お花見。繚乱。
ざわめく森が、薄桃の花びらを巻き上げた。それはまさしく巻き上げた、という表現が適切で、全ての木が禿げてしまったんじゃないかと思える量の花びらが、竜巻のように唸りを上げて舞い踊る。巻き起こった超自然は不自然たる広場を外から隠そうとしているかのように包み込んで、立ち尽くす彼女らと僕の視界を一色に染め上げた。
音が止んで、埋まっていた視界がだんだんと晴れていく。
「……っ」
誰かが息を呑むのが雰囲気で伝わってきた。目の前に広がる風景は、まるで季節を逆流したかのように、平坦に、真っ白な雪に覆われている。木々を失った一面の雪景色。かつて同じ空間を共に歩いた蒼ちゃんと視線が交差した。
「先輩、ここは」
「ご明察。ほら、仕掛け人の挨拶だよ」
片手で促す僕の所作を追って、全員の視線が一箇所に集まる。真っ白い平野のような山の、一瞬前まで何もなかったはずのそこに、気づけばそれは現れていた。
いつかと同じ、白銀の少女の姿をしている。雪よりも白い銀の長髪。紅い目。蠱惑的に歪められる唇。これまでと違ってやたらと友好的な笑みを湛えた彼女は、僕を見て、蒼ちゃんを見て、美稲を見て、それから未だ面識の無いほかのメンバーへと視線を送った。
「こんにちは、はじめまして」
「人間じゃないわね」
……開口一番、明音さん。確かに彼女は人間じゃないし、見た目から超然とした雰囲気を持ってはいるけれど、一応人型を取っている存在に対してそのセリフ、よくぞ初見で吐けたものだった。それも挨拶を完全無視して。
「ええ、そう、人間じゃないわ。お察しの通り私は狐よ。そこの厄介な人間を観察するのが仕事」
「厄介というと、顕正のことね。やめなさい、時間の無駄よと言いたいところだけど、仕事なら仕方ないわね、つらいでしょうに、同情するわ」
「それは仕事が辛いって意味だよね? 仕事の内容に言及してるわけじゃあないよね明音さん?」
「うるさいわね、外野は黙っていなさい」
「……」
いや、ドッキリ仕掛け人の大元は僕のはずなんだけど。反論しても無駄なのはわかりきっているのでここは黙る。形無しだった。なんていうか、カッコ悪い。もちろん僕がだ。
「三笠明音、赤坂緑、天香具山翡翠。簡単に自己紹介させて貰うわね、先の通りに私は狐。野蛮な地球破壊男の魔の手を遮るための星の意志よ」
「いろいろ適当言ってんじゃねぇよ」
油断ならないというよりかは全く意味の分からない紹介の仕方だった。協力を打診した時あっさり頷かれたあたりから疑問に思っていたんだけど、何がしたいのこいつ?
僕と狐――地球の超自然との相性は劣悪のはずなのだ。相容れない存在として、相対する存在として。法則を破壊する僕と、法則を超えて存在する彼ら。果たして今回、彼女の裏にはどんな思惑があるのか……。
「まぁ、ぶっちゃけ言うと、そこの破壊者さんに恩を売ろうと思ったのよ。いつ敵対するとも知れないわけだから、ちょっとでもね」
「……さいで」
超自然現象が考える理由とは思えなかった。それだけ一目置かれていると考えれば、まぁ悪い話では無いんだけど……。
なんだかなぁ。会うだけで落ち着かない気分になったかつての僕が可哀想になってくるほど、今の彼女からは神秘性を感じない。人間に触れて俗っぽくなっちゃったのだろうか。
「あら、がっかりみたいな顔をしているわね、剣呑剣呑。見損なわれちゃったかしら?」
にこにこと、あくまで余裕で俗っぽい態度を崩さないまま、狐は笑う。凄惨さの欠片もない、柔和な笑み。ちょっと可愛い。
「ふふ、まぁでも、引き受けた以上、約束は果たさなきゃいけないわよねぇ、私達としては」
微妙な雰囲気になっていた僕達面々をもう一度だけ見渡して、彼女はそっと目を伏せる。そのまま右手を上げて、僕らの視線を空に誘導した。
さっきまでの馬鹿げた会話など、本来の意味でお戯れに過ぎなかったのだと。そう思い知らされた。あるいは、これのための布石だったのか。
「……すご」
緑の感嘆の声が耳に届く。ちらと見やると、蒼ちゃんも、美稲も、明音さんも、すぅちゃんすらも、目の前に現れた光景に圧倒されているようだった。かくいう、僕も。
狐。白い狐。人に化ける狐。彼女は一瞬で僕らの周りの常識を変化させて、山の姿を変え、桜を散らし、雪原を再現する。だが、そのどれよりも、目の前にあるそれは信じられないものだった。
空を覆う灰色がかった雲の切れ間に、渦を巻くようにして長い体躯。
――さながら、竜巻のように?
否。
「さっぷらーいず。人間、私達にただで協力させようったって、そうはいかないわね」
思い知りなさい。放たれた言葉は僕の体の芯を突き抜けるように染み入っていく。言われるまでもなく、思い知らされていた。おばあちゃんを介して狐の協力を得るにあたって、「なにか凄いことを」なんて漠然とした注文をした僕だが、これは。……これは。
「友情出演よ。それじゃ、ばいばい、人間たち」
狐の声が遠ざかる。立ち去ろうとしているのだろう。見送るべきなのかもしれないが、雲の向こうから目を逸らせない。当然だろう。
竜巻のごとく唸りを上げるそれ。
――龍。神話の生物が、僕らのはるか頭上を踊っていた。
重畳じゃねぇか。本当にさ。
*
「意趣返し、ね。確かに出し抜かれた形になったけれど、それは私達が顕正にってよりは、人類があの子たちにって感じよね」
「……まったく、仰るとおり」
呆れたふうに言う明音さんに返す言葉もない。ただで使おうだなんて、その魂胆がそもそも甘かったのだ。
「でも、先輩の進歩が見れて私は嬉しいですよ。これまでだったら、やっぱり自分一人でやろうとして、私達に見破られてたと思いますから。すごい光景も見られましたし」
「赤坂妹、自分だけ擁護してポイントを稼ごうだなんて浅はかだわ。顕正が成長していることくらい、私達みんなとっくに知っていたはずよ」
「そうだよ蒼、そういうのずるいと思うなぁ」
「そんなつもりじゃないです!」
焦ったように弁解する蒼ちゃんに、自然と笑みが漏れる。思わぬ形になったけれど、どうやらこれはこれで、僕の意趣返しは成功のようだった。
「巧くやったね、あらくん」
と、おばあちゃん宅の縁側に座る僕の隣に落ち着いたのはすぅちゃんである。
「何を見て言ってるんだよ、思いっきり出し抜かれたじゃないか。それも協力者に」
「あらくんらしいよねぇ、まったく。ところで、分析は済んだ?」
「なんのことだよ」
含み笑いするすぅちゃんに軽口で返す。まぁ、こんな態度を取れば、いや、取るまでもなく、すぅちゃんにはお見通しなんだろう。
「……ま、あいつらには、さんざん翻弄されてやったしな」
少しくらいは僕の研究にも貢献してもらわないと、ね。割に合わない。
なにせこれは、僕の意趣返しの話。
顕正の面目躍如、と言いますか、珍しく勝ち切り(?)なパターンでした。ところで春休みの話で一年が過ぎていますが、休み過ぎですね、奴ら。
というわけで、お花見編終了となります。そろそろ新学期、顕正も最高学年です。ぜひぜひ、もうしばらくお付き合いください。
今回もありがとうございました。
草々。