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05 悪意

 翌日。

 珍しく朝から来客のない日だった。パーラーメイド達はフォークやスプーンを磨いたりカートの掃除をして時間を潰しているが、次第にやることがなくなり、今は皆時間を持て余している。

 アリシアはパーラー長エルゼに許可を取ると、応接室の掃除に向かった。窓拭きや家具と絨毯の掃除などは基本的にハウスメイドの担当だが、パーラーが担当しても問題ない。それに生け花や小物はパーラーが管理をしている。この暇なタイミングで、しっかり掃除しておいてもいいだろう。


 アリシアは第一応接室へ続く廊下を歩きながら、何をどう掃除するか考える。まずは小物からしっかり布巾掛けしようかなどと考えたところで、突然背中に強い衝撃を受けた。アリシアは前のめりになる体を、咄嗟に踏み出した足と廊下の壁に手を付くことで支える。


「あら?ごめんなさいね。こんなところに人がいるなんて思わなくて。でもパーラーがこの時間に手ぶらで何をしているのかしら?邪魔だわ」


 声の方角へ顔を向けると、黒いワンピースに白いエプロンをした女性が笑いながらアリシアを見ていた。この服の色合いと胸のブローチの形はハウスメイドだ。そしてこちらを嘲笑う彼女の態度と現状を照らし合わせると、今の衝撃は彼女がアリシアの背中を押したのだろう。


(・・・邪魔?何この人)


 現状を把握した瞬間、アリシアは怒りを感じた。しかし直ぐに冷静になれと己に言い聞かせる。感情のままに行動しても自分の為にはならない。特に今は敵国の王宮内だ。どんな結果へ繋がるか分からないし、諜報員だと疑われるようなボロが出るかもしれない。


 アリシアは怒りを覚えつつも、頭を冷やして考える。


 名前も知らない、仕事でも関りがないハウスメイドから、こんなことをされる覚えは・・・ひとつだけあった。それが理由だろうかと、アリシアは真意を探る様にじっとハウスメイドの顔を見つめた。

 アリシアの視線に気付いた彼女は不愉快そうに顔を歪める。


「なぁに?怖いわね。わざとじゃないのに、そんなに睨まないで欲しいわ。謝ったじゃない」


(わざとに決まってるし、睨んでない。その上全く誠意のない謝罪。・・・・・・・・・面倒臭い)


 アリシアはハウスメイドに心の中で突っ込みを入れつつ、呆れた心境になる。馬鹿らしくて張り合う気が起きず、感じていた怒りも消えていった。


(どうしよう。物凄く無視したい。でもリアクション取った方がいいかな。笑顔で誤魔化す?それとも思いっきり嫌味を返す?)


 ここは王宮。己の行動が後々どう作用するか、まだ把握できていない。下手な行動をして王宮使用人を解雇されては困る。

 アリシアが対応に悩んでいると、名も知らぬハウスメイドは手を握り締めた。


「なんで何も言わないの。生意気ね・・・しつけが必要かしら!?」


 段々と声を大きくし、ハウスメイドは右手を振り上げて近寄ってくる。


(私が何も反応しないから動揺してる。その上逆ギレ。暴力に訴える。どこにでもこういうタイプは居るものね)


 アリシアは呆れのため息を付くと、左手を素早く持ち上げる。左足を一歩前に進めると、ハウスメイドが振り下ろしてきた手首へ全力で手刀を放った。


「きゃっ!!!」


 思ってもみない反撃にあい、ハウスメイドは悲鳴を上げてよろめきながら後退した。


「なっ・・・」

「ハウスメイドがパーラーメイドに対して、一体どんな権限があってしつけなんて言うのかしら。不用意に暴力をふるうと、何倍にもなって返ってくるわよ?」


 手首を抑えながら驚いた顔でこちらを見ているハウスメイドに、アリシアはニッコリと笑みを浮かべた。


 アリシアは王宮の使用人になったばかりだが、わざわざこんな場所で部署違いの先輩から教わる事などない。

 そもそもパーラーメイドはハウスメイドよりも採用条件が厳しい。部署単位での上下関係は無いが、能力的にはパーラーの方が上だ。


 アリシアは手を振り上げられた瞬間、毅然とした態度で対応せざるを得なくなったが、何か責められたとしても正当防衛である。


 驚いた顔のまま固まっているハウスメイドに、アリシアは口を開いた。


「それとも、もしかして手合わせをしたいの?私も少しばかり武術を嗜んでるから、喜んでお相手するわ」


 正確には護身術なのだが、武術には間違いない。アリシアは小さい頃から護身術を父オーウィンに強請って習っていたのだ。


 ニコニコしながら近寄ろうとすると、ハウスメイドは小さく悲鳴を上げて走り去っていった。


「・・・・・・根性ないわね」


(反撃されて怯むなら、最初から暴力なんてやめとけば良いのに)


 アリシアは恐れおののいて走り去るハウスメイドの背中を、良い気味だと思いながら見送る。姿が見えなくなると、応接室の方向へ足を進めた。


(それにしても王宮に来てまだひと月も経ってないのに・・・。困ったな)


 毅然と立ち向かう事にはしたが、この事を誰かに相談しておくべきか、上司に報告すべきか。それとも今回の一件だけで収まるだろうか。目立ちたくないので、出来れば今回の一回限りにして欲しいのだが。


 アリシアは悩みながら第一応接室の近くにある掃除用具置き場の小部屋の前に辿り着くと、扉を開いて掃除用具を眺める。


「・・・ま、今考えても決められない事は置いといて、仕事仕事」


 取り敢えず様子見ね、とアリシアは必要な掃除用具一式を取り出して、第一応接室へと向かった。




* * *




 バシャッ!!


「!?」


 音と共にアリシアの上半身を軽い衝撃が襲う。同時に冷たさを感じ、自分が濡れているのが分かった。


 応接室に飾る生花を貰いに、朝一番に王宮の庭師の所へ行く道中、王宮の脇を通っている時だった。今日はいい天気だ。綺麗な秋晴れに爽やかな風が吹く日に、何故上から水が、と思い上を向くと、2階の窓がぴしゃりと閉まった。


「・・・なるほど」


 ここに案山子があれば何発も殴りたい衝動に駆られるが、アリシアは大きく息をついてその衝動を抑え込んだ。


 今日は平手打ちを防いだ2日後。そして昨日はリーネルト将軍が一人で登城し、いつも通りアリシアを指名した。


(まあ、そういう事なんでしょうね)


 正面切っての嫌がらせは、アリシアに撃退されるという事を学んだのだろう。陰湿なことだ。腹立たしい事この上ないが、今ここで一人暴れても仕方ない。


(とにかく乾かさないと)


 前髪からポタポタと雫が落ちていく。その雫は色もなく綺麗に透き通っている。臭いもないので、雑巾を絞った後の水ではなく、綺麗な水だったようだ。

 幸い今は11月。南半球のアリオカル大陸の季節は晩春から初夏に移るところだ。かけられた水の量も髪と上半身が濡れる程度で、多少冷たいが体も冷えてはいない。今すぐに風邪を引くという事もなさそうだ。

 取りあえず濡れた状態で仕事をするわけにもいかないので、さっさと魔術で乾かしたいところだが。


(うーん・・・やっぱり魔術は宿舎まで行かないとダメか)


 王宮内では暗殺を防ぐために使用人の魔術の使用は禁止されている。所属を表す胸の小さいブローチには、魔術の発動を抑制する術がかけられている。もし無理矢理に発動した場合は、即座に近衛隊へ通報される。

 王宮では誰が何処から見ているか分からない。こっそり精霊術を使うのも危険だ。


 近場で魔術を使える場所が無いか考えるが、あまり目立ちたくない。人目が少ない場所となると、やはり使用人宿舎だ。


(ん?・・・ちょっと待って。という事は、その場の思い付きで魔術を使って水をかけたんじゃなくて、わざわざ水を運んで、通るか分からない私をずっと2階で待ってたってこと?)


 王宮内で魔術を扱えるのは、魔王ギルベルトとその妹エレオノーラ、そして近衛隊だ。客人も使用可能だが、まだ朝早く、誰も登城していない。

 魔王ギルベルトとエレオノーラがわざわざ使用人のアリシアに水をかける意味もない。近衛隊との確執もないし、そもそも使用人への嫌がらせなぞ近衛兵として非常に恥ずべき行為だ。

 そうなると残りの可能性は使用人になるが、彼らは王宮内で魔術を扱えない。


 その事に気付くと同時に、アリシアの心の中の怒りが呆れへと変わっていく。

 水をかける為に潜んでいる間、仕事は一体どうしていたのか。王宮使用人はどの部署でも忙しいはずなのだが。


 同じ王宮使用人として情けない気持ちになりながら、アリシアは近くの給仕準備室に近寄った。窓から室内を見ると、先輩パーラーのリーゼ=ヒュフナーが一人で今日の給仕の為の支度をしていた。登城が始まる時間になると4~5人待機だが、今は準備で出払っている。大騒ぎにしたくなかったアリシアには都合がいい。


 窓をコンコンと叩くと、音に気付いたリーゼがこちらを振り向く。アリシアに気付いたリーゼの顔が驚愕に変わった。


「ミリィ!!どうしたのよそれ!!」


 窓を閉めていても聞こえる程の大声を発しながら、驚いた顔でリーゼが小走りで近寄ってくる。


「外まで聞こえるなんて、相変わらず元気ね」


 近寄ってくるリーゼを見つめながら、アリシアは小さく笑う。


「大丈夫!?何があったの!?」


 リーゼは窓際まで来ると、ガラッと窓を開けて、身を乗り出してアリシアに問う。勢いの良いリーゼに内心苦笑しながら、アリシアは困った顔で口を開いた。


「花を貰いに行く途中で、上から水が落ちてきたの」

「はあ!?上から!?何よそれ・・・!エルゼさん・・・いえこれはロットナーさんね。報告する?」

「まだいいわ。少し様子見したいから」

「そう・・・?困ったことがあれば私に言ってね。こんなふざけた事するやつ、私が懲らしめてやるから!」

「ありがとう」


 大きな声で握りしめた手を胸の前に持ってきて意気込むリーゼに、アリシアはフフッと笑う。


「取り合えず宿舎の近くまで行って、魔術で乾かしてくる。一旦ここを離れるから、誰かに伝えておこうと思って。乾かしたらそのまま花を取りに行ってくる」

「・・・周りに気を付けて行くのよ」

「うん。リズ、ありがとう」


 いくら冷静でいようと心掛けても、腹は立つし心もささくれる。しかしアリシアの為に怒って心配してくれるリーゼに、心がほんわかしたアリシアは、柔らかい笑みを浮かべた。


 リーゼ=ヒュフナーは年上でパーラーとしても先輩だが、話してみるとアリシアと妙に馬が合った。リーゼも同様に感じたようで、偽名のアメリアの愛称、ミリィと呼んでくれる。なのでアリシアもリーゼを愛称のリズと呼ぶ事にしている。


「じゃあ行ってくるわ」

「うん。こっちの支度はしとくから!」

「ありがとうリズ」


 人目が多い王宮に、濡れ鼠状態で長く留まりたくない。まだやるべき仕事も沢山あるのだ。

 アリシアは急ぎ宿舎方面へと足を進めた。




* * *




(ここまでくれば大丈夫よね)


 アリシアは立ち止まり、辺りを見渡す。芝生に挟まれた石畳の小道の先に、使用人宿舎が見える。後ろには王宮。白く輝くその様は、『魔王』が住んでいるとは思えない程神々しさがある。


 アリシアは王宮側の腰の高さの生け垣を眺める。


(あそこが境界線って言ってたものね)


 研修で王宮内を案内された際、あの生け垣から魔術制限がかかると言われた事を思い出す。


(うっかり違う場所で魔術を使って近衛兵に拘束、なんて笑えないからね)


 うんうんと頷いてから、アリシアはまず体の内側にある魔力を意識する。体を巡る魔力を必要分だけ手の上に集めて呪文を唱え、魔術を発動させる。


「・・・うん。乾いたかな」


 髪をつまんだり、服を触って濡れたところがないか確認する。同時にべたつきや臭いなどがないか確認するが、特に気になる事はない。が、それでもやはり心配になった。


(・・・こっそり精霊術で浄化をかけよう)


 アリシアは再び辺りを見渡すと、近くに人気がない事を確認する。今度は体の外、空気中に漂う気に集中し、呼吸と共に気を体に取り込む。そして聖属性の精霊を意識しながら、取り込んだ気と己の気が混ざったエネルギーを手渡して呪文を唱え、精霊術を発動させる。


(うん。スッキリ)


「ありがとう」


 小さく精霊にお礼を言うと、耳を澄まさないと聞こえない程の音量の笑い声が聞こえた。風に揺れた樹木がサワサワと心地よい音を立てる様なそれは、精霊の声だ。


(精霊はどこにでもいるから助かるわ)


 ふふっとアリシアも小さく笑うと、王宮へと踵を返す。


(しかし魔術か・・・精霊術は精霊の力を借りて発動するから分かるけど、魔術は何度使っても不思議)


 精霊術を使う際に唱える呪文は、精霊にどのような効果が欲しいかを伝えるものだ。一方魔術に必要なのは想像力。なので想像しやすい言葉をつなげて術を発動させる。呪文は一般的とされる文言があるが、自分が想像できるなら文言は変えてもいいし、無詠唱も可能だとか。


(精霊神様は、魔術は神の創造に近い力だって言ってたけど、不思議な感覚)


 精霊術は空気中を漂う気も使うので、体に負担は少ない。しかし魔術は体の中にある魔力のみで発動するものなので、行使した後は何かが抜けたような感覚がある。


(私も魔術を扱えるようになるなんてね)


 アリシアは歩きながら、先程魔力を集めた己の手を見る。


 本来、人間は魔術を扱えない。体内に魔力はあるが、それを外に放出する事が出来ない体の構造になっている。

 魔神エルトナは人間が持つ魔力に着眼したのだろう。人間の構造を元に、魔術を扱えるように創ったのが魔人だ。

 更に言えば、その魔人の構造を元に創られたのがエルフだ。エルフは精霊術に特化した存在であるため、魔術を扱う感覚は持っているが、魔力をほとんど持っていない。


 魔力を持つが扱えない人間と、魔力をほぼ持たないものの素養があるエルフ。その子供に魔術適性があったのは必然と言って良いだろう。精霊神がそんな説明をアリシアへした後、最後に『生命の神秘だね!』と少年のように楽しそうに笑っていた様子が、アリシアの脳内で再生された。


 潜入前に精霊神からレクチャーを受けたお陰で、アリシアも一般的な魔人と同じくらい魔術を操ることが出来る。だからこうして怪しまれることなく魔人達と生活が出来ているのだ。


 人類連合側は長らく魔国ティナドランに潜入することが出来なかった。


 魔術を扱えない者が魔国ティナドランに潜入できるものなのか。戦争捕虜として拘束している魔人に何度も確認した。しかし日常生活の一環で魔術を扱えない者はどうやっても目立ってしまう、との事だった。実際に捕虜となった魔人達は、魔術を制限された中でも日常生活で自然と使っていた。


 何より体の色素が濃い魔人たちの中では、人間は居るだけで目立つ。髪を染めて肌を黒く日焼けさせた上で何度か諜報員を送り込んでみたものの、すぐに音信不通となってしまった。


 そしてそれは魔国ティナドランにも言えた。色素の薄い人間と獣人の中に、褐色肌の魔人は目立つ。髪を染めて肌は日焼けだと言い張っても、瞳の色までは誤魔化せない。どんなに隠していてもすぐに気付かれ、収容所送りとなっては当時のニュースを騒がせていた。


 精霊神が顕現した200年前。彼はハッキリと『魔術を扱えないと高魔力保持者には気付かれるだろう』と断言した。同時に諜報員を送り込んでも無駄死にをするからと、禁止も言い渡した。


 しかしそれは5年前に撤廃された。

 25年前に世界で初めて誕生したハーフエルフの男の子。その子に魔術が扱えることが分かった。5年前に本人の希望によって、魔国ティナドランへ潜入することとなったのだ。彼は今でも潜入を続ける、アリシアの大先輩だ。

 他にも先輩は4人いる。全てハーフエルフの男性で、各地に潜んで報告を上げている。しかし王宮にまでたどり着けたのはアリシアが初めてだ。


(だからこんな嫌がらせ程度で王宮使用人を辞めるなんて、絶対に嫌)


 断固戦ってやる!と拳を握り締めて、庭師の元へと足を速めた。


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