろう。
しばらく無為に時を過ごす。次第に落ち着かなさが増してくる僕に明音さんは時折楽しそうな視線を向けながら、しかし特にからかってくるでもなく黙ったままでいた。その内登校してきた赤坂姉妹も合流して、ついにホームルーム十分前のチャイムが響く。
「それじゃあ先輩、私たちは二年の発表見に行きますね」
「うん。また放課後」
双子を見送って、まだ来ない美稲を少しだけ気にしながらも、僕の意識は当然、二人の教師が運んできたクラス発表の紙に向けられている。
表情を動かさずに、やはり楽しげに僕を見つめる明音さんに一度目線をあわせて、彼女が小首を傾げるのを受けてから、僕は意を決して同級生の集まる紙を目掛けて足を進めた。
人混みをすり抜けて、八クラスに割り振られたたくさんの名前が並ぶ紙の前に出る。近くにいた教師が配布用のプリント手渡してきたが、それには目を落とさず、まずは大きな張り紙から名前を探す。日頃から文字をなぞるのに慣れている僕の目は、自らの緊張に関わらずすぐさま見慣れた文字列を発見してしまう。二瓶美稲、三年B組。少し下に視線をずらすと、やはり僕の名がそこにある。問題はここからだ。
「……え」
思わず声が漏れるのと、右肩を誰かに叩かれるのが同時だった。振り向くと、悪戯っぽい笑みを湛えた明音さんの顔がすぐそばにある。
「同じクラス……それに、出席番号もお隣同士ね。最後の一年、よろしくお願いするわ、顕正」
おいおい、なんだそりゃ。
*
(主に明音さんにとって)都合の良すぎる事の顛末には、当たり前として本人の力、細工が施されていた。教頭の弱みを握ってクラス編成を操作する女生徒が一体どの世界にいるというのか。
「余計なことをするなとは言ったけど、私が何もしないとは言ってないものね」
「ないものね、じゃないよ。まったく、本当に君って人は……」
素敵にぶっとんでる。これだから、明音さんは侮れないのだ。
「あら、幻滅したかしら? なんて、そんなわけないわよねぇ」
「あぁもう、勿論、大好きだよ。愛してるよ馬鹿」
「……そこまで言えとは言ってないのだけど。いえ、言いたければどうぞ」
「照れてんじゃん」
「うるさいわね、チクるわよ」
「誰に!」
「二瓶さんに。まぁ、チクるまでもなく聞いていたみたいだけど」
「は!?」
振り返る。……あぁ、もう。
「おはよう、顕正。それで、私のことは?」
「良かったね美稲、今年も同じクラスだよ!」
「誤魔化しが適当すぎるわ。いっひりーべでぃっひくらい言ってくれないと、私は誤魔化されない」
「それ誤魔化せてないからな」
はいはい、好きですよ。大好きですよ超愛してる。
B組の末尾に見えた山上の二文字に苦笑しながらも、まぁ、当初の目的は果たせたわけで、とにかくここは、ほっと胸を撫で下ろすくらいしておこうかな、と、僕はそんな風に思ったのでした。まる。
大変スローペースな更新に相成ります、お久しぶりですこんにちは。〆の一年にようやく突入したわけですが、これから先もうしばらく、のんびりとお付き合いくださいませ。
それでは、今回もありがとうございました。
草々。