翌日。枕元。
部活仲間の女の子が体調を悪化させて倒れ込んで来たのを受け止めつつ、その母親が、気になる展開で終わっていたドラマの最新話を待ちわびるような、面白そうな顔で眺めてくる状況を打開するにあたって、一介の男子高校生である僕には経験も器も、足りないどころか飽和して、掘り当てた温泉の如く噴き出しているのだけれど。
戸惑うばかりの自称天才科学者を前に、やり手過ぎる専業主婦は相変わらずにこにこと、やっぱり面白そうに笑うばかりだった。助かった、とか、一瞬でも思った自分が恨めしい。
思い返すに、初めてこの部屋を訪れた日、僕はこの奥様に、もう成す術もなく翻弄されているのだ。敵視こそすれ、救いの手だと考えるなんて、我ながら愚かしいことこの上ない。
「……もう一度聞きますけど、何時からいたんですか、おばさん」
「おばさんだなんて酷いわ、娘のお腹にどぎまぎしてた顕正くん。何か楽しい予感がしたから、お使いを早めに済ませて帰って来たの。ベストタイミングだったわね」
「ほんとにね」
楽しい予感って。言葉通り、本当に楽しそうに言うので、返す言葉も見つからない。
咄嗟におばさんなんて口をついて出てきたわけだが、この人、高校生の娘を持っているようには見えないくらい若々しく、その上こういう人あたりの良い(?)性格なので、僕としてはどうにも口調に迷いが生じてしまうところだった。ほんとにね、って、僕。干支にして二回りは上であろう大人の女性に利く口じゃない。
「二回りも無いわよ、失礼しちゃう。明音は十六の時の子なの。顕正くん、ところで、早く続きの展開が見たいなぁ」
「何が続きですかっ。早くってんならこっちこそ、見てないで早く助けて下さいよ!」
「やぁよ、面白いのに」
さらっと、びっくりするくらいさらっと「十六の時の」なんて言うから突っ込み損ねてしまったが、予想通りとは言わないまでも、この人の人生はやっぱりハチャメチャであったらしい。きっと昔からこういう性格なんだろうなぁ、もう。
適う気がしない。世界崩壊の主、稀代の天才マッドサイエンティストが聞いてあきれる話だが。
僕だって呆れてるのだ。なんだよこの人。
「あとね、困ってるようだけど、明音ってばもうしっかり意識あるわよ。我が娘ながらしっかりしてるわ」
「それはしっかりじゃない、ちゃっかりだ!」
慌てて確認すると、未だ熱い吐息をはきながらも、種明かしした肉親を親の敵のように――――親そのものなんだけど――――睨んで、遺憾そうな明音さんの表情が窺える。……本当にもう。本当にもう、だ。
この母娘はぁ……っ。
「違うのよ顕正、体調が芳しくないのは本当だし、さっきふらついたのも演技じゃないわ。視界が暗かったもの。まぁ、お母さんが出てきて貴方が混乱しているようだったから、それに乗じてこの状況を甘受しようって気もあったけれど」
「全然ちがくないじゃん!」
そう聞くと責め切れないけどさっ。
ていうか明音さん、そんなに体調悪いんだったら起きて出迎えたりするなよ……。
「いいのよね~明音。顕正くんが来てくれるんだったらその後数日寝込むことになっても後悔しないものね~?」
「お母さんっ」
楽しげに娘を追いつめる母と、墓穴以外の何物でもない反応を返すその娘。いや、だけど、僕はつっこまない。明音さんが僕を愛してくれているのはとっくにしっている事実だからな!
うん、馬鹿だ。
「いや、明音さん、そう言ってくれるのは嬉しいけれど、だとすれば僕としては、早くちゃんと治して、元気な明音さんに学校で会いたいな」
「貴方の意見は一見もっともなようだけど、学校にはあの女達がいるじゃない。お見舞いなんておいしいシチュエーションをむざむざ見逃すような私では無いわ」
「一見じゃない、普通にもっともな意見だったよ!」
まぁ明音さんらしいけど、と、これで終わるはずなのだが。
「お見舞いに来てくれないと、治ってないと知って、涙ながらに一応作ってはみたチョコレートも浮かばれないものね」
「お母さんっ!!」
……。
僕が喋って、明音さんが論破(?)したのにその明音さんのウィークポイントを容赦なく突き刺す三笠母。三笠母さえいなければいつも通り僕が下手にでる形で決着がつくはずなのに、あの人が普段見えないところで健気らしい明音さんの隠し所をばらす所為で、いまいち二人の立ち位置に差が生まれない、というか、むしろ僕が優勢な風に持っていかれている。
なんだこの人、迷惑過ぎるぜ。感情だけに素直になるとすれば、三笠母の話す明音さんの見えざる一面は可愛すぎるばかりなんだけど。
……今知りたいことじゃない!
「……明音さん、病人が無理してキッチンに立つのは、僕的には賛同しかねるんだけど」
「……言ったでしょ、悔しかったのよ」
恥ずかしくなったのか僕から身を離して、ベッドに顔を伏せながら明音さんが言う。体調が悪いのも相俟って、最早満身創痍の体だった。立役者はどう考えても三笠母である。
されないはずだった告白を受けたのも、この人の仕業だったのだ。明音さんにとってこれ以上に迷惑な人もそうはいないだろう。追いつめられている、って、家庭内で発生する状況とはとても思えない。
「人をラスボスみたいに言わないで欲しいなぁ。でも考えてみれば明音、顕正くんも、言って後悔したとか、言われて迷惑だったとか無いでしょう?」
「だから性質が悪いのよ、お母さんは」
「遭遇二度目にして失礼だけど、賛同するよ」
この人に告白されて嫌な気がするわけない。今だって、明音さんの他の一面を知れて悪い気はしない。
ただ、赤裸々過ぎるのだ。色々と。距離が急激に近づき過ぎる。
もそもそと布団の中に戻っていく明音さんをしり目に、何時の間にやら部屋を出ようとしていた三笠母を見遣る。僕の視線に目聡く気付いて、意味の知れないウィンクをくれてきた。
娘の明音さんより、こども染みた笑顔。
はいはい、貴女の勝ちですよ。
……僕の、いや、僕たちの、完封負けだった。
*
勝てるかっ。
なんて魂の叫びは置いておいて、布団に顔までうずめて無言姿勢を保ってしまった明音さんに仕方なしにお暇を告げて、三笠母に知れないようにこっそりと玄関に向かう。
「顕正くん」
「……」
ばれた。そんな気はしていた。外さないなぁ。
ちくしょう。
「明音ってば拗ねちゃった? 駄目じゃない、女って言うのは複雑な生き物なんだから」
「原因の十割を担う人に言われたくありません」
「あ、そういうこと言うんだ。顕正くんさえいなければ、あんなこと言われたところで明音はダメージを受けなかったはずだけど?」
「そこも確信犯だろうが!」
責任を押しつけてきやがった。油断ならない。言ってることは間違いない事実だけど、事実の方が間違っている。
「そーゆーこと言うならこれあーげないっ」
「子どもですかっ。……なんですか、それ」
「チョコレート」
ほい、と、振り返った僕に、綺麗に包装された箱を投げ渡してきた。両手で受ける。
「私にばれないように窓から帰らそうとしてるみたいだったから、さっき部屋を物色して見つけたのよ」
案の定窓枠の辺りにひそませてあったわ。小悪魔めいた笑みを見せて、三笠母は言う。
小悪魔なんて可愛いもんじゃない、いや、この人自体は、年齢不詳な感じに可愛らしい大人だけれど、やってることは全然可愛くないのだ。
悪魔である。
「……これ、気付いたらまた怒られますよ」
「良いじゃない。簡単な話よ、顕正くん。次あった時に、『おいしかったよ、ありがとう』って囁けばいいの」
「……」
「耳元でね」
「その一言は余計ですよね」
「勿論よ」
「……」
深く、ため息が漏れた。箱を丁寧にバッグにしまって、一つ頭を下げる。
「お邪魔しました、おばさん」
「またね、顕正くん」
正直二度とこの人と対峙したくない。それは紛れも無く、本音だったけれど。
僕の首が振れた方向は、縦だった。おそらく、どこか共犯者めいた笑みが、僕の口元にもあるのだろう。
楽しそうに笑う、三笠母同様に。
「また来ます」
満足そうに頷く彼女を背に、僕はようやっと、玄関を出たのだった。
二度と会いたくないのに、また会いに来ると約束させられてしまった。
どうせ確信犯なんだろうな、と、僕は思うのであった。
まだ朝だ。学校、戻ろうかなぁ。
天香具山、山神など、裏世界の大人たちが顕正に翻弄されまくってきた本作ですが、顕正母、おばあちゃん、三笠母など、彼彼女らの身近な大人は遣り手ばかりです。どうなってんでしょうね。
そんなわけで、遅まきながら、百四十八話目、「翌日。枕元。」でした。
気付けば百番台も半分を越えようとしていますが、感想評価等、気軽にいただければ幸いです。
それでは、また次回、よろしくお願いします。
草々。