第四十二話「道連れとなまけ」1/2
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月影と行灯を頼りに文机に向かって、雪代ノ奥方は日課の旅日誌を記している。
自分がもし道半ばで死した時、愛する我が子、千代丸へ届けよとウコンは命じられている。
そのような日が訪れぬことを切に願うが、此度の一件でウコンは身にしみた。
これは仇討ちの旅路なれば、明日は我が身であるということを。
「あれから一週間が経つのね、ウコン」
「そろそろ湯治もおしまい、旅立たねばなりませんね」
「ちっとも骨休めにならなかったんじゃないかしら?」
「いいえ、古傷も癒えましたし、それに得難い経験も多くございました」
「激動だったものね」
「誠に、書くことには困らずに済みそうでようございました」
「やれ何を食べた、美味しかったとばかり徒然に書くのも案外と読み応えあるものよ?」
奥方は朗らかに笑ってみせては筆をさらさらと走らせる。
さてとウコンも振り返ってみる。
仇討ちを成し遂げた後、じつはここからがウコンにとっては一番の大仕事だった。
神社の境内での仇討ちはご法度、禁じられている。
それ以前に、無許可の仇討ちも許されるかはお上次第である。
いや、なによりもって実の弟と夫婦だと称する黒川シノには尊属の仇討ちを認められない。
そう、逆縁打ちだ。
つまり下手打てば死罪をまぬがれない。
そして一番に困るのは、黒川シノ当人が「死罪上等」という覚悟であったことだ。
復讐さえ遂げてしまえば、後のことなど二の次三の次という黒川シノを奥方やウコンは説得してどうにかこうにか“死罪をまぬがれる策”を講じていた。
ここでまた悪どいことを閃くことにかけて天才的なのが銀狐のサコンである。
「よろしいかね諸君! 我々が討つのは白上ユキノジョウではなーい! 別人である!」
「は? 何を言っているんだアホギツネ」
「よく考えてみなよ、十三人目の僧兵が白上ユキノジョウだって真実を知っているのはごく限られた者のみ! 厳重に正体を隠してたんだから当然そーだ」
「あ、まさか……」
「秘密裏に暗殺して、真実を隠せば――白上ユキノジョウは死んでも死なないのさ」
それは末恐ろしくも合理的解決法だった。
白上ユキノジョウは死んでいないことにする。それを成し遂げるために、闇市での仇討ち当日に奥方一行は葬列に扮して大芝居を打った。
闇市の聴衆に葬列を見せつけ、架空の竜魔騒ぎを演じることで僧兵らを外へ遠ざける。
そして密室となった本堂にて白上ユキノジョウを暗殺する。
亡くなった十三人目の僧兵の穴埋めに、影武者のユキノジョウが入れ替わる。
座棺には殺害した白上ユキノジョウを詰め、葬列は亡骸を墓地に土葬する。
そして亡くなった者を――セツタという名の貧乏役者だったことにした。
それらの口裏合わせは地元の有力者である岩炭組の長、岩炭ゴンゾウの助力があれば可能なこと。
鹿鳴寺の住職は大金に目が眩み、罪人を匿っていたという秘密を自らバラす道理がない。
岩炭組と鹿鳴寺。
この地の有力者双方を巧妙に味方につければ、真相を闇に葬ることは容易かった。
もし白上家が無理に追求しようとしても、それは自ら密貿易の秘密を紐解くに等しいことだ。
その上、忍び里を通じて内々に関係各所の役人に根回しもしていたようで……。
奇しくも、それは白上家の悪行と秘匿隠蔽を逆手に取ることで成立した。
しかも幸いなことに偶然、死に際の悪あがきにユキノジョウは氷雪の異能を使ったことで流血も凍てつき、床に滴り落ちた血痕はごく少量で隠蔽工作は手軽だったときている。
「罪なき人を闇討ちにした悪党の末路だもん、お似合いだーね」
完全犯罪。
後々そのように呼ばれるべき事件がここに闇へ葬られた。
名誉ある仇討ち。
陰惨なる人殺し。
表裏一体、そのどちらでもある一夜の出来事はウコンにとって正負もなく重大だった。
悪党を成敗したといえば心晴れやかに清々しく。
人一人を見殺しにしたといえば心穏やかにはいられない。
最期の瞬間、白上ユキノジョウにトドメを刺す黒川シノは偶然か必然か、ウコンに変化した。
ふと己の言葉を振り返る。
『シノ殿の仇討ちを、我が事のように重ね見ているのです。親の仇を討てずとも、だれかの仇討ちに力添えできたとしたら、なにか償いができ、心救われるのではないか。そう想えばこそ、シノ殿に助力したいという奥方様をお止めしなかったのでしょう。……ご迷惑でしょうか』
幕の内弁当を食している時、そのような言葉をかわした。
その言葉に偽りはない。
なれば偶然にせよ必然にせよ、最期の変化はウコンで間違いではなかった。
そう、見殺しではない。
黒狐のウコンは黒川シノと共に仲間として、自ら望んで白上ユキノジョウを討ったのだ。
一週間というおだやかな日々のうちに、ウコンはそうして復讐劇を己の糧にした。
旅日誌を記し終えて、うーんと奥方は背筋を伸ばして脱力する。
いつものようにすやすや健やかに寝るようだ。
ウコンは一週間が過ぎつつある今、悪い夢に二度三度とうなされている。
「奥方様はよくのびのびと寝られますね」
「だってだって、シノ殿は悲願成就! ようやく仇討ち旅を終わらせることができたのよ? これで心置きなく枕を高くして寝られるというものでしょう?」
「確かに、それはめでたいことですが……」
「わたしだって、ああなりたいわ」
雲間に隠れゆく夜空の月を探しながら。
物憂いな横顔で、雪代ノ奥方は月夜と語らう。
「一途に。ひたむきに。純粋に。仇を討ちたい。その一心を貫き通したシノ殿は強く、儚く、美しく、たくましく。武士の妻として手本にすべきだとその勇姿を私は心に刻んだのです。でも」
「……でも?」
「こわかった」
「……は?」
奥方は今更に、じわっと涙ぐみ、へにゃっと床に崩れ伏してはこう弱音を吐いた。
「怖かったのよ! シノ殿が!」
「あの時まさか私の手を握られたのは……」
「だって怖すぎて、ああでもしなきゃ見ていられなくって……!」
奥方は床上で身悶えて、ごろごろと七転八倒する。
(何なのだろう、この御方は……)
しかしそんなところも愛しいと思えてならないのが惚れてしまった弱みだろうか。
いやさ、人柄に惚れたという意味で、等とウコンは己の心中に釘刺しておく。
「けれどね、事が終わってみてひとつ、わかったことがあるの」
奥方は畳の上で大の字になって。
ぽろっと言葉した。
「後味は良かったのよ、とっても」
温厚で慈悲深い奥方の口から溢れる、本音。
「最高の寝覚めだったわ。あの夜も、今夜だって」
雪代ノ奥方は仇討ちをあきらめたい、と願っている。
それはしかし己が命惜しさ、そして千代丸君と死別することを恐れてのこと。
生と死を天秤にかけ、迷っている道半ばであるだけのこと。
「……わたくしも、ああなれるかしら」
「無理でしょうね」
ウコンは即答した。
黒川シノの研ぎ澄まされた白刃の執念に至るには到底、奥方には凄みが足りない。
「奥方様はシノ殿に比べて駄肉が豊かすぎるのです、心も、身体も」
「がう!?」
「さ、どうぞ奥方様らしくのびのびと寝てください。明日にはここを旅立つのですから」
「んもう、ウコンのいじわる」
左様にじゃれあい、ウコンと奥方はおやすみの挨拶をかわした。
不思議と、その夜は夢見がよかった。
おぼろげに思い出せる夢模様は流血の一夜ではなくて、幕の内弁当を平らげる奥方であった。