【1-2】一度目のメロディ・バベット・プレオベール:2
ナタリアーナは温室での勉強会を好んだので、その時私とナタリアーナがいたのも温室だった。
プレオベールの館には私が管理する薬草用の温室があるのだが、そこは別に、純粋に愛でる為の花を育てる温室だ。
だから、その時すでに私との婚約が結ばれていたジェラルドも、気軽に顔を見せた。
「メル、こんにちは。ニナも」
「ジェラルド様!」
『メル』というのは、私の愛称だ。
現時点では父とジェラルドしか使わない。『メロディ』という可愛らしい名前は、どちらかというと厳しさを感じさせる私の容貌にはそぐわないので、この愛称を私は気に入っていた。
さておき、私の婚約者の登場に目を輝かせたのは、私ではなくナタリアーナだった。派手な音を立てて立ち上がりかけ、しかし淑女の動作としては不適切だと気付き、慌てて腰を下ろす。
その様に、ジェラルドが目を細めた。
「勉強中だったのかい。邪魔してしまったかな」
「そんなことはありません! 来て頂いて……嬉しいです」
ナタリアーナはぶんぶんと首と手を振りつつも、そう答えているが。
私の知らない内に、ジェラルドはナタリアーナを愛称で呼んでいる。
その事実が、僅かに私の胸の内に漣を立てたが、顔には出さなかった。
メイドがジェラルド用の椅子を用意して、私とナタリアーナの丁度中間に置く。
ジェラルドが腰を下ろすや否や、ナタリアーナがジェラルドの顔を覗き込む仕草をした。
「ジェラルド様、私、どうしても分からないところがあって。……教えて頂けますか?」
「ああ、いいよ。どこだい」
ナタリアーナが頬を染めて小首を傾げただけで、ジェラルドと私の距離は広がり、その分ジェラルドとナタリアーナが近づく。
私は平静を装って、教科書の隣に置かれているティーカップに手を伸ばし、紅茶を一口含んだ。
既に冷え切っていたが、その冷たさは私を冷静にさせる手伝いをしてくれる。
だが、それも数秒後に無駄となった。
「メル、ここは二ナには早いんじゃないか?」
「え……」
冷えた声に顔を上げると、予想外の厳しい表情がある。
戸惑ったのは、ジェラルドの台詞の意図が理解出来なかったからだ。
意味は勿論理解出来る。出来るが、ジェラルドの表情にはそれ以上に私を非難する意思が含まれており、その理由が察せられなかった。
それを読み取ったらしく、ジェラルドは一瞬だけ忌々し気に眉を顰めて、しかし声を荒げることなく、訥々と言って来る。
「ニナがまともな教育を受けられるようになってから、そう年月が経っていないだろう。君のように最初から、最高レベルの授業を受けられていた訳じゃないんだ」
そこでジェラルドは言葉を切ると、ナタリアーナを見て「君の知能が劣っているという意味ではないよ」と優しい声でフォローし、また厳しい視線を私に向ける。
「何もかもを君より遅れて覚えなければならないのに、あれもこれもと詰め込みすぎじゃないか? これではニナが潰れてしまう。父親だけの繋がりとはいえ君の妹なのだから、もっと気遣ってやったらどうだい」
「ジェラルド様……」
ジェラルドが言い終えると、ナタリアーナは感動したように細い指先で口元を覆った。翠の瞳には、涙まで浮いている。
可憐な仕草は妖精のような容姿と相まって、メイドですらナタリアーナに同情する視線を投げていた。
何かがおかしい。
けれど、何がと問われても言葉に出来ない。
ただ、ここで反論をしてはいけないということだけは直感で分かったので、私は頭を下げた。
「……申し訳……ありません。配慮が足りませんでした」
「謝る相手が違うだろう」
即座に投げられた言葉が刺さり、心臓がどくりと鳴って視界が赤く染まる。
それでも、ジェラルドとナタリアーナには見えない位置で、震える指先でドレスを握り締めながらも、私は言い直した。
「ごめんなさい、ニナ。……もっとあなたのことを考えるべきだったわ」
「いいの! お姉さまなりに私を想ってのことだと理解してるから!」
私の謝罪にナタリアーナは間髪入れずに許しの台詞を発し、それに対してジェラルドは言葉を投げていた。
その内容はナタリアーナに対する賞賛であろうことだけは分かったが、正確な内容は耳鳴りが邪魔して聞こえなかった。
この時感じた『何か』の正体に気付いていたら、私の一度目の人生はもっとマシな終わり方をしていただろう。
だが、私はまだまだ子供で、幼かった。もしかしたら、私よりも年若い、ナタリアーナよりも。