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第三十話「桜でんぶと幕内弁当」

 拠点探しをすぐさまに解決したのは、やはり空舞う黒川シノであった。


「ここを拠点としましょう」


 山頂の山城とは高さも等しく、ほどほど近い別の山頂にある支城の跡地をすぐさまにシノは見つけてくれた。本城となる山城に比べれば、ほんのささやかな砦なるが、雨露を凌ぎつつ寝泊まりするだけの屋根と床はあった。


「それじゃあ、わたしはひとねむりさせてもらうふぁね……くわ、ふぅ」


 と、まだ正午にもならぬうちに奥方は昼寝をはじめる。白虎族は一日十五時間は寝るとまでいわれるので、万全の体調を維持するには人一倍に寝ていてもらわなければならない。


 必然、護衛役のウコンも寝ている奥方のそばを離れることはできない。

 こうした時には情報収集担当の銀狐のサコンの出番だ。


「私はここで居を整える。頼むぞ、サコン」


「はいよー、お土産を楽しみにねー」


 サコンとシノに痕跡探しを任せて、ウコンは支城の屋内をまず掃除することにした。


 戦国時代に役目を終えて、幾星霜。手入れのなされぬ木製のちいさな城跡の建物は朽ち、腐り、床木が軋む。薄暗いはずの室内には天井の穴から日光が注ぎ、かえって春のあたたかさをもたらす。ちょうどそのひだまりを一等地とばかりに奥方はすやすや丸くなって寝ていた。


 高貴な生まれのわりに、寝床を選ばないお人だ。


(……やはり、こうしてみるとただのでっかいネコだなぁ)


 ここは魔境の中、安全地帯には程遠い。睡眠時間を人より多く確保せねばならない白虎族にとって長居は危険だ。


 いかに武勇に優れていても、衣食住を確保できねば精細を欠く。

 古来、堅牢で名を馳せた城塞とて、籠城の末にそれら水や食料がなくなり負ける例に事欠かない。


 ウコンは山城の水源についてはああ言ったが、山頂に水源を確保する方法がひとつある。溜め池だ。雨水を貯めておけば、井戸がなくとも水源たりうる。しかし湧き水や川水、井戸水よりも溜め池は水質がよくない。背に腹は代えられない、といった代物なのだ。


 長期的に、清潔な水がほしければ必ずや山頂から降りて、水くみをせねばならない。


(サコンのやつ、今頃は山中を嗅ぎ回っていることだろうな)


 ウコンサコン二匹が忍者たりうる理由のひとつは、ケモノビトの中でも狐族は嗅覚に優れている点にある。ケモノビトの感覚はだれでも卓越して優れているわけではない。しかし鍛錬次第では、野生動物に匹敵する五感を得ることができる可能性がある。


(あいつならば、必ず何か手がかりを掴んでくるはずだ……)


 ウコンは箪笥の中にあった古いボロボロの衣服を千切り、雑巾代わりにすると竹筒の水筒に入れてきた貴重な飲水をすこし含ませて、床を綺麗に拭き上げることにした。


「のんびりくつろぎたいのに、そのためにも準備が欠かせないとはな」


 綺麗にせずとも寝られはしよう。

 しかし奥方の美しい御姿をホコリまみれにしてしまうのは耐え難い。護衛兼世話係として、塵芥のひとつに至るまでも万難を排しておきたいのだ。


 ――等と、過保護なことを思っているのも旅立ち当初のウコンからすれば信じがたいことだが。


「むにゃ……千代丸……んむ」


 この穏やかな寝顔を守ってあげたい。

 ウコンはそう、やりがいを感じてならなかった。




 正午、出払っていたサコンとシノが帰ってくる予定の時刻だ。

 ウコンが昼食の支度をして待っていれば、無事にふたりは帰ってきてくれた。


「ただいま戻りました」


「シノ殿、おかえりなさいませ。どうだサコン、なにか見つかったか?」


「水源と痕跡、あったよ。山城の裏手に湧き水、他にも古井戸がね。痕跡も、足跡と匂いを掴んできちゃった。いやーできるシノビだよねーあたしったら!」


「でかした! 疲れたろう、ゆっくり仔細を聞きつつ、弁当でも食べるといい」


「わーい! わーい!」


「お弁当、でございますか……?」


 何を悠長な、と言いたげなシノを席につかせ、古ぼけたお膳をウコンは運んで並べてやった。

 まだ寝ている奥方を除いて、三名分のお弁当である。


「いやぁ、自分たちで作ったとはいえ、いざ食べるとなったら楽しみだよねぇーお弁当」


「山道をいったりきたりだからな、精がつく弁当をこしらえておいた甲斐があった」


「これは……重箱?」


 弁当は重箱入りに風呂敷包みだったものを解き、お膳の上に重箱のまま置いてある。

 この時代、手軽な弁当としては竹皮包みのおにぎり弁当が定番である。腰弁当といい、竹や木、葉などで包んだ簡素な弁当は使い捨て容器というところが普段遣いには便利であった。


 一方、重箱は安物であれ高級品であれ使い捨てるものではない。ハレの日、めでたい日など行事ごとに用いるか、高貴な人でなければ普段遣いするものではなかった。


 であるからして、シノが重箱の弁当だということに驚いたのは、その豪勢さだけではなくて、ウコンサコンの両名が「ハレの日」として今日、重箱を選んだことにも驚いているのだ。


「なぜ、仇討ちに重箱を……」


「奥方様がお命じになられたのです。仇討ちを果たす日となれば、誠にめでたきこと。めでたい日には重箱にご馳走を用意すべき、と。それに精がつくものを食さねばいざという時に力が入りません。竹包みで事足りるような少食ではなりません、と」


「失礼ながら、ただ食い意地が張っているだけでは……」


 すっと視線を奥方へ向ける、シノ殿。


「もにゃもにゃ……おかわりゅい……」


 この寝よだれ顔である。


「ほら」


「でしょうね」


 ウコンとてそこは同意せざるをえなかったが、食い道楽には賛成なので擁護はしておく。


「腹が減っては戦はできぬ、とは先人の言葉です。あの滅びた山城とて、噂では兵糧攻めにあって弱りきったところを討滅されたとのこと。贅沢には他ならずとも、食べずに無駄にするのはもってのほかではありませんか」


「さ、左様であれば……」


 シノは抵抗感を示しつつも重箱弁当をようやく直視する。そしてまた驚いてもいた。


 重箱には桜が咲いていたのだ。


 否、正しくいえば、一口大の小さなおむすびに桜色の“何か”が咲き散らされている。

 卵焼きに根菜の煮物といった定番のおかずで手堅い弁当に、一際この桜色が輝きを与えていた。


「これは……桜でんぶ、でしょうか」


「はい、先日奥方様の捕まえた川魚を、保存が利くようにと炒り煮にして乾かしておいたのです」


「シノどのは甘いの好きでしょー? えっへへへー」


「……いただきます」


 シノは慎重に桜でんぶのまぶされたこむすびを箸で摘み、はむと小口で食す。

 たちまち、シノの頬がゆるむのをウコンは見逃さなかった。


「……おいしゅう、ございます」


 シノは物静かに、しかし着実に、よく味わって噛みしめるように弁当を食する。

 華やかな桜でんぶのお弁当は味よし香りよし眺めよしと三拍子が揃っていた。


「……うまい!」


 自分で食べてみても納得の仕上がりだ。天井から注ぐ陽光も相まって、桜でんぶと米の一粒まで艶めいてみえるほど美しく、その期待を裏切らぬだけのほの甘い味わいであった。

 桜の花弁が甘いわけではないというのに、桜でんぶの鮮やかな彩りと甘みに魚のほぐし炒り煮だとわかっていても桜を見出すのだから不思議なものだ。


 しかしウコンの場合、シノのように行儀よくちまちまと食べてはいられなかった。

 なにせ魔境の山登りの間、この重箱をはじめとした荷物を背負っていたので疲れてもいれば腹も減っている。空腹もさることながら、きっと美味しいとわかっているものをずっと背負って運んできたのだから手作りと運搬の苦労さえも弁当のおかず同然だった。


「ごちそうさまでした」


 とウコンが食後に手を合わせる頃にはまだシノはのんびり味わっており、自分がいかに夢中で食べてしまったかということを思い知らされた。


「ウコンも良い食べっぷりするよねー、ホント」


「うるさい、こっちの顔ばかり眺めるな」


「ウコンも手伝ってくれたけど、まー七割くらいはあたしが作ったんだから、美味しそうに食べてるさまを眺めて悦に浸るくらいはいいじゃん特権だよ」


「むう、ぐうう」


 どうにも気恥ずかしいが事実として手の込んだ品はもっぱらサコンの役目だったのは事実だ。


「我流幕の内弁当! がんばりました!」


「幕の内……」


 最後の一口二口を食べようかという頃合いのシノが、不自然に箸を止めてしまった。

 うつろに、なにか物思いにふけるさまに「どうされました」とウコンは尋ねる。


「いえ、あの子と……」


「あの子?」


「失礼、弟です。弟とよく見に行った芝居の席で、このような幕内弁当を食べたことを思い出して」


「ああ、故郷の弟さんが恋しくて?」


「……いえ、弟はとうに亡くなっております」


 気まずい。


 ウコンは思わず助け舟を求めて隣を向くが、サコンは「あーあ」と知らん顔だ。

 ウコンはどうにもこうした人の機微を汲み取るのが苦手で、こういう失敗を反省するのが常だ。


「すみません、食事の最中だというのに」


「つらい思い出などではありません。弟との楽しい思い出を振り返ることができて、むしろ感謝したいくらいです。芝居の合間に食べる幕の内弁当には蜜柑がついていて、面倒臭がる弟のためにせっせと蜜柑の皮を剥いてあげたのですが、甘えたことに薄皮まで剥かせるのですよ」


 くすくすと儚げに笑うシノのさまは、言葉通りの楽しい思い出というには甘いだけには見えなんだ。他の柑橘がそうであるように、酸っぱくて、苦味もありそうな表情にウコンにはみえた。


「いずれ故郷に帰って、弟の墓前に蜜柑を供えてあげたいと……仇討ちの励みにするとしましょう」


 そう言葉して、シノは弁当を最後まで静々と食した。

 シノは多くを語らぬが、寝食を共にし同じ道を歩くごとに、ウコンは気づきつつあった。


 五年の歳月を仇討ちを果たす一心に費やすシノの有り様は、当初は雪代ノ奥方の“ありえた可能性

”ではないかとウコンは考えていた。


 ――そうではない。


 奥方にはご子息の千代丸君という“遺されたモノ”があり、仇討ちも名誉回復が為、未来の為だ。


 シノの仇討ちは比して、失われた過去の為にある。そう見える。


 ――そうであるならば。


 未だに母親を失った惨劇の夜を夢に見ては、精算されえぬ凄惨な過去から逃れきれないウコンこそ、復讐者シノと紙一重の差で分かたれた運命にあるのではないか。


 即ち、そう。

 確固たる執念で復讐をあきらめることのなかったシノと、なにかと理由をつけては復讐をあきらめたいともがいているウコンとの差は、きっと“強さ”だ。


 それは武力、それは愛憎。


 亡き母への愛に欠ける、薄情者の己との強さの違いをウコンは察しつつあった。


「……私は、さる雪の日に母の命を何者かに奪われて、露頭に迷ったところを忍び里に拾われて、そこでコイツと姉妹同然に育てられ、今に至るのですが」


 すこし、勇んで言葉した。

 シノは穏やかなまなざしで、箸をそっと膳に置いて、ウコンと正対するよう座り直した。


「シノ殿の仇討ちを、我が事のように重ね見ているのです。親の仇を討てずとも、だれかの仇討ちに力添えできたとしたら、なにか償いができ、心救われるのではないか。そう想えばこそ、シノ殿に助力したいという奥方様をお止めしなかったのでしょう。……ご迷惑でしょうか」


「ここまでしていただいて、今更に迷惑だなんて。こちらこそ、勿体ないお言葉です」


「よかった……」


 ウコンは緊張の糸が解け、ふうと一息をつきつつ言った。


「亡きご亭主の仇討ち、無事に果たせるよう今後とも励みましょう、シノ殿」


「……はい」


 少し、ためらいがちにシノが返事したのは気のだろうか。


「もにゃむにゃ……はっ! ごちそうのにおい!」


 ぐっすりと寝ていた奥方はバッと飛び起きるや否や、すぐに「いただきます」と手を合わせては神妙な空気など気づきもせず、夢中で弁当を堪能しはじめた。

 奥方は拙速でない程度に素早く、それでいてよく味わって顎を動かして食べてくださる。


「この桜でんぶ、絶品ねぇ! ふたりが台所で作ってるさまを見た時から期待していた通りだわ!」


「えっへん!」


「せいぜい誇らしげにすることだなサコン、それで馬車馬のように働いてくれるなら安いものだ」


「またまたー、ウコンだって尻尾をそわそわさせて喜んでるの隠せてないよー」


「んなっ! こ、これは座りっぱなしで尻尾がしびれたんだ!」


 とっさにウコンが苦しい言い繕いをすると、シノは不思議そうに小首をかしげた。


「尻尾のない蝙蝠族の私にはわかりかねるのですが、狐の尻尾は座ってるだけでしびれるので?」


 純真無垢、といえる疑問に。


「じょ、冗談にございますゆえ……」


 かくしてウコンは赤っ恥の狐になった。

 しかしなぜだか、一同に笑われてもウコンはむずがゆさの中に爽やかさをおぼえていた。


 なお重箱のお弁当は六段重ねのうち、じつに三段を奥方がおひとりで召し上がった。


 ぺろりである。

毎度お読みいただきありがとうございます。

「幕の内弁当」は今でも馴染み深いお弁当ですが、はじまりは芝居小屋だといわれています。

お芝居の合間に幕が降りている間の、幕間の時間に食べるお弁当として俵型のおむすびや数種類のおかずが供されたとのこと。

この際、幕の内弁当には一種のデザートとして蜜柑も定番だったのだとか。

一方、桜でんぶは魚のほぐしみを加工調理したもので、江戸時代の庶民にも愛されいました。

ちらし寿司などでみかける、あのピンクはなんだろう? と考えはしても、意外と知られていない桜でんぶ。

でんぶとは、おしりを意味する「臀部」……ではなくて「田麩」ないし「田夫」といい、「田夫」は「荒野」を意味します。荒野のように形ある魚の身をくずし、ほぐしてしまうことを差して田夫と言ったそうです。

それでは! 待て、次回!

今後ともよろしくおねがい致します!

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