当日。チョコレート。
気付いたらちょっとだけR-15かもしれません。とは言え、今までの例にのっとって大したことないので。悪しからず。
糖分は頭の働きを活発にし、時に味覚を通じて幸福感さえ与える、そもそも身体に必要不可欠な成分だ。
だがそれは、あくまで適量を摂取した場合の話である。
醤油を飲むと死ぬと言う。その場合の死因は、一目瞭然、塩分の過剰摂取だ。
水分だって、飲み過ぎるとまぁ……お腹を壊すだろう。死にはしないかもしれないけどさ。
と、このように、人間の生を担う水分や塩分の二大要素でさえも、摂り過ぎると、そう、過剰に摂取すると体調に悪影響を及ぼすのだ。
糖分を摂りすぎた先に見えるのは、紛れもなく、生活習慣病の代表例、糖尿病に他無いのである。
齢十八歳。患者の平均年齢は現代社会に由縁して下がってきていると言うが、僕はこの若さでこの手の、主におじさま方に蔓延るような疾患に罹りたくは無い。
つまりだ。
今現在僕の手の中にある、目の前の少女、それはそれは可愛らしい後輩の少女たる蒼ちゃんに戴いたプライスレスな長方形の、綺麗にラッピングされた箱が、僕に対して先ほどから、無言の重圧をしつこいくらいに与えてくるのだ。
冷静沈着を自認し、どんなときにも平静を忘れないこの僕の精神が、なんかもう、冷や汗が止まらない感じに揺れまくっていた。
昨日の内に牽制しておいたし、大丈夫なはずだ、顕正だけに。
とか、僕らしくも無い馬鹿らしい駄洒落が思い浮かぶくらいに。というか、いっそ口に出してしまっていた。
「先輩、くだらない上に失礼です、そう言うのは、食べてみてから言って下さいよ」
「……君は僕に敵対するどこぞの組織の密偵だったのか……?」
「……そろそろ怒るか、そうでないなら泣きますよ」
「……僕が悪かった」
うん。僕が悪かった。既に怒ったように眉を寄せ、と思ったら目に涙の予感を窺わせる蒼ちゃん。いや、まぁ、いくら疾病のおそれがあるにしても、折角後輩の女の子が、それも僕に好意を寄せてくれている可愛い女の子が、その好意に基づいて二月十四日的プレゼントをしてくれているのだ。この時の僕の対応は、明日にでも思い出したら全力で後悔すること間違いなしである。
さて。
「参ったな、それでも僕は死にたくない」
「いっそ死んじゃえ!」
怒らせてしまった。口調が崩れるほど怒らせてしまった。
走り去ろうとまでする蒼ちゃんの腕を間一髪で掴んで引き止める。
「離してくださいっ、先輩なんて大嫌いですっ」
「確かに我ながら最悪の一言だが! でも落ち着くんだ蒼ちゃん、今出て行ったら教師に見つかってしまう!」
「それがなんだって言うんですかっ。先輩と違って常習犯じゃないですから、直ぐ授業に戻されるだけですよ!」
「甘いね、僕くらい常習犯になると見つかっても口頭で適当に注意して放置だよ!」
「誇るな!」
「分かったから抵抗をやめるんだ!」
「離せってんですよっ!」
まずい、蒼ちゃんってばマジギレである。叫ぶと言うより、喚くような感じだった。もう完全に泣いてる。
どっからどう見ても、僕が悪かった。認めているのだから離してやるべきなのだが、この状態で弁解もなく離してしまったら本気で喧嘩みたいになってしまう。喧嘩と言うか、だから僕が一方的に悪いんだけど。
訂正しておこう。
このままでは、僕が嫌われてしまう。
うん、いやだ。
「離せっ!」
「離さないっ、けど話を聞いてくれ!」
「いやっ!」
「ええい、黙って従わないと嫌われる前に僕が君を嫌うぞ、蒼ちゃんなんて大嫌いだ!」
……って。
僕は馬鹿かと。心からそう思った次第でありますが。
自分が怒らせた相手に嫌われそうになった挙句、自分の方から相手を嫌うことで彼女をひきとめようとしていた。全く意味の分からない行為である。
何がしたいんだ僕。
「……っ、な、や……っ」
と、我ながら己の馬鹿っぷりに打ちひしがれかけていたところ、全く都合のいい事に、それで蒼ちゃんの反応が変わったのだった。
驚いたように、彼女の目が見開かれる。
「や、やだっ、そんなのやだっ」
打って変わって僕の胸に縋りついてくる蒼ちゃん。
……えっと。
「まってください先輩、ちょ、やです、ごめんなさい、私がわるかったですから、だから、いやです、嫌いにならないで……っ」
「落ち着いて蒼ちゃん、嘘だって、嫌いにならないから。ていうか大好きだから、落ち着くんだ」
「……ほんとですか?」
「うん、超ほんと。全然嫌いじゃない」
むしろ僕は僕を大嫌いになった。蒼ちゃんに罵られるまでも無く死ねばいいんじゃないか。
というか、死のう。
「皮肉な物だな、モテ期到来と共に自分を嫌うことになろうなんて。今日が僕の命日だ」
「なっ、なんでそうなるんですかっ!?」
またも打って変わって。
明音さん御用達のふぁんしーゾーンからお馴染み、「ハライタタ光線銃」を手に取る僕を、慌てて窘める蒼ちゃんだった。
……閑話休題。
全然閑話なんかじゃなかった気もするが、一周回ってお互いに落ち着いたところで、仕切り直しだ。
「ごめんなさい」
低頭姿勢。九十度に腰を折り曲げて、誠心誠意の謝罪である。今さら僕に誠意があると言って、誰が信じるのかと言う話だが。
「……まぁ、大好きって言うし、許しますけど」
蒼ちゃんが信じてくれた。なんだそりゃ、この娘ちょろいぞ。
いやいやいや、冗談である。ちょろいとか。許してくれて万々歳だ。
「先輩の口が禍以外を招いたところ、見たことないですし。……でも、ただで許したりはしません」
「なんなりと」
刺されても文句は言わない気概だ。というか、いっそ刺してくれてかわまない。
「や、刺しませんけど……。あ」
「なんでしょう」
何か思いついたような声を上げる蒼ちゃん。
チョコレートに関してはあんなに恐怖したのに、この娘の思い付きとなると、全然恐くない。どう考えても研究部内で一番マシである。
「じゃあ、先輩」
「うん」
「キス……したいです」
「……」
「だ、だって、緑とか、三笠先輩とはしたんでしょ。二瓶先輩とだって絶対してます」
「まぁ、そうだけど……」
ソースは何処だ。
「本人です。自慢げに語ってました」
「……最近仲良くなったと思ったら、そういう牽制はしてるんだな」
――――顕正だけに。うん。
「だから、私も」
緊張した面持ちで僕の眼を覗き込んでくる。そんなおいそれとするような事じゃないとは思うけど、僕にしてみればそれで許されるなら安いものだし、構わないのだが。
むしろお釣りの方が多いくらい。
「おうけい、分かった。じゃあ、どうぞ」
「……先輩からが良いです」
恥ずかしいから、と。蒼ちゃんは言う。断る理由は、無い、な。
「分かった」
そっと肩を抱き寄せて、未だ戸惑っている蒼ちゃんに、目を瞑る隙も与えずに、口づける。
彼女の華奢な身体が、小さく震えた。
薄く目を開けてみると、ギュッと目を瞑って、蒼ちゃんは硬直している。なんとなく面白かったので視界いっぱいの彼女を長々と観察してから、僕は彼女から身を離した。
「……ん……」
支えを失った蒼ちゃんは、腰が抜けたのか、その場に座りこんだ。
僕は自分の余裕が逆に信じられない。何慣れてんだよ。いやはや。
恥ずかしげに俯いたまま、顔を真っ赤にして、小さな声で、細々と。蒼ちゃんは言う。
「チョコレートは、帰ってからでいいので、溶かして流し込むとかでいいので、きっと食べてください」
なんというか。
もう一度、深く反省し直した。
悪かったし最低だったが、それだけでなく、反省も足りていなかったらしい。
反省して、後悔した。こんな良い娘になんてことを言わせているのかと。
ええい、知るか、生活習慣病。
「先輩……?」
首を傾げる蒼ちゃんを意に介さず、貰った箱の包装を、凝った包装を失礼ながら乱雑に破くと、僕はおもむろに、中のチョコレートを一つ、口に含んだ。
生チョコのようだった。味が似ているので、多分、緑に習いながら、でもトリュフ型とやらには出来なかったのだろう。以外に不器用な子だから。
まったく同じものにしたくなかっただけかもしれないが。その辺はどうでもいい。
「甘くないですか」
「ちょっと甘い」
でも、正月のおしるこよりは遥かにマシだ。この量だと糖尿病の心配も、どうやら無さそうである。
「ちょっとって、どのくらいですか」
「んー、そうだな」
緑に習って、そして真摯に取り組んだのだろう。苦手な料理に。
「ちょっとはちょっとだよ」
言って、僕は箱の中身をもう一つ、食べる。
「だから、わかりませんって」
少しふくれっ面で、顔を上げた蒼ちゃんの顎を引いて。
「じゃあ、このくらいだよ」
再び口づけると共に、口内に残るチョコレートの残滓を、チョコレートより甘い、蒼ちゃんの唇を割って通して、送りこんだ。
普通に舌をねじ込んで。
「~~~っ」
もがいて、さっきより更に赤面する蒼ちゃんを眺めながら、僕は笑った。なんとなく愉快だったから。
あーあ、もう。
何やってんだかなぁ、僕。
萩野 顕正、齢十八歳。
悪くて、最低で、反省の足りてない僕は、その上、不純らしかった。
まぁ、何と言うか。
蒼ちゃんが可愛いのが悪いということで、一つ。
顕正くんってばエロい。この物語にしてはやり過ぎな感じが……やっぱりあんまりしませんが、自重自重。
クリなんちゃらが過ぎましたね。残すところ大晦日。再び現実に追い抜かれる日は近い……のか?
それでは、今回もありがとうございました。
次回は……お察しの通り、あの人の回です。今年最後に成るのか、新年初になるのか。
草々。