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前夜。甘味、往行。

 二月十三日の朝は、僕が思った通りの浮ついた空気と共に訪れた。前日の午前からここまで色めき立ってるのを見ると、桃色めいた感情の往行にいつまでたっても耐性がつかない僕としてはげんなりすることしきりで。

 というか、浮ついてるのは何も今朝からでは無かった。僕ら研究部にとって素敵な日になった節分が明けた翌日くらいから、もう既にそこかしこで雰囲気が発生していた覚えがある。ほとんど二週間前から。ご苦労なことだ。

 なぁんて、人ごとみたく言ってはみているものの。

 風邪が完治して一日ぶりに登校した昨日、部室に入るなり緑に「顕正くんって甘いの食べられたっけ?」と、質問をいただいている。甘すぎなければね、とは、正月に前科がついた、聞いてないふりをしている蒼ちゃんへの牽制である。彼女にも貰える前提で言う僕。大した身分になったものだった。我ながら。

「顕正、今年はどんなのがいい」

「食えるものならなんでも」

「去年と寸分変わらない注文ね」

 少し不服そうに、後ろから着いてきていた美稲が言う。手をつないででも無い限り、どうしてか美稲は僕の隣に並ぼうとしない。まぁ、美稲が変なのは今に始まった事じゃ無いので、一々つっこんで聞いたりはしないが。

「少しくらい無茶言って良いよ」

「無茶って言われてもな」

 チョコレートの種類なんて知らないし、じゃあなんだ、彫刻みたいな形でも所望すればいいのだろうか。

「そうね。今の私なら、裸婦像くらいは作れると思うわ」

「あんまり過剰に能力を使うもんじゃないよ。それでなくても薬で抑えてるんだから。ていうか、裸婦像って、僕に何を食わせようとしてんだよお前は」

「安心して、裸婦と言っても、モデルは私だから」

「余計に心配になった!」

 なんてこと言いやがる。考えるだに恐ろしい映像だった。

 茶色で出来た美稲の彫刻を食らう僕。

 かるくスプラッタである。

「彫刻が駄目なら、生にしても良いけれど」

「何が生になったのかは聞かないし言うな」

「簡単に説明すると、私の身体にチョコレートを」

「言うなと言った!」

 セクハラである。幼馴染の女の子から二月十四日にかこつけてセクハラを受けていた。

 無理だって。

 想いは受け取っても生身は受け取れねぇよ。

 僕に君を養っていくほどの財力はありません。

 そう言う問題じゃ無いが。

「嘘、財力なんて幾らでもあるくせに」

「まぁ……でも基本的に非合法だからなぁ」

 だからそういう問題じゃないんだって

 欠伸を一つ、下駄箱で靴を履き替えて教室に向かう。ふと後ろを振り向くと、美稲の姿は消えていた。大方部室にでも向かったのだろう。今日は一日居眠りデーか。

 彼女の身体のことを考えると、やっぱり咎める気にはならないんだけど。休めるだけ休んでくれて一考に構わない。僕としては寧ろその方が安心だった。

 過保護過保護。

「あ」

「あら」

 前者が僕で、後者は明音さんである。階段を登る僕に反して、明音さんは何故か降りてきた。降りた先にあるのは下駄箱だけである。

「どうしたの、明音さん」

「そろそろ貴方が来る予感がしたから、会いに行こうと思ったのよ」

「君の切り返しにはほとほと感心するばかりだけど、荷物を持ったまま降りてくる同級生の台詞と考えると素直に聞けないな」

「でしょうね、全くの偶然よ。……サボろうと思って」

「何を当然のように」

「まぁ、そういう気分の日もあると言うことよ」

 じゃあね、と、制止しようとする僕の動作を先回りしてかわし、明音さんは本当に昇降口を出ていってしまった。おいおいおい。何時からあの人は美稲並に自由な人間になったのだろう。

 そう言えば、明音さんには唯一、チョコレート云々の話を振られてないけれど。

 くれるのかなぁ、なんて。

 ううむ。水面下で競い合っていた以前までの研究部ならまだしも、こないだの一件ですっかり仲良くなったみたいだからなぁ。遅れをとる、とか、そう言う思考は消えたとみて間違いないだろう。多分。

 考えてみると、僕は今まで彼女たちから何か物を貰った事が無い。見えない物なら幾度となく貰ってるんだけど。まぁ、そう言うのを考えると、僕は彼女たちに何一つとして還元できてないんだけどね。貰ってばっかりだ。助けられてばっかり。

 丁度いい機会だし、来月のホワイトデーには普段のお礼と言うか、意趣返しみたいなことが出来たら良いな。


 *

 あっさりと放課後が訪れる。

 授業なんてほとんど聞きとばしてるから、まぁ、ほとんど僕にとって学校とは放課後を過ごすためにあるわけなんだけど。

 校内は相変わらず色めき立つばかりである。何気なく窓の外に目を遣った先に、ひと組の男女の姿があった。……どうやら告白の場面らしい。

 野暮なことはすまい。顔をそむけて、部室に入る。

 研究部室。奥の準備室ではおそらく美稲が寝ていることだろう。帰り際にでも起こしてやろう。

「あ、先輩」

「やぁ蒼ちゃん。緑はどうしたの?」

「……」

 あれ?

 なんだか微妙な視線である。

「先輩っていつもそうですよね」

「うん?」

「私と緑は一セットじゃありません」

 個々人です。蒼ちゃんは言う。

 うむ。

「確かに赤坂姉妹のどっちかを見ると、もう片方の所在を尋ねる傾向にあるな、僕」

「はい。……私一人じゃご不満ですか」

「滅相も無い。いやいや、でもでも、考えようによっては悪くないんじゃないか。本人が其処に居なくても、片割れがいればもう一方も思い浮かべられるんだから」

「それはそっちの都合です。し、そんな『わずかでも想い出して欲しい』みたいな思考はとうの昔に通り超えました。だって先輩、既に私たちの事忘れられないでしょ」

「おそらく一生ね。……うん、気をつけるよ」

 なら良いです、と、蒼ちゃんは言う。どうやら溜飲を下げてくれたらしい。部員の誰かと二人でいる時……それもデートの時も含めて、どうにも僕は他の部員のことを思い出さずにはいられないらしい。

 考えようによっては、二人一セットどころか彼女ら四人合わせて一セット扱いしてるんじゃないか、僕。だから皆からの好意にたいして、こうもあっさり誤魔化しに走れていると言うか。

 皆からの好意を一纏まりに考えてる。感情の向きとしては同種の物であっても、当然ながら、彼女たちの感情は全部個々の物で、異なるものなのだ。同じことだからと言って区別しないのは、相手を一個人と認めて無いに等しい暴挙だったのかもしれない。

 こんな折に気付かされようとは。

 この分だと、まだまだ色々、僕の認識には問題がありそうだ。

「ありまくりだと思います。まぁ、バレンタインを前にあんまし野暮なこと言って心象下げたくないので、これ以上は突き詰めませんが」

「さいですか」

「です」

 頷く。問題だらけらしい。や、むしろ僕って一体。

「しかし蒼ちゃんも変わったものだね、僕からの好感度なんて微塵も気にして無かった君が」

「まぁ、そうかもしれないですけど……。でも先輩、先輩はおそらく……いえ、絶対気付いてなかったと確信していますが、私、大分初期から先輩に好意、持ってましたよ」

「え」

 初耳である。そりゃあそうだが。

 蒼ちゃんからの好意。

 てっきり、文化祭あたりからの物だと思っていたが。

「やっぱりですか。今だから言いますけど、最初にあの狐に出会った時が、先輩に対して悪くない印象がついた始めです」

「まじかよ」

 あの時の僕はひたすら情けなかった覚えしかないのだが。

「その後、例の……だませーる君でしたか。あの件で少し幻滅して」

「初平手の時だね」

 あの時の僕は情けないどころか只の阿呆だった。情緒不安定だったんだよ。

 そっか。あの時の狐沙汰が無かったら、僕って蒼ちゃんに好かれてなかったんだ……。偶には自分の情けなさに感謝しても良いかもしれない。

 や、良いわけないけど。

「合宿から帰る頃には、二瓶先輩ほどじゃないですけど、先輩に淡い好意を、恋心の方面の好意を持ってました」

「……」

 全然気付いていなかった僕である。今思い返せば、合宿の終わり、赤坂姉妹を送った際の彼女の「期待しますよ」の台詞は、僕への好意の表れだったのかもしれない。じゃなくて、そうだったのだろう。

 めっちゃ直接的表現じゃん。なんで気付かなかったんだ僕。

「鈍感だからでしょう」

「言ったな!」

 今の話の後ではとても言い返せないけど。うっわ、まじかよ、なんかこうなると、明音さんとか、緑とかの話も聞いてみたいものである。惚れられてる身としては。純然たる興味だが。野暮なことこの上ないが。

「あ、ちなみに先輩、あの時の好意は、二瓶先輩に遠く及ばなかった自覚がありますが」

「うん」

「今は、負けてませんから」

「……言うじゃん」

 勝ってると言わないあたりが蒼ちゃんらしい。緑あたりなら圧勝宣言しそうなところである。実際彼女の好意はめちゃくちゃはっきりしてるし。それこそ美稲にも劣らないくらい。

 明音さんは多分、こういう僕に弱みを握らせるような発言はしない。そう言う人だ。

「では先輩、私の本気度も分かったところで、明日、楽しみにしててください」

「出来れば店物が良いな!」

「断固お断りします。その失敬な印象、どうあっても明日で塗り替えてみせますから」

「……僕の死因は糖尿病か。まだ若いのに」

「美味しかったら土下座してもらいますから!」

 怒られた。いやいや、このくらい言わせてもらいたいところである。正月の御汁粉の甘さと言ったら、未だ思い出すと身震いするくらい舌に染みついている程なのだ。

 とは言え、まぁ。

 蒼ちゃんは学習する子だと信じているので。

 それに、僕としても、蒼ちゃんからのプレゼントが嬉しくないはずは無いので。

「期待してるよ、蒼ちゃん」

「最初からそう言えば良いんですよ」

 打って変わって、微笑んで。

 なんとも可愛らしい後輩は、研究部室を後にした。

「さて」

 明音さんはサボりだし、緑が現れる気配も無いし。

 美稲を起こして、僕も帰りますかね。


 「顕正、浮気」

「盗み聞きとは、あまり品が良いとは言い難いね」

 起きてたなら出てこいよ。以前の美稲なら確実に邪魔に入っていただろうに。

「良いのよ、赤坂妹だって、顕正に恋してるんだもの」

「……譲歩、ねぇ」

「ん。でも」

「うん」

「譲歩はしても、譲る気は無いわ」

「はいはい」

 セント・ヴァレンタインです。二月中旬です。このままだと現実に二年追い抜かれそうな現状。作中年月を確定してないのが唯一の救い処でしょうか。


 それでは、今年もいよいよあとひと月です。

 次回もどうぞよろしくお願いします。

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