1:噂話
熱された空気を吸い込むと喉がひりりと焼ける。雲一つない空はギラギラと輝く太陽の独壇場だ。からからな晴天を黒い鳥が飛ぶ。枯れた地表に用はないと言わんばかりに、彼方へと消えた。
太陽に焼かれた道は、まるで鉄鍋で炒られたかのように乾いた砂をまき散らせる。熱い砂粒は、歩く人間の頬を容赦なく叩く。
左右に広がる畑では農民たちが働いている。
ここ数日、雨がない。日照りとは言わないものの、このまま恵みの雨が得られなければ、秋の実りに響くだろう。
(去年に引き続き、今年もなんて厳しいの)
痩せた牛を引くマリーは歩きながら、麦わら帽子の広いつばを押し上げた。額には玉の汗が滲む。首の後ろで髪を束ね、半そでのシャツにズボンをはいている姿は、まるで牛飼いの少年だ。
(去年の冷夏で備蓄も少ないというのに、この日照り。収穫の影響が懸念されるわ)
村の中心部を突き抜ける一本道の脇に生える大樹が見えてきた。そこは道を歩く村人が必ず休む、憩いの場だ。
連れてきた牛を休ませる目的も兼ねて、木陰に入ったマリーは、真っ先に麦わら帽子を脱いで、髪を払った。これだけの熱気のもとでは、帽子の中で汗がこもる。
額に浮かんでいた汗が塊となり目じりを濡らした。目が汗の塩気でぴりっと痛む。
あまりの暑さに堪えきれず、長い髪を結んでいた紐も、ばさりと取り払う。解放感を味わうように、息を大きく吸った。ひんやりとした空気が喉を潤す。
木の幹を背にして座り込む。痩せた牛も熱かったようで、木陰の端に足を折り、横になる。くたっと垂れた黄ばんだ草を器用に舌と口を使ってもそもそと食み始めた。地べたに生える草も乏しい。腹は満ちなくても、口寂しさを紛らわせていたいのだろう。
幹を背に、木陰に座り込んだマリーは腕を組んで目を閉じた。
徒労感におそわれ、転寝をしてしまう。
「ねえ、聞いた、聞いた。隣の領主様の黒い噂」
「聞いたわ。ひどい話よね。こんなご時世だから、食い扶持を減らすため子どもを売る親が多いとはいえねえ」
転寝をしているマリーの耳に、女二人の会話が飛び込んできた。目覚めたばかりで、意識が声を辿っても、ずんと重い体はまだ寝ている。感覚が戻らない手足は動かない。
「売られた子どもの行く末なんて、どこも似通ったものでしょう」
「それでもねえ、伯爵が奴隷商人のお得意様で、幼い子供の奴隷を買っては、屋敷の地下で手足を切り刻んでいるなんて……。そんなことが、ほんの目と鼻の先。隣の領主がやっていると思うと、ぞっとするのよ」
「それはそうね。売られた子どもがひどい目を見るなんて、もっと遠いところの話のようよね」
「そうねえ。それがこんな地方の領主さえ、同じように……」
体が目覚めたマリーがかっと両目を開けた。
突然起きた隣人に驚いた女たちの会話が止む。
さも聞いていなかったと装い、マリーは腕を上に伸ばして、背を逸らせた。立ち上がり、ズボンをほろう。
寝ていた牛も、マリーの気配を察してか、閉じていた目を開き、瞬く。
握っていた牛とつながれている縄を引くと、痩せても賢い牛は体を起こす。
「マリーお嬢様。起こしちゃったかしら、ごめんなさい」
気のいい女性が声をかけてきた。
「気にしないで、急ぎだったのに、転寝なんてしてしまったのは私だもの」
「さっきの噂は……」
「いいわよ。聞かなかったことにする」
「ありがとう」
「でもね、どこで貴族の耳に入るか分からないもの。外の噂話にはよくよく気をつけてね」
女二人はうんうんと頷く。
会釈をして、マリーは木陰を立ち去った。
マリーは、マリー。家名はない。
イーノック伯爵が治めるイーノック領の端っこにある村を束ねる村長の娘だ。
今日は父の使いで、村はずれの家に食料と牛を交換に行った。
村はずれにあるその家は子どもが多い。普段なら、乳も出すし、子も産むし、農耕器具も引けるうえに、売れる牛は重宝される。ところが、去年の不作に加え、今年の日照りによる悪影響もあり、収穫が厳しい状況下では、牛の餌が重荷になる。そこらの草も生気を失い、枯れていくなかでは、牛を飼う余裕はない。
牛を売るか、子どもを売るか。
そんな選択を迫れていると知らせが入った。
マリーは老いた山羊ごと荷車を届けに行った。値のつかないやせこけた牛と、老いた山羊と食料を乗せた荷車を交換する。乳も出なくなった山羊なので、近々に潰して食べられることだろう。
食料をありがとうと子どもを複数こさえる夫婦は頭を下げた。
交換した痩せた牛はマリーの家で飼うことになる。
帰宅したマリーは牛舎に牛を連れて行き、水と干し草を与えた。
村長の屋敷には倉が五つある。そこにさまざまな保存できる食料を収められている。その倉を管理監督するのが村長の大切な仕事の一つだった。
代表的な仕事はもう一つあり、それが領主の徴税への対応だ。作付面積に対して、これだけを領主に治めよという基本的な取り決めはあるものの、作物というのは年によって生産量が変わる。
主食の穀物を収めることを主としていても、賄いきれない時もある。そういう時は、領主の元へ訪ね直接交渉を村の代表として行うのだ。
(備蓄もあったから、去年はなんとか治めることができたけど、今年は五つある倉のうち、すでに二つは空になっている。三つ目ももうすぐ空いてしまう)
マリーは五つの倉の前を横切った。
去年に引き続き厳しい結果になると予想できる今年は、さすがに徴税を翌年にのばしてもらうか、免除してもらうか、交渉するしかない。
今日は三日前に領主の元へと旅立った父が帰ってくる日。
既に頂点をまわった太陽が傾ており、父が帰っていてもおかしくない時刻だ。
どんな結果が待っているか。
マリーはドキドキしながら、家の扉を開いた。
本日は三話投稿します。
六話まで執筆中。
明日から一話投稿します。
いつも完結投稿していましたが、今回初めてのリアルタイム投稿します。
投稿方法をいつもと変えているのでドキドキしますが、どうぞよろしくお願いします。