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第三十六話「徳利と切餅」

 ウコンとユキノジョウ。

 竜魔の空舞う下、山城の座敷の畳の上で、ふたりは座して対峙をつづけていた。


「私は、これからお前の同情を買うために身の上話をする!」


「正直が過ぎる……」


「年端もいかぬ童に刃は向けられぬ等と柔なことをぬかしたのはお前だろう」


「……然り」


 とユキノジョウは引き下がる。どのみちこの山城へと奥方一行が到達するにはしばらく時間が掛かる。待つ他ないのはお互い様だが、お互い、相手のことが知りたい点では一致する。


 ユキノジョウの側に立てば、黒川シノとの長き因縁に不意に挟まってきた計算外の要因である奥方は脅威だ。本当は奥方にユキノジョウを自ら殺める覚悟も理由もさらさらないので脅威たりえないのだが、向こうにしてみれば手練の武芸者が助太刀についているようにしかみえない。


 交渉術が苦手だとしても、ウコンとて腹の探り合いの修練や経験がないわけではないのだ。


「こほん、さて、えー……」


 身の上話をする、と言ってもどこから話すべきか。ウコンは悩む。

 自己紹介は存外、容易ではない。


 己が何者か、どこから来て何をなすのか、等ということをまず客観的に自己分析して他者にわかりやすく示すだなんて芸当がすんなりできれば情報収集に不向きだなんて忍び里で言われやしない。

 まず要点を端的に、だ。


「私はとある片田舎の寒村で、母親とふたりで五つか六つ頃まで暮らしていた。冬場になると、もういかに暖をとって耐え凌ぐかという雪国だ。ある夜、母は何者かに殺された。竜魔の仕業だとか、それに見せかけた殺しだとか、要するに何者が憎むべき仇なのかもわからぬまま天涯孤独の身の上となったんだ。しかし、それが不幸中の幸いだった。おかげで復讐にこだわらずに済んでいる」


 ウコンの語りに、ユキノジョウは真剣に聞き入ってくれている。やはり根が実直なのだろう。


「寒村には親戚もおらず、黒毛の狐族は不吉だとか、竜魔絡みに関わりたくないだとか、単に貧乏だとか、縁もゆかりもない私を哀れんで引き受けようというものはいなかった。それもまた不幸中の幸いだった。拾われ子として肩身の狭い思いをしながら寒空の下で農作暮らしで一生を終える代わりに、私は、忍び里へと売られたんだ」


「……不幸中の幸い、か。同情しろというクセに、悲壮さを薄めてどうしたいんだ?」


 ユキノジョウの問いにウコンはハッと矛盾に気づき、少し考えて。


「芝居下手でね」


 と軽く返して、ゆったりと話を続けた。


「断っておくが、私はいかに自分が不幸かを語ろうってんじゃないんだ。不幸自慢どころか幸運を自慢したい。私は忍び里で育ち、師や友に恵まれた。過酷な修行や危険な任務を差し引いても、結果として五体満足でまだ生きている。こうして生きる術も学べた。その上、此度の任務、あのお方と一緒の旅路は楽しくてならないんだ」


 心中に思い描くは、奥方との他愛もないやりとりだ。握りこぶし大のおにぎりをはもはもと両手で行儀よくも健啖に頬張るさまを思い返すだけでも、ウコンはにやけてしまう。


「不幸が転じて幸運な出逢いに恵まれることもある。お前なら“同情”できるんじゃないか?」


 ウコンはじっとユキノジョウの眼を見据えた。

 暗がりに光る猫の双眸の揺らぎを、ウコンは見逃さなかった。


「……コハルのことを申すか」


「ユキノジョウ様、ユキノジョウ様とお前がそんな大悪事を働く訳がないとキャンキャン吠えていたぞ。旅先で寄る辺もない中、ああも慕われたら大切にもなろう。お前はそのコハルに嘘八百で言い繕ってこれまでもこれからも共に生きていくというのか」


 顔面を丸めた紙くずみたいにひしゃげて、ユキノジョウは苦々しげに「それは……」と唸った。


「私に二人の恋仲は仔細わかりかねるが、これだけは言える」


 少々前のめりになって、ウコンは力強く叫んだ。


「良き人との出逢いはな! とても! 得難いものだぞ!」


 言葉の矢文を射る。

 それはしっかりと眼前の苦悩する侍に届いたはずだとウコンは確信を抱いていた。

 ユキノジョウは長く、長く、面を伏せては苦悶する。


「……誠実でありたいとは、思っているのだ」


「思うだけで済むものか」


「……然り」


 ユキノジョウはすくと立ち上がった。ゆっくりとした所作からは、逃げる素振りはない。


「少し、口の滑りをよくするためにな」


 そう言い訳しながらユキノジョウが抱えてきたのは徳利とっくりだ。

 徳利という陶磁容器はこの時代、個人が消費する液体全般を持ち運ぶためによく使われていた。

 竹筒と違い、つるつるとした陶磁器は風味に影響せず保存に適するので真水は竹水筒でも酒や醤油は徳利を用いるものだった。


 ユキノジョウのソレは通い徳利といい、酒屋に容器を貸してもらっているもので、空になったらまた酒樽から量り売りしてもらう。陶磁器は使い捨てるには高く手間がかかり、あらかじめ自前の容器を持参させるより便利だった。


「おい、二週間ここに籠もっているんじゃなかったのか」


「コハルの差し入れの品だ。わざわざ某へ届けてくれるものに口をつけぬのも悪かろう」


 ユキノジョウは徳利の紐に指かけお猪口で一杯ちびちびっと呑んだ。

 お猪口はちいさく平たい陶磁の酒器だ。


 “猪”は飾り気のなさを示すとされ、小さく軽くて簡素な酒器がお猪口とされる。清酒は酒気が強いので少量ずつ呑むべしとされ、それに適した形である。そのお猪口一杯を、さらにちびりちびりと数度に分けて呑むのだから“豪快”という言葉とは縁遠い。

 これがまた清酒の上品な香しさときたら、数畳の距離を置いてもウコンの鼻をくすぐった。


(……酒を嗜むにはまだ早い年頃だが、時々奥方様が嗜まれるのを見ると羨ましくなるのだよなぁ)


 ユキノジョウと奥方とは同じ白地に黒縞の猫の類で美形とあって、どうしても似てみえる。しかし一方で似ていないのは飲み方だ。奥方はお猪口でなく、より大きな朱塗りの杯を好む。丁寧な所作をしつつもぐいぐい呑む。


 俗に、酔っぱらうことを「虎になる」と表現することがある。

 酔って歩けず四つん這いになったり、酒気にあてられて強気に振る舞ったりする醜態をして獰猛な虎のようだというのだ。


 はじめっから白虎族の奥方には種族柄で酒が似合うのは無理からぬこと。

 それに比べて、ユキノジョウの慎ましい飲み方ときたら、虎とは真逆のおとなしい猫そのものだ。


「……某は、じつはユキノジョウではない」


「は? 酔いがまわるには早すぎるだろうユキノジョウ」


「違うのだ」


「いきなり何をつまらんことを言って……」


 ウコンは遠巻きでは顔も見づらいと、互いの距離を刀剣が一太刀では届かない程度までに詰めた。

 お猪口一杯を飲みきったばかりとあって、ユキノジョウの面に酔いの赤みはなかった。


「某は影武者だ」


「……はぁ!?」


「本物のユキノジョウを守るべく、この刀、紅酒左文字を渡されて影武者として黒川シノの監視をしていたのだ。事と次第によっては闇討ちにしてもいいという話だが、その機会も道理もなく、先延ばしにしているうちに気づけば五年もの月日が流れていたのだ」


「影武者だと!? そうである証拠は!」


「故郷長島藩の見知ったものに首検分でもさせれば、ユキノジョウでない別人だとわかるさ」


「今ここには証拠はないと」


「ああ、紅酒左文字を手にした白黒の侍となれば、この地では某こそユキノジョウに他ならぬ」


 戯言か、真か。

 影武者でなかったとしたら今の話がウソ、影武者であったとしたらこれまでの五年間がウソ。

 いずれにしても虚実の入り混じったややこしい話だとウコンは歯噛みした。

 そのさまが面白いのか、ユキノジョウはお猪口を傾けつつ薄っすらと笑った。


「信じてもらえずとも結構だ。しかし聞け。某はコハルにまでも嘘偽りを言い続けることに限界をおぼえているのだ。二週間ほど前、その相談を岩炭組の親分にした結果、喧嘩別れになって今ここでほとぼりが冷めるのを待っているわけだ。長島藩の由緒ある武家の息子という肩書は真っ赤なウソとなれば、父親として愛娘との恋仲を認めるわけにもいかないのはそうだろう」


「ウソつきなのか、バカ正直なのか……」


「某は芝居下手の二流役者ゆえ」


「……役者?」


「芝居小屋で働く町民、セツタ。それが某の素性だ」


 ウコンは真っ白になった。黒々とした体毛ではなくて、頭が真っ白に。

 こいつは何を言っているんだ、とすぐさまには理解が追いつかず、そして考えを巡らすうちにふと黒川シノとの会話の一端を思い出した。


 “亡き弟と芝居小屋によく通っていた”と。


「あの! 長島の芝居小屋か!!」


「黒川も知るまい。端役脇役斬られ役がせいぜいの、親兄弟から継げる名もない貧乏役者だ。幕間の弁当売りを手伝っていたこともある。某は常連客の黒川を見知っていても、向こうは覚えてやしないだろう。そこから数えてしまえば、十年そこらの付き合いになってしまうか……」


「一体なぜ、誰に頼まれて影武者になぞ!」


「ユキノジョウの母君だ。大金を積まれて、息子の命を助けてほしいと泣きつかれた。家族に楽をさせてやれると軽はずみに引き受けたのだ」


「……いくらだ?」


「手付金に、切り餅を四つ」


「……切り餅?」


 なぜこの流れで餅がでてくるのか、とウコンは首を傾げる。


 切り餅。


 貧乏役者だと言ってたが、まさか、山積みのお餅を食べたさに影武者になったのか。

 ユキノジョウ(セツタ)の家は貧乏子沢山で、おなかを空かせたちっこいしましまのねこがこぞって餅をはもはもと食べて「おにいさまありがとー」「おいしー」と笑顔で口々に感謝するのか。


「どんだけ餅が食いたいんだ! 餅に海苔まきゃ白と黒! 正月気分は見た目だけにしろ!」


「……切り餅とは、金銭を包んだものだ。一包みにつき二十五両の銀か金と決まっている」


 切り餅、小判、一分銀。


 ウコンは直近で見たおぼえがある。そう、闇市で二十両分の買い込みを行ったが、あの時に使った路銀は一分銀を包金銀といって印字つきの白い紙に包装してあった。


 金貨を造幣する金座、銀貨を造幣する銀座などで作られた真新しい貨幣は官製の特殊包装のおかげで信頼ができる。偽物や数え間違いの心配も最小限で済むわけだ。

 庶民には馴染みの薄い大金なので『切り餅』という俗称がウコンにはわからなかったのだ。


「つまり百両、百両ねぇ」


「大金に目がくらんだ愚か者と罵るがいい。手前勝手だが、あの頃の某には……」


「影武者で百両、どこが愚かだ? 手付金ということは稼ぎはもっとか」


「しかし……」


 ウコンの思わぬ肯定に、過去の過ちを悔いていたユキノジョウはあっけにとられる。


「いや、某は黒川を苦しませ……」


「貧乏暮らしで家族を養おうという男がそこで百両二百両もらえる話に食いつかなくてどうする? よしんばお天道様が見ていようとも、同じ立場なら私だって影武者を引き受けるさ」


「……その生い立ちなら、そうも考えるか」


「そりゃー私だって“切り餅”は食べたいさ」


 ウコンは合点のいく動機に共感してしまい、腕を組んではうんむうんむとうなずいていた。

 だが己の目的を忘れた訳ではない、ウコンには情報を引き出す目論見があってのことだ。


「細かいことは流す。問題は、本物のユキノジョウのゆくえ、そして紅酒左文字だ」


「それは……」


 ユキノジョウは言葉を失い、両者の間には長い沈黙が横たわった。

 大金を授かった以上、ユキノジョウの家とは一蓮托生だ。裏切ったとあれば、故郷の家族とやらに危害が及びかねないことは想像に容易い。


 なにより、このユキノジョウは『息子の命を助けてほしい』と母親に懇願されて引き受けたのだ。

 己の都合で本物のユキノジョウを売り渡せば、本当の意味で、大きな罪を犯すことになる。


「同情を買うつもりが、こちらも同情を売られてしまって困ったものだ」


 つくづく、めんどくさい話だとウコンはため息をつく。


「……まず、刀はシノ殿へ返してほしい。それを握ってる限りは、お前がユキノジョウなんだ」


「ああ、そうだろう」


 徳利を傾け、ユキノジョウはお猪口でぐいとあおる。

 ちまちま呑んでいるにしても、度重ねて口にすれば多少は酔いがまわってくる頃だろう。

 その一言を、ウコンは酒のせいだと解釈しかけた。


「某をユキノジョウとして討て」


 しかし決意を宿した白毛黒縞の侍の眼差しは酒のせいでないと気づかせるに足るものだった。

毎度お読みいただきありがとうございます。

「切餅」は25両、四角い一分銀を百両になるよう白い和紙で包んであるものです。


時代劇ではそのまま25両の小判金貨を包んであるものの方がおなじみかもしれません。

感覚としては、「切り餅」ひとつが二百万から六百万円といったところで、まさに「大金」といえば切り餅が代名詞として扱われます。

悪代官と越後屋がやりとりするのは大抵この切り餅や、切り餅を積んだり箱詰めしたもので、千両箱では額面が多すぎるのでちょうどいい“大金”なわけですね。


「通い徳利」はこの時代まだガラス瓶が普及していないのでお酒といえば酒樽か徳利でした。

江戸時代は資源の再利用が盛んで、通い徳利はマイボトルなどに通じるものがあります。

一方で端材を無駄なく利用して使い捨てられ節水にもなるまた別のエコロジー、割り箸も生み出されているのが面白いところ。


第二章もいよいよ大詰め、待て次回!

今後ともよろしくおねがいいたします。

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