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第三十五話「ウコンとユキノジョウ」

 山城に巣食う竜魔たちはまるで仲間の帰りを出迎えるように退き、空中に通り道を作った。


 そこをゆうゆうと大翼の竜魔――に化けたユキノジョウは素通りする。

 古びた山城の本丸へ着陸する大翼の竜魔は丁寧に岩炭コハル――に化けたウコンを降ろした。


 ようやく行動の自由を得たが、ここは竜魔の巣窟だ。いかに忍者といえど、無闇に逃げても無事ではすむまい。


 同じ“変化”といっても、ウコンの使用した変化の封魔絵巻では同じ大翼の竜魔に化けるほどの効力はない。外見をごまかすことはできても、巨躯や飛翔といった身体能力まで真似られるのは紅酒左文字という竜魔刀の強大さのなせる技だ。


 その精巧さたるや、なにより“匂い”に表れる。


 鷲掴みにされている間ずっと感じていたが、大翼の竜魔からは疑いようもない固有の匂いがした。脚爪の硬質な匂い、真新しい羽毛の匂い、どこか刀剣や彫像のような無機質な匂い。逆にケモノビトの残り香はなく、変化を解いた今ようやく人らしい匂いがした。


 紅酒左文字をはじめとする竜魔刀は使いこなすために技量や精神力が求められる。封魔絵巻にしてもウコンが使いこなせるのは元々忍術を修めているからであって、それよりさらに練度を求められる紅酒左文字を自在に使えるとしたらユキノジョウの実力は並外れているはずだ。


 となればこの状況、竜魔に取り囲まれていること以上に、目前に上玉竜魔刀を操る手練の武芸者がいることの方がウコンにとっては危機的だ。


 岩炭組の一人娘、岩炭コハルを“救出”したとユキノジョウが信じている間はいいが、ウコンの正体がバレたらもう後がない。


(救援が訪れるまで、どう凌げばいいんだか……)


「そうおびえるな、その姿であるうちは取って食いはせん」


「んなっ……!」


 大翼の竜魔が言葉した。

 ケモノビトが化けていると理解していても人語をしゃべる竜魔はウコンにとって衝撃に値するが、それ以上に、まだ何の言葉も発していないというのにもう正体がバレていることが驚きだった。


(くっ、一体なにを間違えた……?)


 ウコンは頭が真っ白になり、返事ができないでいた。すると大翼の竜魔は目を伏せた。


「なぜ見破られたのか、と言いたげだな。後学のために教えよう」


「こ、後学……?」


 まるで“今後”があるかのような言い草だ。ユキノジョウの思惑をウコンは読めず困惑する。


「君がもしコハルを演じたければ、それがしと親しいのだから彼女は“この姿”に見覚えがあって当然だということを想像すべきだ。なんとも下手な芝居で見苦しい。外見だけはそっくり似せてあるから、襲撃の間際にはさすがに騙されてしまったが」


「……もとより、こうして釣り餌になればよいと考えていたまでのこと」


「強がらなくてもいい、震えているぞ」


 そう指摘されて、ウコンは言い返せなかった。危害をくわえないと言われてなお、ウコンは相手が発してもいない威圧感に気圧されてしまっていたのだ。


 いや、無理もないだろう。大翼の竜魔は脚爪だけで軽々とウコンを運んできた巨躯なのだ。一口で人体を噛みちぎれるであろう巨大さは、長首の竜魔にこそ劣るが、たった齢十二の下っ端忍者が戦意を失うには十分すぎる。むしろ即座に応戦した雪代ノ奥方こそああみえて異常ではないか。


 しかしウコンとて、いつまでも情けないままでいられないと気丈に返す言葉をさがした。


「そうだ、怖いに決まっているだろうが! 竜魔だぞ! こちらと話すつもりなら変化を解け!」


「ふむ、吠え面はコハル似で愛嬌があるようだ」


 大翼の竜魔は蜃気楼のようにゆらっと像が歪み、一瞬の後、巨竜からケモノビトへと変じた。

 悠然と立っている侍の男がひとり。


 白毛黒縞の白虎族、いや猫族か。雪代ノ奥方が見間違えられた理由が定かにわかるほどに、中性的な美貌を備えた優しげな青年――それがユキノジョウであった。


 無論、よく見れば主に“太さ”が全然違う。男女の差異、種族の差異もあって、奥方の方がより体格に優れている。とはいえ、身体的特徴は噂通りに見間違えてもしょうがないほどには似ていた。黒川シノはユキノジョウを判別する手段を竜魔刀の所持と似顔絵、そして特徴の情報くらいしか持ち合わせていないのでシノの早とちりも責めがたい。


 ので、ユキノジョウを責める。


「このでっかいしましまのネコめ!! 迷惑千万だニセモノめ!!


「……急に強気だな」


「怪物から見慣れたお方のそっくりさんと落差があればこうもなる!」


「とにかく、ここで騒ぐと竜魔たちに狙われる。畳の上でゆっくりと落ち着いて話をしよう」


 ケンケンと吠えるウコンをなだめ、ユキノジョウは先に草履を脱いで廃墟へと入っていく。

 ウコンは逃げる機会かと一計するが、竜魔の巣窟の真っ只中にいるという難題が残っている。


(……命懸けで逃げるのはやだなぁ)


 考えた末に、どうも苦労せずに済みそうなのはユキノジョウと話して座して待つことだと気づく。

 そもそも“仇討ちの手伝い”をするとは決めているが、ウコンは討手でも助太刀でもないのでユキノジョウを直接この手で討つ理由がないどころか、むしろ勝手に傷つけるとまずいくらいだ。


(そうだ、よく考えろウコン。シノ殿とユキノジョウの決闘をお膳立てすることが目的ならば、説得して真剣勝負に応じてくれるならそれでいいんだ。うん、平和的解決バンザイ)


 ウコンは困難な逃走という道を見なかったことにして、安易な対話という道を選ぶことにした。

 惨劇の跡地である山城の屋敷内には、木柱に刺さったままの弓矢とか、朽ちた木床の上や下を這い回る害虫や小動物、はたまた廊下には誰のものともわからない人骨の断片が野ざらしだった。


 そしてなにより、それらのおぞましさも生い茂る草木に埋没しかけ、すべては野に還りつつあるというさまは生々しい死穢れされ遠い昔のことで、忘却と平穏の最中にあることが見てとれた。


 戦国乱世の終焉より数百年を経た今、血で血を洗う先人の戦いさえ風化しつつあるのだ。


 大広間に通されたウコンは下座に、ユキノジョウは上座に座る。その背後には血の滲んだ掛け軸と横倒しになって割れた壺。ウコンのそばには若木の先端が顔を出しているありさまだ。


 古城の仮初の主たるユキノジョウは悠然とあぐらで座って、興味深そうにウコンを見定める。


「あの白虎族の侍は迎えに行くと言っていた。力量を見るに、そう遠からずどうにか乗り込んでくることだろう。それまでの退屈しのぎに某から知りたいことをたずねるといいさ」


「では聞くが、なぜここで待つ? 逃げはしないのか?」


「愚問だ。本物のコハルが向こうの手中にある以上、逃げる手はない。奇襲が通じるのも一度きり。お互いに“失いたくないもの”を握り合っているのだからいずれ相まみえる他ないだろう」


「どうかな? 私は単なる捨て駒かもしれんぞ」


「ああも必死の形相で食い下がってくる勇敢な侍が、命惜しさに見捨てる訳がないだろう。あの目つきは必ず、逃げずに奪い返しにくる覚悟だった」


「それは、勇猛な武士ならば当然の……」


「あの侍とは恋仲か?」


「はぁ!?」


 ウコンは思わず叫んだ。なぜそのような誤解に至るのかと。


(奥方様も私も、女人だぞ!? い、いや、しかし、そうか、こいつは奥方様を侍の男だと勘違いしている。あの男装と体格だからな……)


 ユキノジョウは図星だろうと言い当てたことでにやりと笑ってみせるが、当たらずも遠からずだから腹立たしい。訂正すべきか迷うが、ウコンが片想いに近しいよくわからない感情を抱いていることは事実なので変に言い繕うとボロを出しかねなかった。


(なぜ敵の手中で恋話に右往左往させられねばならんのだ……!)


 そうして言葉選びに迷ってるうち、もうユキノジョウの中では恋仲が事実化してしまったらしい。


「無用な恨みは買うものではない。あの侍と事構えずに済むよう、そなたを傷つけはせぬ。しかしコハルの身柄との交換材料にはなってもらわねばならぬ。これが某の立場だ。まんまと逃げも隠れもできぬ苦境に追い詰められたという点では、見事な変化だったと褒めてやりたい。こちらの襲撃を先読みし待ち構えて、偽物を掴ませるとはあの白虎族の侍は大した策士のようだ」


「は、はははは、左様で……」


(のんきに弁当食べてごろごろ寝てた奥方がまるで軍略家だな……)


 あえて訂正するのも当人の名誉に関わるのでウコンは黙っておく。どうもユキノジョウの認識では、奥方は知略と武力を兼ね揃えた勇猛果敢な侍の男ということになっているらしい。


「黒川シノ、あの女に助太刀がついていると某は聞き及んでいない。そなたらは何者だ?」


「我々は……ユキノジョウ、お前と間違えられてあわやシノ殿に斬り殺されそうになった被害者だ」


 ユキノジョウは小首をかしげる。


「……そのなりゆきで、なぜ黒川の加勢を? 逆恨みか? 恨むべくは黒川だろう」


「いや、いや、そうなのだが! なぜこうなったか説明しがたいのだが! あのお方がおっしゃるには人違いでしたで終わりでは“斬られ損”だから仇討ちを手伝うというわけで!」


「……何だ、その、底抜けのおひとよしと一緒だと苦労が絶えんだろう」


「それはそう」


 怨敵ユキノジョウに同情の苦笑いをされてしまった。

 まったくもって、今回の一件に関わる動機は奥方の単なる気まぐれとお節介焼きでしかない。


(しかし、こうして五年かけても出逢えなかったシノ殿の仇敵を見つけられたのだ。力添えする理由はなくとも助けた甲斐はあったはずだ)


「旦那様と私の“ふたり”はシノ殿の仇討ちに助力する立場だ。ユキノジョウ、お前に恨みはない。しかし武士たれば仇討ちから逃げ回る不心得者を捕まえることに加勢して咎められる道理もない。素直に正々堂々と勝負に応じるならば、コハル殿の安全は保障しよう」


 ウコンはさりげなく虚実を交えておいた。

 役立つとは限らずとも、もしサコンの存在は伏せておいて損はないだろう。


「正々堂々、か」


 ユキノジョウは重苦しげにため息をついた。


「決闘をすれば、どちらかは死ぬ。そなたはその重大さを理解していないとみえる」


「ふん、シノ殿が返り討ちに遭うならば、それでもいい」


 ウコンの返答が意外だったのか、ユキノジョウは穏やかな双眸を少し険しくした。

 ここまで悠然と、どこか雲をつかむような感触のあったユキノジョウの心根に触れた気がした。


「某は黒川シノという女を、五年もの間、ずっと“追いかけ続けて”いた」


(……ん?)


「みすみす死なすには惜しい人だとよく知っている。五年間、ユキノジョウの噂を巡っては路銀を稼ぐために日雇い働きに励み、苦難に耐えては辛抱強く旅をつづけてきた気高い女だと。紅酒左文字を使い、誰かしらに化けて近づいて直接に会話したことが幾度かある。弟想いの、気丈な人だ。ああいう人が報われずして神も仏もあるものか」


(こいつは……何者なんだ?)


 他人事だ。

 ウコンの抱かされた違和感の強烈さは、不気味であり不可思議であった。

 復讐されるべき張本人としての言動ではない。まるで仇討ちの成就を願うかのようだ。


「それゆえ真剣勝負には応じられない。某は黒川を死なせたくはないのだ」


「戦えば勝つ、と」


「いかに黒川が手練といえど、紅酒左文字を相手取るには準備不足だ。一対一で実力伯仲だとすれば、武器の差が勝敗を決する。不意打ちならともかく、真剣勝負で勝てる見込みがあるものか」


「それは……」


 黒川シノは白虎族の奥方に手傷を負わせるほどに剣術に長けている。

 しかしそれは理由なく人を傷つけられない奥方の戦いに不向きな性格、それに上玉竜魔刀の異能を使わなかったという手加減あってのこと。ユキノジョウと紅酒左文字の全力には届くまい。


 ますます不可解だ。ユキノジョウは勝てる勝負を拒むほど、黒川シノを死なせるのがイヤなのか。


「かといって某もむざむざ首を差し出すつもりもないのだ」


「そのまま一生、逃げ回って先延ばしにしたいのか……」


 奥方とウコンはまさに「仇討ちの先延ばし」を実行中だ。シノとユキノジョウの復讐劇は、まさに五年後の自分たちの未来図めいてきた。

 なればこそ、ウコンにしてはまれな怒りが静かに沸き起こっていた。


「……五年間だぞ」


「ああ」


「五年間だぞ! 私の手料理ひとつで涙するような苦難の月日だ! 善人ぶって言うことか!!」


 ウコンは母親を失い、忍び里に拾われての数年を想い重ねて、自分の鬱憤までも怒りに宿した。

 ここまで激しい感情がまだ自分には残っていたのかと、いつ死んでもいいと無気力で自堕落なつもりでいたウコンは我を疑うほどだった。


 あまりに感情が昂ぶりすぎたせいで術が乱れたか、はたまた効力切れか、激怒に呼応するように白煙をあげて岩炭コハルの変化が解けていく。


「私はな、何事も逃げるが勝ちと信じている! このまま人生を勝ち逃げするお前と、追い負けるシノ殿と痛み分けなものか! 死合う覚悟を決めろ、ユキノジョウ!!」


 黒狐のウコンは尻尾をぶわっと逆立て、歯牙を剥いて吠えていた。

 今ここで怒気を荒げ、強大な相手を刺激することに理があるとは思えなくとも、忍耐強く人と接するのが苦手だと自負するウコンには我慢がならなかったのだ。


「……覚悟、か」


 ユキノジョウの一挙一動に最大限の注意を払い、ウコンはいつでも“逃げる”心の準備をする。

 ここまで怒声を上げておいて何だが、やはり何事も逃げるが勝ちだ。どうせ正面切って戦っても勝ち目はないので、いっそ封魔絵巻をすべて使い切ろうとも全力で逃げ切ってみせる覚悟だ。


 逃げまわりつつ、奥方一行と合流して迎え撃つ。これが考えつく最善だ。


「来るなら来い、ユキノジョウ!」


 臨戦態勢のウコン。

 しかしユキノジョウは事構えることなく、黙して座していた。


「……年はいくつだ?」


「十二だが」


「……さっさとここから逃げろ。コハルを奪い返すためだとしても、童に刃を向けてしょうがないと居直れるほど某は落ちぶれたくはない」


「ユキノジョウ、お前……」


 ユキノジョウは優しい、と岩炭コハルが力説した理由がわかった。この男は情に厚い。奥方と似ているのは外見だけでなく、気質も相通じるのやもしれない。


 なればこそ、なぜこの好青年が他人を殺めて竜魔刀を奪うという悪事を働いたのかがわからない。

 この復讐劇にはまだ見過ごせない真相が隠されている、そうウコンには思えてならなかった。

 ウコンは怒りの矛先を収めて、今はまだ逃げないことにしてその場に座り直した。


(……冷静に考えると、仮にユキノジョウに追いかけられずとも竜魔に追い回されるのだが)


「まだ話すべきことがある。逃げるとしてもそれからだ」


 ウコンは適当に理由をつけて言い繕いつつ、なにを質問すべきかを迷う。疑問点が多すぎるのだ。


「貴様の秘密を暴いてやる、つまびらかにな!」


 ウコンは大見得を切った。

 ふっ、と童のクセにとばかりに軽くユキノジョウに笑われた気がした。


(ああもう! ああもう! 早くこいこい奥方様!!)

毎度お読みいただきありがとうございます。

ついに対決! ウコンvsユキノジョウ!

第二章もついに佳境に入って参りましたが、あいも変わらず逃げの一手! 追って逃げての復讐劇の結末たるや!

待て、次回!

ひきつづき、今後ともよろしくおねがいいたします。

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