番外。其の肆。
マナーモードにし忘れていたケータイが音とバイブレーションを伴って鳴り立て始めたのは、睡見に対面したあの日から数日経った後、実に終業式の真っ最中だった。クリスマス前々日、十二月二十二日。いや、日付はこの場合どうだっていい。問題は式典の途中だったと言うことで、そして、俺ともあろう人間がマナーモードを設定し忘れていたことで、その着信が電話だったことで、何より、発信者が同じこの体育館に居るはずの睡見 夢姫である事だった。何やってんだアイツ。
逆ワンギリを発動、一秒にも満たない速度で着信を切る。奴の場所を把握しようと首を巡らせるが、そう言えば俺は睡見のクラスを知らず、と言うか、学年すら聞いていないことに気がついた。実は先輩だったなんてオチも十分に有りそうだ。さて、彼女との約束を思い返すならば、俺はここで即座に呼び出しに応じなければならなかったわけで、仕方なく、教師の視線を縫うようにして高速で体育館を出る。またも唯一、顕正には気付かれてしまったがまぁ、奴ならどうとでも口止め出来るだろう。他の連中なんぞに行動がばれるほどには落ちぶれていない事に安堵する。安堵の瞬間を狙ったかのように、再度の着信があった。
「よぅてめぇ、何のつもりだ。集会中だぞ、何処に居やがる」
『美術室。シンナー臭いけど、それさえ我慢すればこの学校、数年前に美術科も美術部も潰えてるから都合のいい場所なのよね、此処』
「何の都合だよ……」
『サボりにきまってるでしょ』
決まってるらしかった。それは不良生徒の言い分だろうが。と言うかこの女、訳ありで教室を抜け出していただけかと思ったが、この分だと普通に授業もふけてそうだった。元より不良か。まぁ、そうでもなければ中々裏の世界に関わることも無さそうだけどな。
『裏とか言うのに関わっちゃったのは私が不良だからと違うわ』
「ああそう。で、本題は何だよ、こちとら真面目に終業式中だっつーの」
『通話してるね』
「うるせぇ」
誰の所為だ、それこそ。俺の不平に『それもそうやね』とどうでも良さそうな返事を返すと、睡見はそのまま何の気なしに、要件を告げた。
『ほら、私暇やけん、こっち来てよ』
「……はぁ?」
『そっちやって、何も面白くなんて無いやろ? サボっちゃえ』
「いや、お前の所為で既にサボってる現状なんだけどよ……。おい、俺はお前の執事じゃねぇぞ」
『粗暴で無礼な執事って、最近の流行りには丁度良いかもしれないけど、私はお断りやなぁ』
「……行きゃあ良いんだろ」
折れた。丸く成りはしたが、しかし、こうも簡単に折られるほどに柔らかくなってしまっていたのか、俺は。……悪くねぇ、想っちまったから、もう、そうなのだろう。
「なぁ睡見、ところで美術室って何処にあんだ」
『ん? 知らないの? まぁ仕方ないか。んと、B棟やね、此処は』
「B棟って何処だ?」
『……。音楽室のある方よ。で、第二視聴覚室の真下。一階ね』
「音楽室って何処だ? 第二視聴覚室って何処だ?」
『……知らん。好きに彷徨い』
プチッと、間の抜けたような音がして通話が遮断された。……畜生。
*
納得いかなかったのでちょっくら本気を出して、ものの数秒足らずで美術室にたどり着いてやった。一分切った。満足だ。
「早いやん。なんで?」
「校舎内、隈なく走り回ってやったぜ」
「立派な使用人根性ね」
「……」
腑に落ちねぇ。美術室。睡見の言葉の通りシンナー臭い室内には、遠い昔の卒業生達が残して行ったであろう作品が机上に床に、不作法に並べられている。飾ってあるのではけしてないだろう。ただ、其処に置いてあるような、そんな有様だった。すすんで居ようとは思わないな、これは。あの実験室以上に。
「息苦しくねぇのか? 換気しようぜ」
「ええのよ、此処はこれで。この場所がこうなのには、相応の理由があるってだけの事なんだから」
「どういう意味だよ」
「シンナー臭いから、色取り取りの絵具が室内を染めているから、作品群がまるでジャンクの如くに敷き詰められてるから。だから、この教室は使われんようになったんよ」
「場所には相応の理由がある、か」
「言うてみただけ」
そうかよ。素っ気なく返しはするが、俺の中では不思議と、睡見の言葉は素直に感じられている。あらゆる条件が重なりあって、それで今の、退廃して人の寄りつかない空間が形成されているのかもしれない、と。俺達が裏と呼ぶあの世界も、同じ空間で有りながら、けして交わらなかったあれも、もしくは、同じことなのかもしれない。相応の理由の下に、成っていたのかも。ガラじゃねぇ。
「そうそう、山上」
「なんだよ」
「私、苗字より名前の方が好きなんよ。睡見なんてそのまんま眠そうな名前より、夢姫の方が、響きも字面も綺麗でしょ?」
「ふぅん。で、だから何だってんだ」
「察しの悪い男、モテんよ。だから、私のことは今後夢姫と呼びさないってこと」
「構わねぇけど」
「夢姫様って呼びなさい」
「あっさり了承したからって命令のランク挙げてんじゃねぇよ。それは断固拒否する。なんで俺が他人に様なんてつけなきゃなんねぇ」
「……そっか、君は知らないんだったね、私達って本当は。……ううん、なんでもない、忘れて」
「意味無く伏線張ろうとしてんじゃねぇよ」
「姉弟だったんよ」
「制止を振り切りやがった!」
この辺は顕正がつるんでいる連中と大差なかった。というか、同族な匂いがぷんぷんした。臭いと表現しないのは俺のせめてもの善意である。律儀な俺は「嘘つけ」と取りあえず突っ込んで、そうだと思いだす。
「お前、何年何だ? 迷いもせずに姉弟なんて言うからには、三年生と見るが」
「んー? 一年やけど」
「……」
下級生だった。立派な後輩だった。いや、後輩としては全然立派じゃねぇぞコイツ。
「まぁ、まぁ、えぇやないの。私は一年で、君が二年だったってだけの話でしょ? 其処にあるのは産まれてからのほんの三百日ちょっと差だけど」
「場合によっては五百日以上違う可能性もあるんだけどな」
「誕生日いつ?」
「七月七日だ」
「七夕やん、似合わなっ。私は如月の二十九日」
「二月な……閏年かよ。生まれた日まで捻くれてやがる」
ついでに旧暦で表す小賢しさも。その程度では迷わねぇ。
「ふぅん、じゃあ、神無月は?」
「十月だろ」
「サンタ好きは?」
「夢見がちな子供達ってとこだな」
「パンダ好きは?」
「は? パンダ?」
「はい終了。んー、いまいちってとこね。ちょっとセンスが足りないんじゃない?」
「うるせぇ」
なんのだ。突っ込みのか。そして何だかんだ、彼我の生年月日の差は五百日くらい有るみたいだった。というか何時の間に俺が試される側になったんだよ。
「最初に言ったやない、暇って」
「俺は暇つぶしの道具だとでも?」
「最初に言ったやない、暇って」
「……」
肯定らしい。つくづく舐め腐った女だ。ふと思い出して時計に目を遣ると、……五時半を指して止まっている。何時から止まっているのかもわからねぇな、この分だと。ケータイを取り出す。十時半、抜け出した終業式はとうに終わって、今学期の成績表が渡されている頃だった。何やってんだ、俺達は。さしずめ俺は。
「お前良いのかよ、教室戻らなくて」
「んー? 今何時?」
「十時半。二時間目ってとこだな」
「へぇ……」
睡見……夢姫はさして感動も無く呟くと、「……あれ?」あれって何だ。
「わ、わわ、山上っ」
「なんだよ」
学年が違うとわかった今でも遠慮なく呼び捨てるみたいだった。良いけどよ、別に。
「どうしょう、時間見るの忘れとった」
「…………」
不良なのかただ抜けてるのか、判断が難しくなってきた。馬鹿なのか、天然馬鹿なのか。
「両方馬鹿やないの。んなこと言うてる場合や無いて、はよぅ教室戻らなっ」
「今更気にする所かよ……」
そもそも終業式だってサボったくせに。
「校長の話や聞いてもおもんないやろっ。やけど、成績表はもらわな!」
「どうでもいいけど方言でまくってるからな」
「ふぁぅっ!? ……き、聞かんかったことに……聞かなかった事に、して……」
噛み噛みだった。さほど、気にすることでも無いと思うけどな、方言。
「ええやろ、そんなん、私の勝手やん。……ほら、もういいから君も戻んなよ」
「へいへい」
どうでも良さ気に、実際どうでも良いのだが、返して、夢姫が追い立てるのに応じて美術室を出る。
「それじゃあ、またな」
「うん、また明日」
「……明日?」
終業式だっつったろ、今日。
「何言ってるの、ボディーガードなんだから、当然でしょ」
「ああ、そうかよ」
ふぅと、息を吐く。俺は明日以降もこの女に振り回されるのか。振り回される、もうそんなつもりになっている自分に苦笑する。でも、まぁ、自分から引き受けたんだしなぁ。早計だったかと、後悔してないとも言わないが。いやいや、いや、なんだ。
「ちっ、じゃあ、また明日な、夢姫」
「ん、よろしい。ばいばい、山上」
俺はどうやら、この状況を少なからず、楽しんでいる……のかも、知れなかった。
お久しぶりです←
ちょっとでなく空いてしまいましたが、相変わらず山上回です。彼らを襲うなんちゃらとは如何に。本当、如何に。
それでは、懲りずに付き合っていただければ嬉しいです。