風邪と僕。孤立無援。
目を覚ます。ベッドを降りて足を踏み出すと、力が入らずに崩れ落ちた。……あれ?
落ち着いて身体を起こし直して、汗をかいていることに気がつく。寝汗と言う奴だ、別段珍しくも無い。
はずなのに、もう一歩新たに踏み出した足は先とまるで変わらぬ様子で折れてしまった。ふんばりが利かない。慌てて手を出すが、ついた手の平は簡単にずれて床に額をぶつける羽目になる。痛い。
なんだかやたらに痛い。身体の節々から鈍い痛みが断続的に続いて、特に腕や足なんかはいっそ寒気を感じるほどだった。頭が茹だるように熱いのに、身体は寒さを訴えてくる。
うん。
風邪だろう。どうやらかなり重度のものらしい。
さしあたっては。
誰か、うつぶせに倒れたこの状態から、僕を救ってはくれまいか。
*
手元にケータイがあったので一番最近呼び出したナンバーに躊躇わず通話を試みた。こちらから誰かにかけたのは節分の時が最後だったので。
『朝弱いのよ』
明音さんである。
「仮にも想い人からかかって来た着信に最初にいう台詞がそれか」
『つっこみに元気が無いわね。もしかして風で倒れたりなんかしてるのかしら』
「僕はそんなに軽くない」
『間違えたわ。つっこみに元気が無いわね、もしかして風邪で倒れたりなんかしてるのかしら、よ』
なんという洞察力。だけどつっこみで測られる体調って。僕をなんだと思ってるんだろう。
『あら、思考が面倒だから適当に返したのに正解だったの。参ったわね、朝弱いのよ』
「前後の文章の繋がりを答えなさい!」
現代文は落第点だな!
『失礼ね。いとをかしだわ』
「古典も赤点だね」
『Situreine.』
「念のために言っておくけどそれは英語じゃない!」
あーもう。
頭が痛い。かける相手を間違えた予感がひしひしとする。
『……二瓶さんに助けを求めれば良いんじゃないの。家、近いじゃない』
ぼそっと。本当に眠そうな声で、欠伸まじりに明音さんは言った。
彼女たちなりの歩み寄りが見える一言である。が。
「それはない。とどめを刺されるのがオチだ」
『そう。じゃあ、頑張って』
ピッ、と。
あっさり通話が切れた。
歩み寄りとかそういうのじゃなくて、単純に面倒だっただけのような気もしてきた。自分でも言ってたし。
さぁ、手詰まりだ。普通に考えて家に居る母さんとかに助けを求めれば良いのだが、僕の中では不思議と、助けを求める相手は研究部面々だと言う風に意思が固まっているようで、その至極まともな選択肢はどうしても上位に浮かばなかった。
まぁ、あの人に助けを求めてはならないような気もしている。美稲よりやばそう。
高熱を出した幼い僕に、「神の子が人間の姿をしているからいけないの。母さんほどの手練にもなれば下界になじめるものだけど、あんたはまだ幼いものね、より本質に近い恰好をするべきよ」とか何とか言って、身ぐるみを引っ剥がされた記憶は消えようも無いトラウマの一つである。何処の世界に風邪引きの我が子を全裸で放置する親がいるのだろう。
というか、神を自称しているくせにそのビジョンがやたら適当だった。全裸の神様って。ギリシャ神話あたりがソースなのだろうが、絵でみる彼らはちゃんと白い布一枚纏ってるじゃん。
神話で語られる神なんてのは、往々にして人間の、己が罪に対する言い訳のような、「自分達より上位の存在も、そういう俗な行為に身を落としているんですよ」的な意味合いが強いと言うが。僕みたいな人間が見ると、神話なんて娯楽小説と同位の創作にしか見えないから、どうにも意義が薄い感じを否めないんだけど。
さぁ、そろそろ本格的に意識が朦朧としてきたぜ。馬鹿なこと考えてないで急ぎ助けを求めなければ。
「頼れそうなのは……、蒼ちゃん、かな、やっぱり」
一番無難な選択だろう。あぁでも、彼女は真面目だから遅刻させるのも悪いしなぁ。
とは言え。
父親はそもそも既に仕事に出ているであろう現状、母さんを除外した以上最も手早く助けを求められる人間がお隣さんである美稲なわけで。
僕は死にたくない。
『もしもし』
「やぁ、こんな時間に悪いけど、助けてくれないかな」
電話をかけた。背に腹は代えられないのである。ましてや命に変えられるものなんてありゃしないのである。
『あやや? お兄ちゃん?』
と、聞こえてきたのはまるで見当違いの応答である。おかしい、蒼ちゃんに「お兄ちゃん」だなんて呼ばれたことは一度も無いのだが。あったらあったで素敵だね。違和感は相当だろうけど。
「……まさかとは思うけど、紫ちゃんかな? だとすればこれは蒼ちゃんのケータイだったはずなんだが」
『そうだよー紫だよー。お姉ちゃん、ケータイ持ってくの忘れたんだよね。で、バタバタ鳴ってるから出たの』
「蒼ちゃんのケータイはバタバタ鳴るのか」
ちょっと見てみたい気もする。
『違った、バタバタ言ってるのは緑姉ちゃんの足音だった。遅刻するぜーって叫んでる』
「宣言してるんだな」
蒼ちゃんは既に家を出た後のようなのに、あの姉は……。らしいっちゃあらしいが。この上なく。
『それはそうとお兄ちゃん、なんだか声が風邪だね』
「うん、正確な現状理解をありがとう」
そこは「鼻声気味だね」とか、そういう言葉を選択すべきところなんじゃないかしら。
『風邪のお兄ちゃんはお姉ちゃんに何のご用だったの?』
「ああ、ちょっと今危機的状態だから助けて欲しかったんだけど、いないんじゃあ仕方ないね、それじゃあ、バイバイ紫ちゃん」
『あ、ちょっと待って。タップタップ』
「そこはストップだ」
いつレスラーになったんだよ。
『あ、そうだった。お兄ちゃん、蒼姉ちゃんはいないけど、さっきも言った通りバタバタさんならいるよ』
「……本当はこれ以上会話を続けるのも割と苦になるから名前の方はスルーするけど、緑に助けを求めたところで僕にはおよそ被害しか与えられないから遠慮しておくよ」
『そっかー、わかったー』
ばいばい、言って、紫ちゃんの方から通話が切れる。あっさりしてんなぁ。
それはそうと、振りだしである。果たして僕は無事ベッドに戻れるのだろうか。や、頑張ればベッドにくらい、戻れないことは無いんだけど、頑張るのってしんどいからなぁ。
僕が駄目人間なのが全ての元凶らしい。分かってますよ。
目が回って来た。これはちょっとよろしくない。なんとか伸ばした手でベッドから掛け布団を引きずり降ろして、床に伏したまま、僕は再び意識を手放した。
前置きなくこの展開。いつも通りと言えばいつも通りですが。
次回はもうちょっと早くお届け出来るよう努力します。はい。
それでは、此度もありがとうございました。