第三十二話「封魔絵巻と岩炭コハル」
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幸いにも鳴子が危機を告げることもなく、シノとサコンは“お土産”を連れ帰ってきた。
岩炭組の親分の一人娘、コハルだ。
サコンに眠り薬を嗅がされたのか、縛られもせず眠ったまま担ぎ込まれてきた。
支城跡地のやや手狭な板の間に、奥方と並んで「二」の字にコハルは寝かされる。もちろん「二」の下側の、どっしり長い方が奥方だ。
「ヤクザの娘を誘拐とは、大変なことをしてしまったな……」
「これから身ぐるみを剥ぎ、なりすますんだからもっと大変だよ」
「はぁ、先が思いやられる」
ウコンは改めて岩炭コハルを観察してみることにした。
岩炭コハルは年の頃でいえば十五から十七ほどか。銀灰色の美しい毛並みの賢狼族である。
魔境をひとりで往来するためか、コハルは博徒らと同じく旅人風の装いで長脇差を帯びている。すらりとした輪郭の、春の小川を泳ぐ鮎のように愛らしく清らかな乙女だ。
「よし、脱がすか!」
「まてまてサコン! 実物を見て気づかないか! この背格好じゃ誰とも寸法が合わんぞ! 私らはまだ育ち盛りで背が足りぬ、シノ殿は翼が邪魔でまず不向きだ」
「ん、奥方さまは?」
「太い」
「太かった」
きゅうりとなすくらいコハルと奥方では太さが違うのではなかろうか。
「実物さえ眼前にあるのならば、ここは――変化の術を使おう」
「おお! って、そんな高等な忍術の心得あったの?」
「私がそんな努力を陰ながらしてると思うか? これこそ“金の力”だ」
ウコンは隠し持っていた巻物を一つ、サコンとシノに見せてやった。
「封魔絵巻です」
「お二方、それは一体……?」
「シノ殿、うかつに開けてはなりませぬ。怪我をしますよ」
封魔絵巻。
これは一般庶民や武家でもお目にかかることは稀な道具なので不思議がるのも無理はない。
「闇市で仕入れた道具です。おそらく山城に眠っていた遺竜品のひとつでしょう」
「あー、だろうとは思ったけど、過去に誰かが山城に眠る値打ち物だけうまく拾い集めて、竜魔の方は野放しにしてるんだろうね」
「野の竜魔は何処からか雨水のように訪れるものだが、あの山城は供養がなされていないのか」
「古戦場にはよくことだよ。死穢れや怨念を拠り所に竜魔が生じるのは。きっと山城はむごったらしく攻め落とされて、挙げ句にろくな供養もせず、だろうねー」
「遺竜品というのはそうして生じた魔境に遺された品々が竜魔の力を宿したものだ。巡り巡って私の手元にある以上は、せめて人助けに使うことで供養代わりにしよう」
ウコンは絵巻の封を解かぬまま口にくわえると、印を結んだ。
「鏡写しの術!」
どろんと白煙に包まれたウコンはたちどころにコハルそっくりの銀毛の犬狼族の乙女に化けた。
これには「なんと」とシノも大いに驚き、サコンも「やるぅー!」と感心した。
「どうだ、ちゃんとそっくりに化けられているか?」
「上出来!」
「ふむ、ならよしとするか」
ウコン自身の眼からみても、細長い手足やいつもよりぐっと高い視線はまさにコハルのものだ。
「なんとも不思議な巻物で……。しかし、普段お使いの竜玉でも忍術を使えるのでは?」
「私どもの竜玉は様々な忍術に使える一方、術ごとに修行を積まないと会得できないのです。一方、この封魔絵巻はそれぞれに決まった一つの術が宿っており、容易に、手軽に、そして強力に術を操ることができるのです」
「なるほど」
「でもねー、絵巻は消耗品なんだよね。巻物ごとに決まった残量を使い切るとただの紙切れさ」
コハルに化けたウコンは絵巻の封を解いて、広げてみせる。
絵巻に描かれている墨絵は半分を過ぎると真っ白になにも描かれておらず、そして今まさにしゅうしゅうと軽く煙をあげて、墨絵はさらに消えてしまった。残りは全体の二割もない。
「あれ、なんか残量が少なくない……?」
「中古品を買ったんだ。それだけ安くついたが、これはもう使えてあと一度だろう」
「いくらだったの?」
「一両」
「高っ!」
「……を値切って、半値の銀三十匁くらいか」
「それでも半月分のお給金くらいかー」
「これらを十種、あわせて二十両で買ってきた」
「二十両……!?」
サコンはざわつく。シノも思わず口元を隠して驚いている。無理もない話だ。
一両とは、小判金貨一枚のこと。
『小判十両で首が飛ぶ』
という言葉があり、十両を盗めば死罪をまぬがれないとされる。二十両ともなれば、町人の二年分の年収に近い。ウコン自身そう思うが、大変な買い物だ。
「とはいえ、奥方の手にする上玉竜魔刀はもし金で買えるとしたら千両箱ものだ。使い捨ての中古の道具だからこそ、二十両で済むと考える他ない」
「二十両が霞んでみえるんだけど、そりゃーもう奥方さまは歩く千両箱じゃん」
「ぐーすか寝てる間に奪われやしないかと不安になるよ」
ウコンは封魔絵巻を五巻ずつに分けて、半数をサコンへと差し出した。
サコンが「くれるの?」と戸惑いがちに受け取れば、ウコンは「任務に必要な戦力補強を私だけ受領しちゃあ、その分こっちが忙しくなってしまうだろうが」と押しつけた。
「さて、そろそろ奥方様に起きていただこうか」
ウコンがゆさゆさと揺すって起こせば、奥方ははじめ「もにゃもにゃ」と寝ぼけた様子で。
「ど、どちらさまで!?」
とやがてウコンに驚き、身構えた。そう、今はコハルに化けているのだった。
「ウコンです。鏡写しの絵巻で化けております」
「そ、そうなのね」
そして奥方は周囲を見渡して、すぐに薬で眠らされているコハルに気づき、絶叫する。
「ししし、死んでるー!? え、でも、だって、え!?」
大騒ぎする奥方を落ち着かせ、かくかくしかじかと一行は事情を説明する。
すると今度は「拉致誘拐ですって!? しかも騙し討ちにする!?」と寝耳に水の様子だった。
よくよく考えてみれば、支城について一連の行動は奥方のすやすや寝てる間にウコンサコンシノの三者で企てたことなので、ここでは食っちゃ寝してるだけの奥方が知るはずもなかった。
「ユキノジョウを討つためとはいえ、そんな暗殺めいたことを……」
「正々堂々と仇討ちに応じる相手でない以上は、こちらも四の五の言わずに手を尽くさねば」
その喧騒によってか、薬で眠っていたコハルが目を覚ました。
「ユキノジョウ様を、討つだって……? お前たちは一体、何者だい……?」
「しまった」
ウコンはややこしいことにならぬよう、さっと障子戸の後ろへ隠れる。ただでさえ錯綜している状況下、コハルそっくりに化けたウコンを目撃されると余計に混乱させかねない。
ウコンは息を潜める間、障子戸の破れた穴からシノ奥方サコンそしてコハルの様子を盗み見る。
「おっと、暴れはしないでよねー。多勢に無勢さ」
「くっ、このド腐れ性悪ギツネ!」
「おーおー威勢がいいねぇ、けど叫んだってこの山奥にゃ他に誰もいやしないよー」
(楽しげに悪ぶりやがって、サコンのやつ)
犬狼族らしく歯牙を剥いて威嚇するコハルを、サコンは余裕ぶって相手する。
コハルが腰に帯びた長脇差を抜かないのは、黙して語らずも刀に指をかけたシノの牽制のせいだ。
「サコン、もっと丁重に扱いなさい!」
そう叫んで、なぜか奥方はコハルを守るように背に隠すように立ち塞がった。
「え、ユキノジョウ様……? では、ない、わよね」
「ええ、そのユキノジョウ殿と似てるがゆえに、そこに座す黒川シノ殿にあわや人違いで仇討ちされかけた白虎族です」
ちらと奥方が見やれば、シノは何食わぬ顔して「私が黒川です」と答える。
コハルは「な、な、何? 一体どういう……?」と困惑しきった様子だ。
黒川シノは目を瞑って、ゆっくりと言葉する。
「ユキノジョウは私の大切な者を殺めるのみならず、一族の家宝たる竜馬刀“紅酒左文字”を盗んだ極悪人でございますゆえ、本日これより仇討ちを果たす所存」
シノは研ぎ澄ましていた。
シノは余計な怒気を発すことさえなく、静かに、穏やかに、内に秘めた殺気を研ぎ澄ましていた。
その鋭さに瞳を泳がせつつもコハルは気丈に毛を逆立てた。
「あらぬ言いがかりを! 黒川シノ! 思い出した! 話に聞くユキノジョウ様のお命をつけ狙う悪党というのはあんたのことね!!」
「……話すだけ無駄のようです」
コハルは懸命に吠えるが、大声を出せば出すほどにシノとの覚悟の差が浮き彫りになってしまう。
しかし奥方がこの対峙に割って入る。
「あのー……、私はぜひともおはなしを聞かせていただきたいのだけど、だ、ダメ……かしら」
烈火と極寒の狭間にぬるま湯のような物言いである。
「……ユキノジョウ様に間違えられた、という話はちょっとばかし、岩炭組にも責任があるわ。いいでしょう、わたしがユキノジョウ様の身の潔白を証明してあげるわ」
そう言葉して、コハルは床に座って、長脇差をそばに置いた。
上座に奥方が座って、コハルの向かい側にシノとサコンが位置する。で、ウコンは隠れっぱなし。
(まさか、このまま長々と話すのか……? 居場所が、ない)
護衛として奥方のそばを離れるわけにもいかず、かといってコハルに化けた状態では顔も出しづらく、ウコンはまさに蚊帳の外になってしまった。
(しかしまぁ、奥方のああいうのんきなところもまた取り柄か)
シノに力添えする、コハルの言葉に耳を貸す。
相容れぬ両者の板挟みにならねばよいが。
毎度お読みいただきありがとうございます。
封魔絵巻はいわゆる「巻物を口にくわえて印を結ぶ」という忍者らしいアイテムです。
消耗品としては大変効果で、一月分のお給金に等しい一両! 使い捨ての上、必ずしもその場その場で役立つ効果とは限らないのが悩みどころです。
岩炭コハルはユキノジョウの恋人(?)にしてヤクザの親分の娘、彼女の語る潔白とは?
待て、次回!
今後ともよろしくおねがいいたします。