番外。其の參。
店を出て少しすると、少し慌てた風な睡見が後からついてきた。今にも文句を言わんと、口を開き始める。さて、来るならこの辺か。
「君ねぇ、承諾した側から護衛対象を放ってくなんて――――」
言いかけたところで、睡見の台詞が途切れた。直後、睡見が立っていた箇所に、正確に馬鹿にでかい待ち針が刺さった。
立って「いた」処にだ。本人は、俺が抱えて走り出している。
読み通り! はん、鈍ってねぇもんだなぁ俺もよ!
腕の中でやっとこさ驚愕の表情を作り始めた睡見をちらと見やって、どうやら大丈夫そうなことを確かめると更に速度を上げる。路地裏を選んで街の暗部へと足を進めるにつれ、敵の攻撃が顕著に成って来た。分かりやすいねぇ、だがまぁ、追いながら手を出すたぁ素人のやることだ。凶器が待ち針ってとこだけは『らしい』んだけどなぁ!
「ちょ、ちょっと、っと、君、ねぇ、うぶっ」
「阿呆、下噛むぜ」
「もう遅っ……うぅ、また……」
進行方向に放たれた追撃をブレーキ無しのステップで躱し、見たまんまなら行き止まりの、高い塀の前で立ち止まる。ジュッと、靴底の焼ける音がした。失敗したな、調子に乗って流行りのスニーカーなんざ買うんじゃなかった。脆いぜ、ったく。
「君の動きが非常識過ぎるんだよ……」
「かもなぁ。っし、じゃあ、ちょっとここに立ってろ。一歩も動くなよ」
「……動いたらどうなるわけ」
「一か所から弾道を逸らすくらいが限界だからな……まぁ、死ぬんじゃねぇの」
「でも、私はカードをっ」
「『持って』るんだろ? そもそも、今まで仕掛けられてねぇのが不思議なんだよ。殺して奪やぁそれで済むんだから」
「……っ」
それについて、コイツが何かしらの交渉材料を握ってる可能性も考えていたが、この反応を見る限り完全に黒だろう。『隠したい事』の一つか。ん、つーことは、相手方は睡見を直接狙わないってことだな。隠し事なんてのは、いずれ往々にばれるものばかりだ、今気にすることじゃあない。特に俺みたいな立場にいる人間には、異常な情報源が身近にいるわけだしな。
「とっとと終わらせるから、待ってろ」
もう一度言い含めて、睡見が頷いたのを確認してから、俺は眉間を狙って待ち針を打ち込んできた方向へと駆けだした。そんな分かりやすいの、あたるわけねぇだろうが。
ポケットから小ぶりのナイフを取り出す。顕正には嫌な顔をされたが、一朝一夕で抜けるクセじゃないんだよ、護身癖ってのはさ。
*
三方向。正面、左斜め後方、右斜め後方からの投擲を上空で身を捻り紙一重に躱す。回避行動を大仰に行うのは素人だ。ギリギリと言うのは、反対に考えると無駄が無いと言うことにもつながる。勿論受け手側に相応の余裕があればの話だが、俺にその余裕があるかどうかなんて、現状では聞くまでも無いだろう。
「隠れるってなぁそんな半端なもんじゃねぇんだよ!」
ぶつかりあって勢いの死んだ待ち針の一本を掴みどり、遠心力を借りて特定した敵の方へと武具を投げ返す。さっと向こうで気配の動く感じがして、直後には飛びこんできた迎撃の針を横薙ぎ一閃で叩き落とした。やはり遅い。これじゃあ萩の字にも対抗出来ないだろうぜ。
地面に足先がつくと同時、予想通りの次弾を自由な左手で払い除け、何かしらの反応があるより先に、右のナイフを投げ込む。
さっと身をかわす背の高い影の、俺は真後ろに居た。
「……っ!!」
「おっせぇ」
程度が低いんだよ、ど素人が。
男の首筋には拾い済みのナイフ。手には咄嗟に構えようとしたらしい針が数本見えるが、残念、その手は俺が関節ごと押さえてあるので動きようもない。数か所外しておこうかとも考えたが、それで舌の周りが悪くなられても困るな。
「質問に答える気はあるか?」
「無い。答えるくらいならば死を選ぼう」
「ははん、見上げた仕事意識だな。見下げ果てた根性だが」
即答する男に嘆息する。これだから、半端者はいやなんだ。引退した身である俺には、言われたくないのかも知れねぇけどな。とは言え、やっぱり、洗えるもんなら洗った方が良いよな。汚れた足ってのは。それがわからねぇから何時までも、自分の居る世界に固執する。まるで山神だ。いや、むしろ、その世界の一部に、山神もふくまれていただけと言うことか。
「同業者なら、私を殺せ」
「あぁ? 誰が同業者だ。俺はただのしがないボディーガードだよ。なぁ、それより、もう一度だけ聞くぜ。話す気はないのかよ」
「無い」
「ふぅん。なら仕方ねぇよな、ちょっち乱暴な手に出るぜ」
「拷問如きに堪えられぬような人種だと思っているのか?」
「ひひ、馬鹿を見るぜ、お前みたいなタイプはよ。拷問ってのはな、相手を崩すためにあるから拷問なんだ。堪えるとか堪えないとか、受けてには関係ねぇんだよ」
断固として顔色を変えない男に、……睡見を問い詰めるって手も、あるにはあるんだがな、依頼主を、体面上だけでも信用しないってのは被雇用者としては問題だろうし……、そういうわけで、俺は囁く。
「山神、舐めんなよ」
一言で明白に、哀れなほど瞬間に、男の顔色が変わった。悪いな、こちとら引退するのに必死なんだ。
*
「何してたん」
けして動くなとの命を、中々どうして律儀に完璧に守っていたらしい睡見の元へ戻ると、早速質問を受けた。直前まで質問をする側に居た俺だが、まぁ、聞かれた事には素直に答えようか。
「ちょいと情報収集だ」
「……ふぅん。それで、追っ手は振り切ったの?」
「ばっちりだな。さぁて、今後の為に聞いておこうか。お前は俺にどうして欲しいんだ?」
「どうしてって、だから、ボディーガードよ」
「そうじゃない。組織を潰して根っから終わらせればいいのか、若しくは、あちらさんが仕掛けてこない限り放置なのか」
「……放置で、良い」
「あいよ」
放置、ね。この感じだと、睡見の方が相手の出方を見たいってところか。呼び出しには応じなかったわけだし、相手がこのまま手を出してこないわけがねぇ。しっかし、こいつ、俺があの場に現れなかったらどうするつもりだったんだろうか。
「え? そんなん、あいつらと直接会って話し合うに決まってるじゃない」
「……」
決まってねぇよ。最悪の選択だった。なんだコイツ、自分の立場が分かってないのか、それともよっぽど自信があるのか。どうにも後者な気がしてならないが、その場合は何と言うか、完全に只の馬鹿だ。
「殺されっぞ、お前」
「ふん、そん時はそん時。一応、手は無いことも無いの」
「だったら俺に頼ることも無いんじゃねぇのかよ……」
「使い勝手のいい駒が目の前にあったら、それは勿論戦略に取り入れるでしょ? クィーンが二体になるって言ってるのに、わざわざ蹴ってポーンを進めることはないやろ」
「非力な王女が増えたところで護衛対象が増えるだけじゃねぇのか」
「チェスの話よ。まさか知らないの?」
「おいおい、俺がその程度のこと知らないわけがないだろ。知ってるさ、相手の駒を飛び越えて向かい側の自陣に進んでく奴だろ」
「……ダイヤモンドゲーム? ごめん、ボケにしてはあまりに共通点が無くって突っ込み辛いんだけど」
「うるせぇよ、しらねぇよ、文句あっか」
「開き直られても……」
緊張感の無い連中だった。本当に命を狙われてるレベルの人間なのか、こいつ。いや、狙われてるのはあくまでデータだっけか。
「開くと言えば、魚を捌くのに『ひらき』ってのがあるが、あれ、ヒラメでやるとすげぇ難しそうだよな」
「君って世間話振るの苦手だよね。あと、ヒラメの開きって言うのはあんまり聞いたことないかな」
「あんまり無いのか聞いたこと無いのかはっきりしろよ!」
「そこってそんなに突っ込むところ!?」
曖昧なのは大嫌いなんだ。って訳でもないが、言い回しでだまくらかそうとする知り合いがいるもんでね。
さてさて、そんじゃ、ぼちぼち。
「ガッコ戻るか」
「そうやね」
授業中に抜け出してきたんだっけな、そういや。転校間もなく不良生徒のレッテルを貼られるであろうことは、想像に難く無かった。万全とはいかないが、まぁ、同じ不良仲間がいるってんなら、悪くもねぇかな。
「あ、そうだ」
「んだよ」
「私が呼び出したら直ぐ来ること。ボディーガードなんやから」
「……一瞬小間使い化されてる自分の姿が見えた気がしたが、気の所為だよな」
「気の迷いよ。若しくは手堅く君の所為よ」
「どの辺が手堅いんだその暴言」
「まぁまぁ。……はい、ケータイ」
「あぁ?」
「察しが悪いなぁ。見たところ、いや見たまんま殺し屋風味な君の事だから、一般人が普通に交わすところの通例行為については良く知らないのかもしれないけど」
「風味って何だよ」
「いや失礼。ほら、良いからケータイだしなよ。アドレス交換しとこう」
「成るほど、そういう意味か」
ようやく察して、ケータイを取り出す。なるほどなるほど、これは中々良い勉強になるくだりだった。表舞台の学生どもは、こんな気楽にプライバシーを曝け出すんだな。適度に甘い防壁を作っておかないと、近づきがたくてだから近づかない――――、ね。
「意外、赤外線は使えるんだ」
「商売道具だからな、一応」
「ふぅん」
気もなさそうに返す睡見。ではでは、と、ケータイを締まってから、彼女の目が真っ直ぐ俺に向く。こうして真っ直ぐ、殺意なく他人と向き合うのは久々じゃねぇかな、と。何時だったか親友と共同戦線を張った頃を回想した。
「改めまして、よろしく、山上」
「ああ、一度取り決めちまったからな、連中が諦めるまでは、付き合ってやらぁ」
何はともあれ、と言うべきか。
こうして、天香具山の鬼才と萩の字の奇才の他に、初めて奴らと関わりの無い所で、俺のアドレス帳に同年代の人間の名前が記されたのだった。
参章、参話。果たしてどうなる山上くん。睡見ちゃんに魅力を足す作業に入ります、はい←あざとい
それでは、この度もありがとうございました。