第四十話「鹿鳴寺と十三人目」
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鹿鳴寺の闇市は大いに賑わっていた。
闇夜の中、寺の堀に沿って並んだ篝火によって市場は煌々と照らし出されている。
各々が露天を並べて商いの売り文句を謳い、客は品々を値踏みする。胴元である鹿鳴寺の僧兵が門前で睨みを効かせ、岩炭組の博徒らが盗みや諍いがないかと目を光らせる。
前回と同じく、ここは夜祭もかくやという活気に満ちていた。
ただひとつ違うのは、これから復讐劇に幕引くために血が流れることをウコンが知ることだ。
闇夜の炎の煌めきはそうしてみれば途端、恨み化けでた人魂の燃えるさまに見えてくる。
今夜この場にて白上ユキノジョウを討つ。
そのために奥方一行は入念に準備して、いくつかの罠を用意していた。
この闇市の何処かに潜む白上ユキノジョウを炙り出す――。そのために必要不可欠なのは他ならぬ影武者、偽ユキノジョウことセツタの協力。
そしてこの闇市を取り仕切る岩炭組、その一人娘のコハルの協力だ。
――遡ること二日前、奥方一行はコハルに案内されて岩炭組の長を尋ねた。
「やい、どの面下げて堂々と表から帰ってきたユキノジョウ!」
そう睨みを効かせ、殺気立つ犬狼族の岩炭ゴンゾウ。
しかし白昼に老眼を擦ってよくよく近くでみてみれば、そこに佇むのは白黒の猫ではなく白虎だ。
サコンは意気揚々と高らかに名乗り口上をあげる。
「ここにおわす方をどなたと心得る! 恐れ多くも先の隣藩、氷山藩筆頭家老一門雪代家御息女、雪代ノ姫君であらせられるぞ! 頭が高い、控えおろう!」
「よ、よしなに」
虎の威を借る狐とはまさにこのことである。
本人より偉そうにふんぞり返ってみせる小生意気なサコンにウコンは呆れるが、無駄な大げさぶりでなかったらしく、たちどころに岩炭ゴンゾウは「へ、へへーっ!!」と膝を折って頭を下げた。
犬狼族らしく尻尾の先までしなだれさせて平伏するさまは何とも痛快である。
(流石に、鹿女温泉郷と氷山藩はほど近い。耳聡ければ、雪代家や仇討ち話を知っている。無礼があれば氷山藩の顔に泥を塗る行い、片田舎の博徒の首など容易に飛びかねないからな……)
ウコンは打ち合わせ通りに、仰々しく高圧的に威張ってサコンに調子を合わせつつ続ける。
「岩炭ゴンゾウ! 氷山藩の要人を危うく殺しかけた行い、ただの人違いでは済まされぬぞ!!」
「ど、どうかお許しを!」
渋みの効いた強面の犬狼族がすっかり青ざめて震えるさまは流石にウコンも心地がよかった。
年端もいかぬ小狐になぞ本来ゴンゾウが額を床につける道理はない。
しかし当の奥方は心苦しいらしく、すぐに「誰にでも間違いはあります」と優しい言葉を掛けた。
否、これも作戦のうち。
物事はまず大げさに最悪の条件を突きつけ、それよりはマシな条件な提示すると落差からついすんなりと受け入れられてしまうものだ。
「ここは二つほど、私どもの願いを叶えていただければ、此度の無礼、無かったことに致したく」
「へい、そのお願いというのは?」
「まずは貴方の娘さん、コハルさんと仲直りすること。強情を張らず耳を傾けてあげなさい」
「そーゆーことだぞ、親父!」
奥方の背に隠れて、コハルは強気に勝ち誇る。
ゴンゾウは「こいつ……!」と反抗的な娘に苛立つが、渋々とあきらめて受け入れる。
「しょうがねえ。だがまだお前とユキノジョウの恋仲を認めたわけじゃあねえぞ」
「上等だ、じっくり説き伏せてやる!」
火花散らす親子。
岩炭一家と偽ユキノジョウの今後については、ひとまず刃傷沙汰が遠のいただけでもよしとする。
「さて、本題ですが。どうか、親分さんにはとある方の仇討ちにご助力いただきたいのです」
「仇討ち? 一体だれを討とうってんだい」
「白上ユキノジョウです。親分さんのよく知る影武者ではなくて、本物の」
「……そいつぁー詳しく話を聞こうじゃねーか」
――かくして岩炭組と話をつけたのである。
闇市の半数を味方につけたといって過言でない岩炭組との協力。
これが欠かせないのは、仇討ちに伴う混乱を最小限に留め、円滑に実行するためだ。
なにせ、闇市は人で賑わうだけでなく、鹿鳴寺の門前である。
鹿鳴寺は建物も敷地も広く、属する人も三十余りを越す。このうち老年の高僧であるお和尚様や幼年の見習いである小僧を除けば、十五人ほど。さらに僧兵として警備の仕事をこなすものは十二人いるということが下調べでわかっている。
僧兵は門前、寺院の敷地内、屋内に四人ずつ。ただし二交替で行うので、半数ずつが守衛につく。
僧兵はかつて寺社の自衛のために大きな役割を担ったが、この天下泰平の時代では大多数の寺院には僧兵はおらず、居たとしてその役割というのは防犯と竜魔への対処のみとなっている。鹿鳴寺は裏手に魔境があり、自衛の必要が認められるので武装を特別に許可されていた。
仇討ちの際、この僧兵が駆けつけてしまうと事がややこしくなるのは必定だ。
僧兵は僧衣の下に鎧をつけ、長柄の武器を有している。薙刀や槍は持ち歩きに不便で武士であっても携行は許されないが、要所を守る仕事上であれば装備できる。つまり完全武装した侍に近しく、岩炭組の博徒たちは長脇差しか所有していないことを比べると天そばとかけそばほどの差はある。
たとえ竜魔刀であったとしても、頑強な鎧越しでは人体を一刀両断にはできかねる。
そしてなにより、ごろつきはさておき仏門の徒である僧兵は軽い怪我でも負わせると面倒くさい。
僧兵とて今回は何ら悪いところがないので無用な衝突は避けるため、遠ざけるしかないのだ。
(ホントに邪魔くさい……)
もし鹿族の僧兵が一斉に薙刀を手にして、その凶悪な鹿角を突き出して突進してきたら……。
白虎族の奥方や空舞う蝙蝠族のシノはともかく、ウコンなど雀の串焼きそっくりになりかねない。
そう、鹿角――。
鹿鳴寺の僧兵は大半がこの地に多い鹿族の出、白い頭巾から雄々しい角がにょっきり出ている。
角がないのは兎族の僧兵が二名だけ、小型のケモノビトなので一目瞭然だ。
しかしたった一人だけ、屈強で大柄な図体でありつつ鹿角を持たぬ僧兵の目撃があった。
十二名の僧兵のいずれとも特徴の一致しない、正体不明の僧兵――。
鹿鳴館の十三人目の僧兵。
怨敵、白上ユキノジョウである。
サコンの調査結果によれば――。
白上ユキノジョウは逃亡生活の末、縁者を頼って一年ほど前に鹿鳴寺へと流れついた。
鹿鳴寺は僧兵に守られている上、僧兵のいでたちは顔を隠せる。警備の仕事ならば、周辺に住んでいる者と交流する必要もない。外界と途絶された寺院に隠れつつ、さらに影武者のユキノジョウであるセツタを岩炭組に置いて外界の監視も怠らず、二重に黒川シノの追求を遠ざけていたのだ。
また白上ユキノジョウは黒川クロウを殺害した折、反撃によって深手を負っていた。ユキノジョウは傷を癒やすために、これまでも療養できる湯治場を渡り歩いてきたらしい。鹿鳴寺のある鹿女は温泉郷、敷地内での湯治もできて最良の隠れ家だったのだ。
周到にして狡猾。
長倉奉行である父親の白上ジンダイ、また母親が手をまわして手厚く守っているのである。
ここまで完全防備を尽くしたユキノジョウを追い詰めることなど到底、黒川シノという女剣士たったひとりではできようはずもなく。奥方一行と巡り合いここまで辿り着けたことは、五年の歳月をあきらめず復讐にひたむきであったシノの為に天運が巡ってきたという他にない。
(まさか、奥方との人違いが秘密を暴く鍵になるとはな……)
黒川シノは“人違い”で奥方を襲ってしまった。
岩炭ゴンゾウも“人違い”で博徒一同で奥方を追いかけまわした。
そしてあの夜、僧兵たちは“人違い”で緊張して奥方とにらみ合ってしまったのだ。
(……あの硬直と緊迫、まさか僧兵たちはユキノジョウと奥方を見間違えていたとはなぁ)
ユキノジョウの素顔や特徴を知る僧兵は、なぜか侍のいでたちで現れたユキノジョウと同じ白毛黒縞のでっかいネコの奥方に混乱させられたのだ。
あるいは当時岩炭組が探し回っていた影武者ユキノジョウと特徴が一致した為の動揺とも解釈できるが、いずれにせよ、サコン(※ウコンではない)が怪しむきっかけには十分だった。
諜報担当の忍者であるサコンには十分な手がかりだったらしく、奥方とウコンが闇市での買い物を行っている間に、十三人目の僧兵の噂にまでは辿り着いていたそうだ。
そして影武者について判明、どこかに本物がいると山城でウコンに教えられた段階で察しのついたサコンは帰り着いた後、早々に下調べをこなして証拠を固める。
『さぁ! どーだい! おとなしく白状しちゃいな影武者さん!』
サコンは脅迫と調査を元にして影武者ユキノジョウを尋問、ついに真相を吐かせたのだ。
『真相解明! えっへっへー、迷宮知らずの名密偵サコンと呼んでくれたまへ!』
大手柄を得意げに自慢するサコン。
『ウコンが温泉でだらけきってる間にがんばるあたし、有能この上な~し』
イラッとしたので尻尾でぺちぺち十連打した。
サコンは有能に違いないが、暗にウコンを無能だと言ってるようなものだ。確かに有能だと褒められたくて逆立ちしてでもがんばる気力はない。かといってアホギツネの下に見られるのは困る。功名心とぐーたら怠け心の境界線上でいつも揺れ動くのがウコンのとても浅い苦悩だ。
(さておき、これで舞台は整った――)
鹿鳴寺に隠れている白上ユキノジョウを引きずり出すこと。
そして闇市の人々、僧兵や仏僧その他を傷つけず、白上ユキノジョウただひとりを討つこと。
それも他ならぬ、黒川シノの手によって決着をつけること。
これより復讐劇の幕を引く。
黒狐のウコンは忍者ならば影の者らしく、舞台袖の黒子として大舞台を手伝おうではないか。
細工は上々、結果は御覧あれ。
毎度お読みいただきありがとうございます。
ケモ奥方第二章も残すところはあとわずか、いよいよ幕切れが近づいて参りました。
僧兵は平安時代から戦国時代にかけて、寺社勢力が自衛のために抱えているものでした。
修行僧とは限らず、事実上雇われた武士でしかない僧兵も多かったとのこと。
大昔はお寺も領地をもっており、領地経営を行うために武力が求められたのです。悪党や他の領主だけでなく、時にはお寺同士でも戦ったのだとか。
しかしながら江戸幕府の成立後は全国統治も進み、領土争いもなく、お寺は兵力を持たずとも成り立つよう仕組みも変化していきました。
ケモノビトの世界では未だ領土争いこそなくても竜魔という脅威がある為、自衛のために奥地では僧兵を置く風習が残っているというわけです。
今後とも、よろしくおねがいいたします。




