選択肢。暗転。
「はっきり言いや。ここに居る一週間の内に、うちにだけでええ、答えを出して行き」
広い広い、本当に広くて痛いくらいに青い空の下。僕の芯を真っ向から突く命を、抗いがたい強さを持っておばあちゃんは発する。どうやら、僕はたったの七日の間に彼女たちの中からベストを選び、そして他の全員を、失わなければならないらしい。唐突で、そしてそれは唐突過ぎた。
が故に、僕の返事はまた極めて唐突に発せられた。
「嫌です」
貴方の命令でも、それは聞けない。それだけは容認できない。脊髄反射の如きスピードで、僕の答えは口を吐いている。質問の意図がようやく明白な形になって脳に吸収される頃には、いち早く答えを出した脊髄様があらゆる神経を掌握し、考えるより先に拒否の単語を放っていた。有り得ない事が起きている、と、僕は思った。
研究部と、それからすぅちゃんの中から取捨選択をして誰かを選ぶと言う事が、まず有り得なかった。
そしてその誰か以外が僕から離れて行くことも、絶対的に有り得なかった。
僕がかの神様の命に、ほとんど思考する暇も無く拒絶の返答を返すことも、有り得なかった。
有り得ないこと尽くめだ。僕の中の客観は状況のカオス加減に苦笑をばらまいている。収拾の付けようがない。しかし、場面は突き進む。時はカオス程度では止まらない。
最初に目に入ったのは、御神の表情だった。勅令を発した時から何一つ微細にも変わらず同じ表情を保って、僕の目に視線を固定している。飲み込まれそうだった。飲み込まれて、噛み砕かれそうだった。必死の思いで逸らすことに成功する。おばあちゃんから一番近い場所に居たのは緑だった。不安げに揺らぐ瞳で、神に同じく僕の方に視線を向けている。蒼ちゃんは、驚いた風におばあちゃんを見遣っていた。美稲は、諦観にも似た顔をしていたが、信じられないと言う風に、弾けるように僕に目を移している。先の否定の影響だろう。明音さんに至っては、僕どころかおばあちゃんにさえ視線をやっていなかった。何を思っているのか見当もつかない表情で、虚空を見つめている。隣のすうちゃんの顔をうかがうことは、この短時間では不可能だった。しかし彼女のことは良く知っている。きっといつものように、模範の如き哀しみの表情を浮かべていたのだろう。僕に向かって。抗えないはずだった僕の方に向かって。
気にしない。僕は続ける。
「嫌です。誰かを選ぶなんて、僕は絶対――――」
途中まで言って、またも唐突に僕は口をつぐんだ。脊髄反射の再来。しかし、根本的に違うのは。
ぞわり、と、背筋を走る緊張感。
「なぁな、顕正」
「……はい」
全く揺らがない表情のまま、凍りつく場の中で唯一、自由に振舞うおばあちゃんが、僕に呼びかけた。出来る限りの精神力を持って身構える。どんな言葉が来ようと、その一言一言が僕の心の臓を鈍角に抉っていくことは間違いなかった。刃が、良く精錬された刃が、つきたてられたような感じだった。
「何言うとるん? あんた」
ちょっと咳をした友人に「風邪なの?」と聞くくらいの気軽さで、おばあちゃんは音を唄った。なんでこんなに膝が笑うんだろうと自らの豹変に僕自身笑いながらも、しかし、まだ崩れない。
「嫌ですって、言いました、おばあちゃん」
「おばあちゃん、ね」
にこりともせず、神は嗤う。僕をあざけているわけでも無く、怒りに身を任せているわけでもない。ただ。僕の反論を純然たる事実として受け止めて、僕を見据えている。
「分かったわ。そういうことならええやろ」
やがてにこりと、彼女は笑みを浮かべた。ぞっとするくらい、深みのある笑みだった。
そして、
僕は、
僕の身体は、十メートルくらい吹き飛んだ。
「っ」
息が詰まる。おばあちゃんは動いていない。何もしていない。ただそこに存在して、呼吸をしているだけだ。ただそれだけの動作に、少しの威圧を込めただけで、僕の体重など余裕で運ばれてしまう。
って、え?
「顕正!」
いち早く聞こえたのは明音さんの声だった。遅れて他の皆の声が届いて、そして次々に走り寄ってくるのがかすむ視界に見える。あ、駄目だ、途切れる。
「ちょっと、寝より」
*
分かってはいたけれど、それでも間近に見ると、お婆様の人外具合は鳥肌ものだった。あ、あらくんが気を失っちゃったので僕です、天香具山 翡翠。及ばぬところもあるだろうけれどよろしく。
「ゴメンねぇ優柔不断な孫で」
「いえ……」
お婆様の柔らかな声音に、三笠さんが少し苦い顔をして返す。研究部さんの中でも飛びぬけて大人な雰囲気のこの人が、こういう場合の会話を全部受け持つみたい。以前部活に参加させてもらった時の、ちょっと、その、エッチな悪戯がトラウマになっているけれど、こうやってみる分には、この人はとても偉大な人間に見える。あらくんが惚れるのも無理は無い。妬いちゃう僕が小さいのかな? 前から言いたかったんだけど、あらくんは高校入ってからちょっとモテ過ぎだと思う。僕とみぃ姉さんだけでは飽き足らなかったのかしら。強欲だなぁ。
「あの、おばあちゃん」
黙り込んだ場を打ち払ったのは、今度は緑さんだった。赤坂姉妹は二人いて区別しづらいので、ちょっと馴れ馴れしいけれど下の名前で呼ばせてもらっている。「さっきの話って、本気なんですか?」緑さんはそう続けた。
「さっきのっちゅーと、結婚相手を選べちゅう奴か?」
「はい」
こくんと頷く。それは僕も聞いておきたいところだった。さっきあらくんがとっとと縁側に行ってしまったのを見計らってお婆様がきりだしたのが、この話題だったのだ。僕はお婆様に言われて、あらくんを呼びに言ったのだけれど。あらくんが、この人の言うことに従わないとは思わなかったな。それも、あんな真っ向正面から。結果はまぁ、推して知れてしまったが。
「当然やん。あんたらも迷惑しとおやろ? こんなんに惚れてもうたばっかりに」
僕たちの好意はものの見事に、一人残らず看破されているようだった。んん、やっぱりさしもの僕でも、この人にだけは敵う気がしないな。実力の問題じゃない。生物としての、質の差がそこには歴然と立ちふさがっている。
しかし。
研究部の彼女たちが、あらくんと一緒に居られる理由がちょっとだけ分かった気がした。
「顕正は、『こんなん』じゃないわ、おばあちゃん」
宿敵みぃ姉さんの言葉に、続くように頷く蒼さん、三笠さん、緑さん。つられて僕も、やっとの思いで頷けたけれど、この人たちみたいな芯の強さは無かった。一瞬の考察も無く、彼女たちは頷いて見せていた。愛されてるね、あらくん。嫉妬したいけれど、それ以上に、羨ましいな。
お婆様が、情状酌量を考えるかどうかは別だけどさ。
代役すぅちゃんによる途中からの一人称。完成形が出来て無いせいもあってか書きやすかった所があります。
……今回顕正の語り、今までと様変わりし過ぎですね(笑)
文体が安定しないのは、連載においてしまうと、果たして長所か短所か。考える所でも無いですが。
それでは、次回も是非、よろしくおねがいします。