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深眠。寝覚め。

 意識は深いところにあった。薄暗くて、目は慣れてきているはずなのに何も見えない空間。三百六十度、どこを見渡しても、景色には何ら変化がない。どころか、首を回す感覚、わずかな空気抵抗すら感じないので、本当に僕は、三百六十度を見回したのか、自信を持って答えられる根拠は無かった。

 夢の中。

 深くて暗い、底の方。

 音のない、においのない、不確かな場所。

 僕は眠りについている。

 この世界には何もない。

 僕の夢には、何もない。

 僕には夢も、何もない。


 ――――暗転、否――――明転。


 *

 眼を開けると、見慣れた風景がそこにはあった。

 風景、なんてほどの物でもない、研究部室だ。腕を枕にして眠っていた所為で、右腕がしびれてしまっている。感覚の通らない違和感を覚えながら、何とか一言、口にした。

「おはよう、美稲」

「おはよ、顕正」

 返事はすぐさまあった。耳朶をくすぐるような位置から。

 座ったまま前に伏せて眠っていた僕の背中にのしかかるような態勢で、美稲がいた。その顔は僕の右頬の辺りにあって、彼女の長い髪から漂う香りが鼻孔をつく。

「なぁ、美稲。天才科学者の僕にも、残念ながら分からない事があって、だから今から、君からしてみれば当然であろうことを質問するけど、馬鹿にせずに答えてくれよな」

「もちろん、私が顕正を馬鹿にすることは無いし、質問に答えないことも無いわ」

「そりゃあ有難いぜ。じゃあ聞くけど、聞かせてもらうけど、いやいっそ聞かせていただきますけれど、何で君は僕に覆いかぶさっているんだ」

「寒いかなって思ったの」

「うん、そりゃあ、立春を越えたとはいえまだ二月、春一番を迎えたわけでもないし、肌寒い日が続いているとは思うけれど、僕の身を案じてくれたなら美稲、鞄と一緒にそこにある、僕のコートを上から被せてくれるくらいの配慮が丁度良かったかな。いや、眠っていたのは僕の方だし、美稲が良かれと思ってやってくれたってのは充分に理解できてるから、こんなことを言うのも厚かましい上に恩知らずだとは思うんだけどさ」

「そうね、それも考えたんだけど、人が一番快適でいられる温度って、多分人肌くらいだと思ったから」

 皮肉まじりの僕の長台詞に全く動じることなく美稲は言い切る。相変わらず、思考回路がどこか普通じゃない。

 ていうか、君の体重で僕が目を覚ますとは考えなかったのかよ。

「顕正は眠りが深い方だから。……あったかかった?」

「……まぁ、うん」

「きもちかった?」

「あはは、確かに、美稲くらいの体温は、眠っているには丁度いい温かさだよな、ちょっと高めでさ」

「私のからだ、きもちかった?」

「お前、僕を爆死させたいのか」

 そりゃあ、美稲は柔らかくて、温かくて、実のところ重くもないし、安物の毛布なんかより、いやもう、その辺の高級羽毛布団レベルの心地よさであることは認めるにやぶさかでないんだけど、だからと言っておいそれと「気持ち良かった」だなんて発言するのは愚の骨頂と言うか、なんかえろっぽくていやだ。美稲の聞き返し方なんかベリーバッドだ。狙ってやってるに決まってるが。

「……きもちかった?」

「……」

「……きもちかった? 顕正」

「……あったかかったです」

「うん、それと?」

「……」

「それと?」

「……柔らかかったです」

「うん、だから?」

「気持ち良かったよ! そうだよ、あんな態勢でいつも通りの深い眠りにつけるくらいにはな!」

 負けた。僕よえー。

 なんで僕、同級生の女の子にこんな恥辱に遭わされているのだろう。ほんと最近、美稲の能力が要らない方向にめきめき伸びているのを感じる。根幹の性格が変わっていないのが寧ろ面倒な風に作用していた。

「良かった」

 とか言って、美稲はその辺の椅子を引き寄せると、僕の隣に腰を下ろす。最近はどうも、他のメンバーがいないときは準備室よりこの位置につくことが多い美稲さんである。

「ライバルに引けを取るわけにはいかないの」

「あ、そ」

 前は気にしてもいなかったくせに、大した心境の変化である。考えてみれば、美稲に他の部員達を「ライバル」として認めるに足る存在と思わせているのは僕の態度であって、その態度と言うのは、僕が長年の付き合いであるところの美稲と同じくらいに皆を大切に想っていることで、なんというか、今さらながら僕の節度の無さ加減にあきれ返るばかりだ。

 自分を好いてくれてる娘たち皆等しく好きとか、移り気の多い軟派な男よりも性質が悪いんじゃないだろうか。

「そう思うのなら、遠慮せず私に決めて良いよ」

「遠慮せずにって、だから皆等しくって言ってるだろうが。選べないよ」

「ナンバーワンよりオンリーワンって、上手く言ったものね。優柔不断の言い訳にも使えるもの」

「や、その言葉はけしてそんな後ろめたい意味じゃないはずだ」

 オンリーワンになることの難しさは想像するだに厳しいものがあるけれど。というか、そう考えるとナンバーワンもオンリーワンも、そう変わらないように思えてくる。どっちも生半可なものじゃないよ。

「そうね。でも顕正、顕正が選びとるだけで、その娘はオンリーワンになれるわ」

「そのために僕がナンバーワンを選択しろってか。難しいこと言うぜ。っていうか美稲、今さら研究部員に優劣をつけるような僕を、君はこれまで通り愛せるのかよ」

「うん」

 迷いのない即答だった。僕の台詞の最後一文字に続いて、同じ文章の一部と錯覚するくらいの即答。

 相変わらず、何をどうしたら僕のような人間をここまで愛せるのか理解できないくらいの好意だ。

「うん、顕正が私を選んでくれなかったら、その限りではないけれど」

「あぁ、その辺は割り切ってるんだ」

「横恋慕はつらいもの」

「真理だね」

 これまでだって既に、美稲の片恋と言えてしまう時期が無かったとは、僕の口からはけして言えないんだけれど……。

 そのあたりは、逆に僕の片恋だった時期もあったような気がするからお相子ということにして欲しい。美稲に対する僕の気持ちはちょっとだけ複雑なのだ。

「それでも顕正の片恋だった時期なんて無いと、私は断言するけどね」

「……そっか」

 そりゃ、嬉しいね。

 いったん途切れた会話を節目に、立ち上がって伸びをする。何時から寝ていたのか記憶が定かでないが、それにしても、節々が良い感じにほぐされていく感覚があった。熟睡していたとはいえ、やはり無理な態勢ではあったのだろう。ううむ、結構荒事もこなしてきているつもりなんだけど、鈍ってるかな。

「顕正は少しなまるくらいでいいかも知れないわ。山上みたいな動きをする必要は無いもの」

「いや、どれだけやってもあいつほどは動けないけどさ……」

 睡見ちゃんを助けに行った際の奴の戦闘は、僕の眼にも追いきれないレベルの速度だった。黒いスーツの、きっちりし過ぎて逆に胡散臭い大の男達が、黒光りする銃を構えるより速く倒れていくのだ。いや、この表現は少し正しくない。あいつが狙って、肉薄した相手は、急に何かでかい鉄球でもぶつけられたかのように吹っ飛んでいたのだ。暴力的にもほどがある倒し方だった。あの威力も速度も、僕の身体能力では遥かに不足している。

「そう言う意味じゃないわ。顕正には、そういう人たちとそれなりに戦える力も必要ないでしょって言ってるの」

「まぁ、本来はそうなんだろうけどさ……」

 僕は科学者なわけだし。インドアが基本である。

 とはいえ、巻き込まれ体質と言うか、僕自身世界崩壊を目標と掲げているだけあって、普段から見えている世界の他に、薄汚くて、その上物騒な物語ばかり内包する裏世界の方にも首を突っ込まざるを得ないと言うか。そもそもあのすぅちゃんと知り合っている時点で、そしてあの圧倒的な存在たる彼女に対抗心を持ち、あろうことか追いつき追い越してしまった分野がある時点で、物騒から遠ざかろうなんて虫の良い思考はするだけ無駄というものである。

 まぁ、その結果知り合った裏の人間っていうのが、業界最強の殺し屋だったなんていうのは、どうにも救いようのない話だが。あまつさえ親友なのだ。馬鹿か。

「……顕正は、研究の方向さえ変えれば、何時でも世界的権威の天才科学者になれるのに」

「マッドサイエンティストですから。狂ってるんだよ、その辺。……家庭環境からして」

 親族からして。「知ってるわ」と言って、美稲は諦めたみたいに息をついた。

 このあたり、何と言うか。

「変わったよな、美稲」

「顕正的には、変わって欲しくないのかもしれないけど」

「君の身体を想えば、ほんとはね。でもさ、嬉しくもあるんだぜ」

「……顕正、いやらしい」

「身体って別にそういう意味じゃねぇよ! つぅか、成長して欲しくないって、それだと僕がロリコンみたいじゃないか! そもそも美稲、身体の発育は良い方だろうが!」

「顕正、いやらしい」

「墓穴掘った!」

 いやいや、僕は事実を述べただけである、とかなんとか。こないだの話を思い返すと、赤坂姉妹あたりに睨まれそうな話題である。

「……感情表現が豊かになったって言うか、さ」

「そうかもしれないわ」

 頭の回転が異様に速くなって。頭脳レベルも底上げされて。……寧ろその、発育の良い身体がついていかないくらいに。ついていけないくらいに。

 成長する、それ自体は悪いことでは有り得ないのだ。ただ、行き過ぎているだけ。

「異常は無いんだろ、今のところ」

「うん、おばあちゃんのところで、かぐやちゃんが新しい薬をくれたから」

「……そっか」

 薬が変わった、ってことは、それだけ症状が進んでしまっていると言うことで。進んだ症状を止めるには、押し戻すには、より強い薬が強くなるはずなのだが。

 それさえも緩和して、余りあると言うことか。現時点で既に。

 そのあたりは、すぅちゃんの配合具合にミスがあるはずないので任せきりにしているが。いつかは僕が引き継ぎたいな。美稲を、僕が治してやりたい。一度それで血迷ったくらいに、僕は彼女を大切に想っているのだから。

「でも、便利よ、この能力。出し抜かれそうだった三笠さんとかと、まともに御話し出来るようにもなったし」

「あの人は確かにちょっと頭が切れすぎるよな……」

 それこそ、美稲の病状――――本人は「能力」として、それを捉える事にしているようだが――――にひけをとらないくらい、あの人の能力は常軌を逸している。僕と出会ってなければまっとうな世界で天才高校生として、何かしら大成してたんじゃないだろうか。

「ともかく、顕正」

「うん」

「そろそろ帰ろ」

「……そうだね」

 うん。

 色々と、話を脱線させまくって見えないふりをしていたけれど。

 思い返してみると、昼休みごろからここで眠っていた僕だが、外はすっかり先の夢の如く……言うところの、真っ暗に染まってしまっていた。

 ……僕には寝過ごし癖でもあるのだろうか。

「いや美稲、だったら起こしてくれても良さそうなものだけど」

「気持ち良さそうにしてたから、つい」

「いやまぁ、さっき言わされたからもう言うよ、気持ち良かったけどさっ」

 そう言えば前にもこんなことがあった気がする。……その際は、僕の眼ざめは朝で、美稲にはいらぬ気を利かされた上に置いて行かれたが。

「本当は、私もちょっと寝ていたの。顕正が起きる直前まで」

「……さ、帰ろうか」

 このままだらだら話してても、また寝落ちしそうだし。

 そういうわけにはいかないだろう。と、言うことで。

 落ちない。

 オチ、ない。

 駄洒落駄洒落。

 タイトルの字面からは想像もできないようなただの駄弁り回。むしろ想像通りでしたでしょうか。

 作者のナントカが一応一段落しましたので、ようやっと更新です。やっぱり二週間ペースです。


 徐々に、本当にわずかに、徐々に、話の筋の方も進めていく心づもりです。おそらくは。


 では、今回もありがとうございました。


 草々。

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