9:家令への疑念
風呂をあがったマリーは脱衣所で服を着る。
女の子が運んできたのは、オレンジのワンピースだった。生地も上質で、縫い目も細かい。玄人の手仕事で作られているようで、袖や襟ぐり、裾などに綺麗な刺繍がほどこされている。マリーや母の刺繍がいかにつたないか思い知らされた。
これを着るのかとげんなりする。不釣り合いな服を着るのは、むずがゆい。
マリーの自意識は、大きな屋敷で暮らす夫人ではなく、どこまでも村娘のままだった。
意を決し、残された服に袖を通すと、マリーにぴったり合う。ルットの言う通り、マリーのために用意された衣装だと着た瞬間に分かってしまう。
オレンジのワンピースを着た姿が大鏡に映る。水気を拭きとった濡れた茶髪、日に焼けた肌にその色は良く似合っていた。
(数日で、こんな衣装を用意できるものかしら)
クローゼットの衣装は数も多かった。一昼夜で揃えられる数ではないように見えるものの、こればかりは村娘の感覚で正否を判断できない。
違和感をぬぐえぬまま、風呂場の脱衣所を後にする。
身ぎれいになったマリーは、数歩廊下を進み、歩みを止めた。
真っ先に地下に行きたい衝動に襲われるマリーは、今ここで地下へ向かってはルットに怪しまれる、と自制する。まずは疑っていない風を装い、ルットの話を聞いてみようと判断した。
マリーは大股で食堂へ行く。食堂の扉前で、一度立ち止まり、深呼吸を二度繰り返してから、扉を開けた。
食堂には誰もいなかった。
ルットがいると思って入ったマリーは拍子抜けする。
「……いない」
ぽつりとつぶやき、後ろ手で扉を閉める。とぼとぼと進む。座って待とうかと思ったところで、奥の扉が目についた。そこは料理を運ぶルットが出入りしていた扉である。
マリーは、もう一度、周囲を見渡した。
ルットに禁止されたのは、地下に行くことだけである。
食堂の奥にある扉を開けてはいけないとは言われていない。
吸い寄せられるように奥の扉に近づいた。開けてはいけない扉の一つを覗き見ようとしているマリーの心音は、近づくごとに高くなる。
扉の前に立ったマリーは、耳をそばだてる。がちゃがちゃとさざ波のような騒音が聞こえる。一人で仕事をしているのか、何人かで仕事をしているのか、判断はできなかった。
マリーは扉に触れ、耳を押し当てた。
その時、がりゃりとドアノブが回り、扉が開いた。
ぱっと後方に飛び跳ねたマリーが両手を上げる。
出てきたのはルットであった。料理を盛りつけた皿を載せたおぼんを持っている。
扉のすぐそこにマリーがいたことに驚いたのか、ルットも目を丸くした。
「どうしたんですか?」
「えっ……あっ、あの~。そう、お腹が空いちゃって。ほら、お風呂入ったら急に、外に出た疲れがでたっていうかね」
へへっとマリーは笑った。誤魔化し笑いだったが、ルットはそれで納得した表情を見せた。
「そうですよね。外に出て、お風呂にはいれば、疲れも出るでしょう。今日は食べて、ゆっくりしてください」
「ダメよ。ちゃんと、あなたの話を聞いてからなのよ。話を聞かないでは、気になって、眠れないんだからね」
念を押すマリーに、ルットは苦笑する。
「分かりました。約束は守ります。食事の準備はすぐに整いますので、椅子に座って待っていてください」
怪しまれないためにマリーはルットに従い、今朝と同じ椅子に座った。ルットが扉を行き来して料理を運んでくる。
すべて運び終えると、ルットはマリーの前に座った。話は食事を終えてからと言うことになり、まずは二人で静かに食事をした。
カトラリーの使い方は知ってはいるものの、ルットのように使いこなせないマリーは、見よう見まねで、なんとか行儀を取り繕う。今まで着たこともない服を着て食事をするだけで緊張する。二人きりの食卓でなければ、食べ物の味が分からず、喉も通らなかったかもしれない。
空腹には勝てず、出された食事はすべてたいらげた。
食事が終わるとルットが立ち上がり、食器を重ね、片づけ始める。マリーも手伝おうとするとやんわりと止められた。
いつも手伝いで動き回っているマリーはじっとしている方がなれなかった。なにか仕事を与えられ、こなしているぐらいで均衡がとれるのだ。
ここの暮らしは楽かもしれないが、マリーには居心地が悪い。
ルットは重ねたお皿を扉向こうに運び、ふきんを持って戻ってきた。こらえきれずに立ち上がったマリーは、ルットの手にしているふきんごと彼の手を握っていた。
目を丸くするルットに、マリーは縋るように頼み込む。
「お願い。テーブルだけは私に拭かせて」
「えっ、あっ、はい」
「拭くぐらいやらせてよ」
「どうぞ……」
マリーの勢いに押され、ルットはふきんを渡す。
受け取ったマリーはほっと安堵の表情を見せた。
嬉しそうにテーブルに拭く姿を見て、ルットは黙ってお茶の用意を始める。
マリーがテーブルを拭き終わる頃には、お茶の準備は終わっていた。
テーブルの端にふきんを置きマリーが席に座ると、すっと紅茶がが行ったカップが差し出された。
「ありがとう」
「こちらこそ、手伝っていただき、ありがとうございます」
ルットは自分用のカップとソーサーを持ち、マリーの迎えに座る。
これから本題に入るのだと自覚し、マリーは生唾を飲み込んだ。
「ルット、さっきに私の質問覚えているわよね。お願い、教えて。
イーノック領とハウイット領はなんでこんなにも違うの!」
ルットは一呼吸置くと、真顔になり答えた。
「一言で言えば、水の分配ですね」




