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第三十八話「シノと奥方」


 しかし凶刃は空を切るのみだった。

 紙一重の差。雪代ノ奥方の竜魔刀、鬼切真夜綱によって黒川シノの一太刀は防がれていた。


 山城に夕陽が差している。


 奥方とシノ、両者の影法師はいつまでも交わることがなく平行線を描いて伸びている。


 怨敵ユキノジョウの命を奪う絶好の機会を邪魔立てされて、シノは殺気を奥方へと隠さず示す。

 一方、奥方もユキノジョウを守ろうと一歩も退くことはなく。


「はわわわわ……!」


 尻尾を震わせ、涙目になりながらおびえていた。

 竜魔の魂と共鳴することで戦意高揚していたはずの奥方が、すっかり気圧されてしまっている。


「こ、怖すぎるぅ……!」


「奥方様、逃げちゃダメですからね!!」


「そんなことを言われても!?」


 ウコンとて怖くて近づきがたいので、いざという時は動ける間合いを保ちつつ両者を見守った。


 翼を羽ばたかせ、滞空するシノ。


 漆黒の翼は茜色に染まって、返り血を浴びたかのように紅々としていた。


「ここまできて邪魔立てする、その理由を聞きましょうか」


「『真偽は言葉にて。命運は血潮にて決しましょう』と、あなたは言ったはずだわ。私はおふたりの決闘を見届ける。けれど、それは真実をあきらかにしてからでも遅くはないわ」


「こいつは、ユキノジョウは今まさに我々を返り討ちにしようとしてきました。それに――」


 悠長に議論を尽くせる状況でないことを、迫りくる竜魔の影が示す。

 残数は五体か、依然として竜魔が脅威なのは事実だ。奥方とシノが協力すればまともに立ち向かえるとしても、両者が敵対していては対処は困難だ。


 先んじて竜魔の先触れを撃退しようにも、その間にユキノジョウを逃してしまっては台無しだ。


「あなたが恩人であろうとも千載一遇の好機を妨げるものは、斬る。それでも、その大罪人を守る価値が、覚悟が、あなたにありますか」


「……そこまではない!!」


 奥方の素直すぎる一言に、一瞬シノは開いた口が塞がらずにいた。

 されとて口先で弱音を吐こうと面構えが情けなかろうと、奥方は一歩も引かずに刀を構えている。


「……では、おどきなさい」


「それはダメ! ウコンとサコンもこの者を守ろうと頑張ってくれたのに、お節介焼きをはじめに言い出した私が、主人の私が初志貫徹できなくてどうするというのよ!」


「その世話焼きには感謝しております。ですから、どうか尻尾を巻いてお逃げください」


「あ! 後ろ! 敵がきてるきてる!!」


「そんなつまらぬ手など――」


 シノは一笑に付すが、今まさに背後から翼竜が脚爪を尖らせて突撃せんとしていた。

 角材のように太く大きな竜の脚が、鋭利な竜爪が、シノの背面を強襲する。


 黒き閃光。


 禍々しい妖光を宿した竜魔刀の一撃によって翼竜の両脚が切り裂かれ、墜落する。


 鶏鳴を上げ、苦しみ叫ぶ竜魔が地に落ちるより早く、シノは首を斬り落としてしまった。


「な、何だ今のは……」


 いかに竜魔刀といえど、竜魔の頑健な外皮をああも大根みたいに切ることは通常できないはずだ。

 例外的に、練気と膂力を高度に兼ね揃えた使い手、つまり雪代ノ奥方ならば可能な威力といえる。


 初めて戦った時のシノの剣戟は、素早く正確なれど身軽な分だけ威力までは伴っていなかった。もし今の殺傷力があれば、奥方が二の腕を斬られた時、そのまま片腕を失っていたはずだ。


 そしてシノの気迫とて、前回と今回では怨敵との戦いという点では同一のはず。明らかに異なるのは――シノの竜魔刀だ。何か、目に見えて異変が起きていた。


 竜魔の先触れ達はシノを最大の脅威とみなして、複数で囲んで機を伺っている。


「鬱陶しい……」


 さしものシノも残る四匹が同時に相手となれば自由に身動きができず、睨み合いとなるが、この膠着状況も長くは続かないだろう。


「竜魔刀と共鳴しすぎている……竜鬼化だわ」


 竜鬼化、それでウコンも合点がいく。

 シノの異様な雰囲気は刀に眠れる竜魔の魂と同調しすぎたことで異常をきたしているのだ。


「奥方様! 暴走するシノ殿を相手に、ユキノジョウを守りながら戦うのは不利すぎます!」


「ウコン、紅酒左文字を渡してちょうだい。サコンはユキノジョウさんをおねがい」


「は、はい」


 奥方は紅酒左文字の代わりに、亡き亭主の形見たるもうひとつの竜魔刀をウコンに託して「これを預けます」と頼んできた。


 サコンの方を見やれば、ここで死ぬ覚悟のユキノジョウになにかをささやき、説得していた。

 いや、むしろ脅迫か。はじめ抵抗する素振りをみせていたユキノジョウが途端に、サコンの指示に従って共に物陰に身を隠した。脅迫材料はコハルに他なるまい。


「サコン、ウコン。あとは私に任せて下がってちょうだい」


「奥方様、まさか……」


 雪代ノ奥方は鬼切真夜綱を鞘に収め、静かに紅酒左文字を抜剣する。


「正真正銘――紅酒左文字」


 そして瞬く間に、奥方の姿は似て非なる者へ。


 虎が猫へ。

 影武者の影武者へと成り代わったのだ。


「うん、これなら自分の身を守るだけで事足りるわ。ウコン、黙って見守ってくれるわね」


「……本当に危うい時は、本懐を果たしますが、それでよければ」


 決意の固いまなざしに、ウコンは駄々をこねるように反対することはしなかった。

 無茶に意見する暇もないほどに状況は切迫している。


「安心なさい。私、死ぬのはイヤだから」


「……はい」


 出逢った当初ならば、ウコンは到底その言葉を信じることはできなかっただろう。


 武士というのは死に場所を求めてやまぬものだ。


 この世には甘美なる死の誘惑というものが実在する。ユキノジョウという男は、今それに抗えずにいる。ここで死ぬことに、意味のある死に魅力をおぼえてしまっているはずだ。


 古今東西の英雄が、華々しく散ったと美談に語られる世にウコンは生まれ育ったのだ。


 ウコン自身さえ今しがた、もしもの時、奥方様の命を救うべく身を呈して死ねたならば、きっと後悔せずに死ねるのだろうと空想したほどだ。


 きっと黒川シノの苦難多き復讐の旅路にもまた、死を覚悟する己への陶酔があったはずだ。

 いつ死すともしれぬ戦いに身を置くために、古来その酔狂は必要悪だったのだろう。


 今、雪代ノ奥方の選んだ危険な決断は、まさに死の誘惑の力添えあってこそ選べたものだ。


 しかしだ。


 奥方ならば、甘美なる死の誘惑とも仲良く付き合っていけるという期待がウコンにはあった。


 この方ならば――。

 心の片隅に、いつでもおっきな弁当箱を欠かすまい。そう信じることができた。


「奥方様、長引くと晩飯が遠のきますので、どうかお早く」


「ええ、心得ました!」


 影武者の影武者に化けた奥方は一直線に、シノを包囲する竜魔の先触れたちへと高く跳躍した。


「てやあああーーーっ!」


『グギャアルアアアーーース!!』


 後背を狙われた一匹を、まさに一刀両断に奥方は斬り捨てた。

 包囲陣が崩れたことで生じた隙きを見逃さず、黒川シノはすかさず残る三匹の竜魔に仕掛ける。


 白虎と蝙蝠。

 両者は一時共闘するかに見えたが、しかし奥方に竜魔の注目が集まったとみるや、シノは巧妙に生かさず殺さず竜魔をあしらい、逆に利用して奥方への挟撃を狙ってきた。


「ハァ……、ゼェ……! 死ね、死ね、死んで地獄で償エ!!」


 やはりシノは正気を失っているのか、冷静に状況判断すれば察しがついたであろう奥方の変化に気づかず、本物の偽ユキノジョウだと信じて苛烈に攻撃を仕掛けてきた。


「わわわっ!」


 今度は竜魔とシノの挟撃。奥方は竜魔の突撃をひらりとかわして足蹴にしつつ、紅酒左文字で竜魔刀の一撃を受けそらす。


 奥方への追撃を狙うシノを、今度は竜魔が強襲したおかげで難を逃れる。


 まさに三つ巴の戦いだ。


 奥方は不慣れな紅酒左文字を握っており、ユキノジョウに化け続けるために変化の異能も使えない。事実上、上玉竜魔刀の強みはないどころか、“竜鬼化”したシノにはむしろ見劣るだろう。


 そもそも真っ向勝負を演じても、暴走するシノを一切傷つけずに勝利することはできそうにない。


 誠に、無理難題もいいところだ。

 しかし奥方には勝算があってのことだと信じて、ウコンは戦いの行く末を見守った。


「さぁ、どれが本物か見破れるか!!」


 シノの死角に入った瞬間、奥方は竜魔の先触れに化けてまぎれた。

 四匹のうち三匹の翼竜は本物、一匹が偽物。こうなれば竜魔側は見分けのつかない仲間を攻撃できず、シノは一匹ずつ竜魔の始末をつけるしかなくなる。


「小賢シイ、忌々シイッ!」


 乱戦、混戦、大混乱。

 シノと竜魔の攻防を誘発させ、シノに狙われたら他の竜魔を盾に、シノが危うければ他の竜魔を邪魔するという狡猾な立ち回りで奥方は両者を消耗させ、着実に竜魔の先触れを削っていく。


「消え失せロッ!」


「ごくろーさま!」


 シノのトドメに乗じて、奥方も変化を解きつつ同時にトドメを刺す。

 竜魔の先触れはついに全滅した。三つ巴の戦いが終わり、ここからは一対一の対決だ。


「ハァハァ……これで終わリニしまショウ」


(シノ殿は消耗しきっている……これが奥方様の狙いだったのか)


 熾烈な戦いの中、幸運にもシノはかすり傷しか負っていない。しかし高速の空中殺法を終始繰り出しつづけ、完全に息が切れていた。いかに達人といえど、いかに竜鬼化といえど、心身の疲労消耗は生きている以上はつきまとう。


 シノは朝早くに起きて、食事こそ行っているが、ずっと魔境を飛び回りつづけていた。


 奥方はといえば朝遅くに起きて、食事をたらふく食べて、ぐっすりと支城で寝て過ごしていた。


 激しい戦いの中で、この“差”がついに現れたのだ。


「う、くっ……何をシタ? 目眩がすル……」


「……あなた疲れているのよ、そして憑かれてもいる」


「黙リナサイ!」


 猛然と迫る、漆黒の鉄槌が如く降ってくる。

 それを悠然と、廃屋の屋根の下にひょいと逃げ込んで奥方はかわしてしまった。

 疲労困憊したシノは急降下を制御できず、とうとう地面に自ら墜落して瓦礫の山に突っ込んだ。


「ぐあっ! こんな、ここまでキテ……!」


 翼腕を痛めたのか、シノは落とした無銘の竜魔刀を脚ではなく手に握り締め、歩く。


 走ることはできず、重たげに身体を引きずるようにシノは歩く。


 意志が、執念が、肉体の限界に囚われていた。


「嗚呼、呪い怨み念じるだけで殺せたら……もどかシイ! 何と忌々しいのデショうカ」


 怨敵へといくら手を伸ばしても、何も起きはしない。

 心の中では何百回と殺しているだろうに。ウコンは物悲しさに目を背けたくなるのを我慢した。

 奥方は変化を解き、ウコンサコンへ合図を送る。今ならば、シノを止める手段はある。


「シノ殿、想うだけで叶わぬ願いだからこそ、私達は強く生きて、この手で仇を討つのよ」


「……雪、代……様?」


 シノが自ら正気に戻ったか否かを確かめる間もなく、サコンの投げた眠り薬が噴霧される。

 極度の疲労のおかげか、さしたる抵抗もなく速やかにシノは眠りに誘われる。


「今はおやすみなさい、シノ殿」


 危うくその場に転倒しかけたシノをやさしく抱きとめる奥方。仇を目前に力尽きた無念さなど、全身全霊を使い果たしたシノの寝姿からは感じなかった。


 古戦場を照らしていた夕陽が、山の向こうへ沈んでいく。


 すや、すやり。


 シノの寝息はとてもおだやかだった。

 何年も、ずっと寝てはいなかったかのように。


「すぴー、すぴー」


 奥方の寝息もとてもおだやかだった。

 何回も、ずっと寝ていたはずなのに。


 ウコンとサコンは困ったように互いに顔を見合わせる。


「ええ……眠り薬の残り香だけで寝ちゃったよ、奥方さまってば。どーする、叩き起こす?」


「いや、夕陽が落ちきるまでは待ってやろうじゃないか」


 さて、お待ちかねの晩飯はいつになるやら。

毎度お読みいただきありがとうございます。

竜鬼化という現象は、奥方もかねてより危惧する危険な状態です。

劇中のシノはあれでも制御できている方であり、未熟なものや精神の荒んだものは完全に正気を失ってしまう可能性もあります。

まさに鬼と化した使い手は正気を失う一方、より竜魔刀を引き出せるので大変に危険です。

ついに第二章も幕切れが近づいて参りました。

どうぞ最後までお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

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