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第三十九話「静養と湯治」2/2

 静養三日の間、ウコンはシノ奥方と三人で湯治の入浴を度重ねていた。


 元々、この温泉郷にやってきた目的のひとつはウコンの古傷の湯治目的だ。ウコンは言いつけ通り、一日に三回から四回の入浴を行っているが、それにシノと奥方も加わる形だ。

 シノは極度の疲労や擦り傷を癒やすために、奥方も肩の傷が完治するように湯治は必要だった。


 奥方一行の借りている湯治宿の温泉は、竹囲いで区切られた各部屋の庭ごとにある檜湯だ。

 源泉から湯を引き、川水とあわせて温度を調整、個室ごとの檜風呂に温泉を流している。自炊方式とはいえ、充実した専用の温泉がつくのはやや高級な湯治宿といえるだろう。


 竹囲いの彼方先には、五月の青々とした山林、そして苦労して登った魔境の霊峰がそびえている。

 はじめ入浴した時は、まさかのんびりぼうっと眺めていた山の天辺で大立ち回りを演じる羽目になるとは、ウコンは露ほども思いはしなかったものだ。


 檜の浴槽は、せいぜい五人も浸かれば満杯といったところか。大きすぎず小さすぎず、まさに一家族が一度に入るのにちょうどいいくらい。岩場よりなめらかでやさしい木の感触や匂いもよい。


「はぁ~~~~あああああ”あ”あ”……」


 ウコンはとろけきっていた。

 じっくりことこと煮込んだ鍋の大根みたいに、湯が滲みてほろほろになっていた。


 雪国生まれもあって、ぽかぽかとあったかいものがウコンは大好きなのだ。


「このままゆでぎつねになってもいい……」


 はじめて奥方と入った川湯の時は緊張してしまって温泉をじっくり味わえたとは言い難かったが、かれこれ二週間近くつづけているこの湯治湯はもう我が家のような安心感でくつろげる。

 一日数回を二週間となれば飽きそうに思えても、そこは三度の飯と同じくだ。


「やっぱり、ここの湯は切り傷に効くのねぇ。ほら、みて!」


「ぶふっ!」


 いつまでも見慣れないのは奥方の美しく可憐でたくましい裸身だ。ウコンは何度見ても胸の高鳴りを禁じ得ず、もはや自分にその気がないと言い聞かせる理屈も尽きかけていた。


 雪代ノ奥方は治りかけた肩の切り傷を見せようと、二の腕を肩の高さで水平にしようとする。すると自然に、側面から見た場合、豊満すぎる横乳に二の腕の内側、それに脇まで強調されてしまう。


 この際、あえて胸については二の次とする。奥方の双丘がいかに豊かで美しいかは、ウコンは奥方とふたりきりで“授乳”させていただく際にとてもよく味あわせてもらっている。


 しかし、奥方の二の腕の内側から脇にかけてはウコンにとって未知の領域だ。


 何といっても、太い。神秘的で厚めの白毛黒縞に隠れたがっしりとした骨太でしなやかな二の腕の筋肉のつき方は、うっとりと惚れ惚れするほど雄々しくもあり、それでいて柔らかそうでもある。奥方の豪腕ぶりはこれに裏打ちされているのだ。


 元々の体格差や種族差があるとはいえ、ウコンと比べれば小枝と丸太ほどの差がある。

 奥方の腕にぎゅっと抱かれてみたいウコンの願望は、あわや絞め殺されかける形でもう叶った。


 そして脇だ。

 脇が甘い、脇を締める、というように武術では基本まず脇を見せない。そして人体急所のひとつでもある。脇の下には動脈という血管があり、ここを切られるとほどなく失血死する。


 兜と鎧の防備を固めた場合であっても、可動域を確保するために脇と首は装甲が薄くなってしまう。武芸の修練を積んでいるウコンも奥方もシノも、全員がいざという時に切り裂くべき急所だという知識はあるはずだ。


 つまり肩傷を見せようと脇を晒して見せつける奥方の姿は、とても無防備で、たまらなかった。


「奥方様、わかりましたからそれくらいで……」


「あら、傷口を見るのがそんなにイヤなのかしら。ごめんなさいね?」


 それは一瞬の出来事なれど、ウコンには体感数分間は過ぎ去った気してならなかった。

 とかく、長々あたたかな湯に入って心拍が上がりやすいせいもあってか、ウコンは胸が苦しい。

 ここまでは普段の日常茶飯事といえるが、ここに黒川シノが居合わせることが問題だ。


(今しがたのやりとり、見られていた……)


 入浴中、もっぱらシノは遠慮がちにひとり黙想している。くつろいでいる感がとぼしい。

 文字通りに羽根を伸ばしてくれたらいいものの、未だに、自罰的なことにくつろいだり楽しんだりすることに気後れするらしく、心の底から温泉を楽しめているとは言い難い。


 それでも「傷を癒やし、仇討ちに備えるために」という奥方の方便のおかげで、三日目ともなるとようやく人並みに温泉のぬくもりを堪能しているようにみえた。


(しかしこう、改めて見ると……)


 黒川シノは美しい。それは繊月のように、あるいは散りゆく花のような美しさだ。

 その儚くも研ぎ澄まされた冷たい美貌には惚れ惚れするが、その一糸まとわぬ姿にウコンは胸高鳴ることはない。自己分析するに、やはりウコンは女人を愛する性質があるというよりは雪代ノ奥方のみが特別な対象なのだろうか。


 奥方は普段いつも男装して侍として振る舞っていることもあって、ウコンの中ではそもそも半分は異性としての認識があるのやもしれない。


(はぁ。深く考えてもしょうがないだろう、相手は高貴な家柄の未亡人、それも女同士だぞ)


 若気の至り、気の迷い。

 いずれにせよ、奥方の迷惑になる身勝手な想いなど、ウコンは誰にも打ち明ける気はなかった。


「ひとつ、黙っていたことを打ち明けたく」


「ななな、なに!?」


 不意のことに激しく動揺するウコン。シノは少々驚きつつ、眼を細めて言葉する。


「亡き夫について、です」


(なんだ、そっちか……)


「シノさん、お聞きしましょう」


 シノは深呼吸して、奥方とウコン双方をしかと見据えて言葉する。


「夫は、じつは弟でした」


「……ん?」


「弟は、夫だったのです」


「ううん?」


 ウコンは奥方と顔を見合わせては、理解しかねる告白に疑問符を浮かべる他なかった。


「なにか隠し事がある、とは感じていたが一体どういう意味で……?」


「ああ、まさか!」


 まったく全然シノがなにを言っているのか意味不明のウコンをよそに、奥方は平手を打つ。


「なるほど、そういうことだったのね」


「あの奥方様、ユキノジョウに殺されたのは弟君で、亡くなった夫の仇討ちというのは世間体を取り繕うためのウソという話ではなかったのですか?」


「いいえ、亡くなったのは弟さんであり、旦那さんだったのよ」


「……は?」


 ますます訳がわからない。まさか二人とも殺されていたという話なのか、等とウコンは思い悩む。

 すると混乱を招いた張本人のシノは、少々恥じらい、申し訳なさそうに補足する。


「わたしは、実の弟と夫婦の契りを交わしていたのです」


「……はぁ!?」


 ウコンは真冬に屋根上から大雪が崩れ落ちてきたような衝撃を受けた。


 整理してみる。


 黒川シノは芝居小屋に仲良く弟と通った仲睦まじい姉弟であったはずだ。そのふたりが、何の因果か恋仲となって夫婦になっていた。

 そして五年前に“事件”が起こり、夫でもある弟が死んだ。

 仇討ちの要件には尊属卑属の優劣があり、姉による弟の仇討ちは認められずとも、妻による夫の仇討ちは認められるという制度上の都合がある。だから夫が弟だとは伏せねばならぬ。


 シノは一度も「夫は弟ではない」とは言っていないので、確かにウソこそついてはいない。

 しかし、それはとてつもなく重大な「まずい」ことを隠していることになる。


「奥方様、血を分けた実の弟と結婚などできるのですか……?」


「それは“時と場所”によります」


 奥方はいつになく真剣な面持ちで丁寧に答える。


「神話を紐解けば、姉と弟が結婚するくらいのことはよくあります。天然自然に目を向ければ、これまた血縁と契ることは不可思議なことではありません。されとて、今の世の中では、公に認められることはありません。きっと、ご苦労をなさったことでしょう。シノさん、ウコンはまだ幼く悪気はないのです。どうかおゆるしください」


「道ならぬ恋にございます。ウコンさんは正しい」


「……シノ殿」


 ウコンは反省してしゅんとなるが、シノは「どうか気になさらず」と言ってくれた。


「世を忍び、月影に咲く恋の花。結実も残せはすまい徒花か。……他の家族や親類にも、最後まで公には秘密の関係でした。夜闇にまぎれてふたりだけで縁ある神前にて縁を誓い、夫婦として一生を添い遂げる覚悟をしておりました。世の正しきに背いても、そうすべきと選んだのです」


 凄絶だ。まだ幼いウコンには想像もつかない。

 破滅と紙一重の、祝福なき恋路。類例を物語には聞く。よくある話では、身分違いの恋に落ちた男女が最後は川に身を投げて心中する。命を捨てても貫く恋愛に人々は読み物として共感しつつ、いざ身近にあれば理解を示すこともなく責め立ててしまうのが不思議なところだ。


 そうして考えるうちに、ひとつ、ウコンは思い起こした。


「我が母は……。なぜ縁者もいない寒村にわたしと母子ふたりで隠れ住んでいたのかとずっと考えておりました。今にして思えば、私は何かしら、世の正しきに反して生まれてきた赤子だったのやもしれませぬ。左様な私に、シノ殿を責める理由はございません」


「それは、なぜ……?」


「のんきに温泉でくつろいでいる最中に生まれの不幸を呪うバカはおりませぬ」


 はぁ~、と気の抜けた声をあげてウコンは湯船に肩まで浸かる。

 ぬくぬくのぽかぽかだ。

 こう温もりに浸ると細かいことなど忘れてしまえる。一滴の涙がどうして湯船に勝てようか。


「なあに、わたしなど忍者が生業ゆえ騙し騙されることは仕事柄あって当然のこと。それより、シノ殿がこうして秘密を打ち明けてくれたことの方がうれしくもあります」


「かたじけない」


「時に、お聞かせ願いたい。本物のユキノジョウはなぜ、シノ殿の……夫、いや、弟、いや……」


「夫でひとつ」


「こほん、そう、ご亭主との間になにがあったのか。私はまだ知りませぬ」


 ウコンの質問に、なぜか奥方とシノはお互いに顔を見合わせては気まずそうな顔つきをする。

 なんだなんだとウコンが不思議がるうちに奥方が「じつは……」と切り出す。


「数日前、あなたが湯治で不在の間に、私とサコンで事件のことはとっくに聞いちゃってて……」


「まさかうっかり伝え忘れていたと? はぁ、奥方様らしい」


「てっきりサコンが伝えてくれていると思いこんでいたのよ~!」


「あとで尻尾で叩いてやります」


 ウコンは気を取り直して、改めてシノに尋ねる。

 シノは遠くの山々へと目を向けて、切々と語ってくれた。


「まずはじめに、白上ユキノジョウは天領長倉の地に任ぜられた長倉奉行白上ジンダイの次男坊とは以前申した通りです。白上家は元々千石取りの旗本ですが、異国との貿易を司る長倉の奉行職を任されたことで十万石の大名とも見劣りせぬ絶大な権勢を誇ります。長倉の地では、白上ジンダイこそが奉行としてお白洲の場にて罪と罰を決める立場にあり、息子の不始末をなかったことにするくらい造作もなく。我が夫にして弟、黒川クロウの死の真相もあわや闇に葬られるところでした」


「仇討ちの免状がないのはそのあたりも理由か……」


「長倉奉行の職は二交替、一年ごとに遠国と江戸を往来します。白上ジンダイが江戸へと旅立った八月の蝉しぐれにも慣れた頃、ようやく私は白上ユキノジョウが下手人であると突き止めることができました。しかし先手を打ち、白上ユキノジョウは長倉を離れて逃亡をはじめます。今にして思えば、この頃からすでに影武者と組んで、討手の私を煙に巻いてきたのでしょう。……証拠の決め手は、やはり当家の宝刀、紅酒左文字でした。あの見事な赤鞘の刀を、変化の異能を、ユキノジョウは酒に酔った勢いで何人かに見せびらかしてしまったのです」


「隠さねばならぬ悪事の証拠を、それでも誰かに見せたがるとは」


「私は事件の真相を知らないのです。クロウは夜中、町中に亡骸を打ち捨てられていました。背中を、竜魔と思わしき爪に引き裂かれて……。その傷跡を根拠にして、正体不明の竜魔に襲われたという名目でロクな取り調べも行われませんでした。紅酒左文字を奪い、変化すれば成し得ることだと訴えても、奉行所は本腰を入れては調べはしなかったのです」


「つまりシノ殿にも“だれが”“どうやって”かはわかっても“なぜ”かはわからないと」


 シノは静かに首肯する。


「黒川家は佐河藩の鍋山家に長年仕えております。佐河藩は隣国の長倉の警護を行っており、黒川クロウは任地にて竜魔狩りの功績を上げたことがあります。長倉奉行所と佐河藩警備隊は間柄は難しいものがあり、そこがクロウとユキノジョウの接点。憶測は立つとも、事に至った本当の理由は……」


 シノは気丈なれど、流石に長く話すのはつらい様子だった。

 こうした時、ウコンは掛ける言葉が見つからない。しかし奥方は威勢よく励ますように。


「今夜の闇市で! 一切合財ケリがつく! ついにここまで来たのよ、シノ殿!」


「雪代様……」


 手に手をとって、奥方はシノへ元気の限りに微笑みかける。

 太陽のように眩しい笑みに照らされて、シノもまた、月のように慎ましく密かやかに微笑んだ。

毎度お読みいただきありがとうございます。

天領長倉は長崎、隣国佐河は佐賀、江戸だけはそのまま江戸といった具合に地名は少々もじったり、そのままだったりします。

天領というのは江戸幕府の直轄領地のことをいい、世襲引き継ぎではなく任官方式で江戸から赴任してきて働くことになります。

ですので劇中の長倉奉行所に務める多くのお侍や、白上ジンダイ、白上ユキノジョウらは本拠が江戸にあるのです。

一方、その長倉を守っている隣国の佐河藩の人々は大半がその地域に生まれ育っています。

長倉奉行所の面々はいわば都会育ち、佐河藩士は田舎育ちにあたります。作中ではややこしくなるので方言表現を省略していますが、両者には文化的背景の差があります。

ケモノビトの世界では、佐河警備隊は異国への備えだけでなく、竜魔討伐の役目も担うためになおさらに守られる立場の長倉奉行所側とは微妙な関係性なのです。

第二章も残すところは後わずか。

今後ともよろしくおねがいします。

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