第三十三話「仇討ち免状と逆縁討ち」
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支城跡地の廃屋にて、評議がはじまった。
岩炭コハルは威勢よく証言する。
「やいやいやい! まず黙って聞いてればユキノジョウ様のことをでたらめ抜かしやがって!」
(……いつ黙っていたのだろう)と、ボロボロの障子戸の裏に隠れたウコンは心中でこぼす。
「ユキノジョウ様はお優しい方なんだ! 喧嘩して帰ってきた組のもんを手当してくれたかと思えば、あたしが風邪を引きゃあ看病どころか頼んでもないのに精のつく魚までとっ捕まえてきてくださる! 無駄に気位が高い侍連中たぁー訳がちがうんだよ!」
「あの、もしかして泳いで手づかみで捕まえてきたり……?」
「んなぁ! どーして知ってんだい!」
照れ笑いする奥方。
「つい最近、私も川に潜って魚を捕まえまして……」
奥方の気恥ずかしそうな苦笑をまじまじと見て、コハルは不思議そうに首を傾げる。
どうもユキノジョウと奥方は寄って見比べてなお外見に似てる点があるらしい。
「岩炭組に居候なさって一年になるが、とかく他人の竜魔刀を殺して奪っちまうような極悪人だといわれて信じる道理がないね!」
「……しかしながら、”紅酒左文字”を携えていることは事実でしょう」
「あっ」
シノの指摘が図星だったようで、コハルは苦しげに「うー……それは……」と言葉に詰まる。
奥方は立会人らしく「紅酒左文字をユキノジョウ殿はお持ちである。それは認める、でよろしいのかしら」と尋ねれば、コハルはウソをつくでもなく素直に「あ、ああ」と首肯した。
シノは音もなく喉元に短刀を突きつけるかのように、静かにこう述べる。
「上玉竜魔刀の所有には御公儀への届け出が不可欠です。紅酒左文字は当黒川家の預かる大事な一振り。白上家にその所有権がないことは少し調べればわかることです」
「確かに……。上玉竜魔刀ともなれば、無断無許可での売買や譲渡が禁じられているわ」
「この世に二つとない刀、紅酒左文字こそ何よりの悪事の証拠です」
「ぐ、くう……!」
コハルは歴然とした覆し難い事実に言葉を失ってしまう。無理もない。
上玉竜魔刀を盗んだとあれば、たとえ誰も殺しておらずとも捕まれば死罪はまぬがれない。
そしてコハルは直情的というか、嘘をつけない性質なのか、そもそも「そんな刀など知らない」とシラを切ることができたのに、素直に答えてしまっている。
裏を返せば、嘘をついでも庇いたてしようというより、ユキノジョウのことを信じているからこそ正直に話せば身の潔白が証明できるとコハルは考えているのだろうか。
だとしたら、コハルという女にとって、これは残酷な現実であり、勝ち目のない勝負だ。
「……証拠」
コハルは低く唸って悩む素振りを見せていたが、なにかに気づいたようで強気に顔をあげた。
「やい黒いの! 証拠ってんだったら、仇討ちの免状を今ここに出してもらおうじゃねーか!!」
コハルは一世一代の大勝負とばかりに啖呵を切った。
しかし見当違いもいいところだ。
仇討ちは、まず公に領内の藩主ないし主君に届け出をする。領内であればその許可のみ、領地外であればさらに幕府に届け出を行い、仇討ち帳簿に記載することで合法なものになる。
この天下泰平の時世、無許可の殺人は言うまでもなく重罪だ。
五年もの歳月、仇討ちのために生涯を費やしてきた黒川シノが仇討ち免状を持たぬ訳がない。
コハルの苦し紛れの思いつきは所詮……、等とウコンは安堵していた。
「……シノ殿?」
「おい、何とか言ったらどうなんだ、蝙蝠女」
黒川シノは黙していた。
たった一枚、書状を出せば文句なしに説き伏せられる。それなのに黙って、目を瞑っていた。
障子戸の裏で、コハルに化けたウコンはその「まさか」に胸がざわついていた。
もしそうだとしたら、黒川シノの仇討ち旅は“重大な秘密”を抱えていることになる。
次に発する言葉次第で、何もかも事態が覆りかねない。
(一体この人は――何者なんだ?)
黒川シノの言動を振り返ってみて、大半の言葉には信憑性があった。苦労の滲む一人旅も、ユキノジョウへの強い復讐心も、生半可な演技などではない。
奥方のもてなしに泣き、笑ったシノの表情には嘘偽りはなかったはずだ。
それでも何か、どこか不自然な点はなかっただろうか。
黒川シノの旅の目的は、怨敵ユキノジョウを討つこと。
なぜユキノジョウを討たねばならぬかといえば、上玉竜魔刀を奪ったから。――いや、当初、黒川シノは竜魔刀のことは黙っていた。値千金の品であることを踏まえると、こちらを信用するまでは教えることができなかったというのは好意的にみればウコンにも理解できる。
では上玉竜魔刀をユキノジョウがどう奪ったかといえば、そう、黒川シノの“夫”を殺害してだ。
(……夫?)
嫌な胸騒ぎがする。
雪代ノ奥方と黒川シノ、ふたりは“亡き夫の仇を討つ”という同志を抱いていたはずだ。
奥方は時々、亡き夫のことを断片的ながら語って聞かせてくれることがある。
しかしシノは一度も、亡き夫との“思い出”など口にしたことがないではないか。
あれだけ執念深く、強い憎しみを抱いているというのに、心を許してくれたはずの奥方やウコンに一度もどんな人物だったのかを教えていない。ウコンはそれを寡黙さゆえだと勘違いしていた。
しかし、先ほど幕の内弁当を食した折、黒川シノは“思い出”を話してくれていた。
(……弟との思い出を)
故郷に帰って弟の墓前に蜜柑を捧げたいと言っていた、シノの言葉にはきっと嘘がなかった。
あの時、気づくべきだったのだ。
ユキノジョウに殺害されたのは“夫”ではない。そう、“弟”だったのだ、と。
“逆縁討ち”
武家社会には尊属と卑属という分類がある。
上司や両親や兄は尊属とみなされ、部下や子供や弟は卑属とみなされる。
仇討ちは尊属が殺された場合のみ、もっとも近しい卑属に許される。
つまり、『夫を殺された妻』である奥方は『尊属を殺された卑属』にあたるので許可されている。
しかしもし『子を殺された妻』であったら奥方は『卑属を殺された尊属』となり、奥方には仇討ちの許可が下りることはない。
もっとも、仮に『子を殺された妻』として被害を訴えれば、通常は罪を犯したものは公に捕らえられて然るべき処罰を受ける。
仇討ちという自力救済、直接の復讐が認められるか否かという話であって、子供や妻を殺されたら何もできず泣き寝入りしろ、という話ではない。
こうした尊属と卑属の関係性が通常の仇討ちと異なることを『逆縁討ち』と呼ぶ。
黒川シノは逆縁討ちであるがために仇討ち免状を有していないのだ。
もし復讐を遂げてユキノジョウを殺した場合、罪に問われるかは現地での判断にゆだねられる。
便宜上、逆縁討ちであることを隠さねば目的達成に支障をきたすことになるのだろうが、同時に、黒川シノは無事に復讐を遂げた上で、罪に問われることも覚悟の上なのだろうか。
「……仇討ち免状は、ございません」
静々と、黒川シノは言葉した。
それはとてつもなく重大であるはずなのに、シノの黒瞳は揺らいでいなかった。
「え、え、え!?」
覚悟の決まりきっているシノをよそに、奥方はまったく予想外のようで混乱しきった様子だ。
一触即発で睨み合っているシノとコハルの間に挟まれて、おろおろしている。
もうなにか、この奥方こそが今この場を仕切る裁定者であり仲裁人であることが唯一の希望に思えてきた。奥方がいなければ、両者は血と刃で決着をつけかねない勢いだ。
そうした不測の事態を知ってか知らずか、銀狐のサコンは澄ました顔で様子を伺っている。
(あいつ、もしや予想していたのか……?)
サコンの信頼できる点、そして信頼できない点はめざとさだ。
同じ忍者として訓練を受けてきたものの、素質や気質の差か、サコンは察しがよい。サコンは物事によく気づき、よく伏せている。困った時には掴んだ情報で助けてくれるが、困るまでは教えてくれないことがよくある。今回がまさにそうだ。
ウコンよりずっと先にサコンは気づき、情報を伏せ、おそらくいざという時の手も打っている。
サコンは情報収集担当で忍び里との連絡役でもあるので、黒川シノについて得ている情報は護衛役のウコンよりずっと多く、その上でも“問題ない”とみたのだろう。
それは頼もしくもあり、同時に、サコンにもし裏切られると致命的だとも言えた。
「あのー、仇討ち免状がないというのは、つまりどういうことで……?」
そして何も知らない奥方。
一日中食っちゃ寝してたらそりゃそーである。いや、日誌、勉学、稽古など一応はしているか。
「仇討ち免状がないってこたぁ後ろ暗いところがあるに決まってる! ユキノジョウ様を討ったところでお前も死罪になるんだよ、黒川シノ! それでもやるってのか!」
「お、おお、落ち着いて! その、書状がなくても後々、ご当地のお役人様のお沙汰次第でちゃんとした仇討ちだとわかれば、罪に問われないこともあって……」
「はっ、列記とした仇討ちだって証拠がどこにあるってんだい!」
「えーと、えと、それはその……」
コハルに吠えられて、奥方は八の字眉で困っている。がんばれ、がんばれ奥方。
「しゃけ」
と、小声でサコンがつぶやく。
「はっ! そう、紅酒左文字! 盗まれた竜魔刀さえ取り返せたら、それが何よりの証拠だわ!」
「ぐっ、またあの刀かよ!」
「……そう、先ほど申し上げた通り、紅酒左文字こそ何よりの悪事の証拠にございます」
黒川シノはうまく欺こうと、免状の有無を論点から外しにきた。
そう、確かに盗まれた竜魔刀を奪い返すという大義名分があれば、仇討ちについての細々とした問題点はすべて解消される。極端なことを言えば、殺人より竜魔刀を盗むことの方が重罪なのだ。もし殺されたのが夫ではなく弟だとしても、正当な理由になる。
しかしだとすると今度は「なぜ竜魔刀を奪い返すための書状を持たないのか」という話になる。
公儀に届け出て、帳簿に記載する手続きによって正当性が証明できる点では、竜魔刀についての書状さえあれば、仇討ちと同じく公に認められるのだ。
「怪しいな! 黒川シノ! 本当はあんたのものじゃないんだろ、その刀!」
ウコンと同様に考えたのか、コハルが食らいかかる。
「調べればわかると口先で言っても、裏返せば今この場では逆さに振っても証拠がないんだろ!」
「……いかにも」
「え、ええ、どうしましょう……?!」
右みて左みて、そして障子戸の裏に隠れたウコンを見てくる奥方。
バレるからこっちを見ないで。
奥方は心優しい方だ。仇討ちが果たせず困っているシノと、想い人を守りたくて必死に抗弁するコハル。どちらの気持ちも理解でき、それゆえに難しい判断に迫られて。
難しすぎて、なんだかぐるぐると目が渦巻くほど困り果ててみえる。
「……今、ここに証拠など必要ございません」
黒川シノの言葉は刃のように冷たい。
コハルの熱弁など、もとより彼女にとっては何も心に届くものがないのだろう。
「事が済み、お上の沙汰で私が死罪になったとて、それでなんの不都合がございましょう?」
心胆の冷える心地だった。
復讐に人生を費やすことが煩わしくてあきらめたウコンにとって、自死すらいとわぬ復讐者の覚悟はまさに理解しがたく、そして、どこか羨ましくもあった。
美しい、とさえ感じていた。
黒川シノには死の美学がある。いかに生き、いかに死ぬかを見据えている。
鋭利に研ぎ澄まされている。
ここまで覚悟の極まった者に通じる言葉など、ウコンも、敵対者のコハルも持ち合わせていない。
黒川シノはまさに“真剣”だった。
「いいえ、不都合だらけよ」
奥方は不満げに、むすっと腕組してこう言った。
「後味が悪い!!」
しーんと場が静まり返った。単純明快すぎて、逆に誰も反論しようと思えなかった。
うん、それはそうだ、と。
「単なる人違いで怪我させられて、終わってみればシノ殿は死罪、コハルさんは恋人と死別! あまりにあんまりな結末すぎて、私は斬られ損だわ! 不都合しかありません!」
「それはその……申し訳ございません」
奥方ののんきな言い分に、シノ殿は毒気を抜かれたように謝った。
これだから奥方様は侮れない。
「あんた、黒川シノの仲間じゃあないの……? なにもの?」
「のんびり旅する仇討ち人よ」
ほら、と奥方は書状を気軽にコハルに開いて見せてみる。
事細かに家柄や経緯が記され、主君の家紋まで押印された文句のつけようもない仇討ち免状だ。
コハルはだからこそ不思議そうに首をかしげた。
「……自分の仇討ちはどーしたのさ」
「義を見てせざるは勇なきなりよ。正しく勇ましくあれと教わって育ちましたので、にょほほのほ」
物は言いようか。
自分の仇討ちを先延ばしにするために道草を食ってるだけなのは、ウコンと奥方ふたりの秘密だ。
毎度お読みいただきありがとうございます。
現代ではちょっとわかりづらいのですが、江戸時代は武家社会、そして儒教思想の色濃い時代でした。
「逆縁討ち」(※なお造語です)は、そうした当時の文化とは反するものだったのです。
しかしながら「子を殺された親の無念」といったものを当時の人々も共感はでき、実際には逆縁討ちが行われることもありました。
一例として、逆縁討ちになるケースを、上意討ち(お殿様や上司からの命令として)という形で行うこともあったとか。
「仇討ち免状」については、実際は持ち歩くような書状はほとんどなかったという説もあります。
仇討ちに赴く申し出を行えば、それを書類にして公儀や諸藩に連絡することになり、帳簿に記載されます。単一の許可証ではなく、帳簿というデータベースと照会する形だったわけです。
しかし一方、通行手形がないと各領地を出入りできないので、「仇討ちを目的に通行する」という通行手形を発行する必要があると考えれば、それが仇討ち免状だともいえます。
一方、時代劇ではわかりやすく免状があるケースが多いので、今回はこちらを採用させていただいております。
ひきつづき、今後ともよろしくおねがいいたします。




